宣戦布告は唐突に
とある日の放課後のこと。
王立ラプラス魔導アカデミーのスピーカーから、高らかなファンファーレが鳴り響いた。
『――親愛なる諸君! 今日も魔導の深淵を覗き込んでいるかな?』
聴く者すべてを心酔させる、陽光のように明るい声。生徒会長セオドリック・フォン・ランカスターのものだ。
学園中の廊下で、教室で、生徒たちが足を止める。彼らにとって、セオドリックの言葉は皇帝の勅令にも等しい。
『さて、突然だが――我々生徒会は、学園のさらなる結束と「健康増進」のため、一大イベントを開催することに決定した。題して、「東洋伝来・大鬼ごっこ大会」だ!』
「……は?」
その放送を、生徒会執務室の奥。山積みの書類の中で聞いていた副会長レイモンド・アシュクロフトは、握っていた羽ペンをバキッとへし折った。
「……何を、言っているんだ、あの馬鹿は……」
『ルールは単純明快。制限時間は二時間。逃げるのは、僕を含む生徒会役員四名。そして、君たち全校生徒が「鬼」だ! もし、諸君らが時間内に僕たち全員を捕まえることができたなら――ランカスター公爵家の名において、向こう一ヶ月間、学食の全メニューを「最高級A5ランク・ワイバーン肉」にアップグレードすることを約束しよう!』
その瞬間、学園全体が物理的に揺れた。
数千人の生徒たちが上げる歓喜の咆哮。それはもはや、勉学に励むエリートのそれではなく、肉に飢えた捕食者の群れの叫びだった。
『さらにだ、諸君』
セオドリックの声に、ゾッとするような甘い響きが混じる。
『役員を捕まえた個人には、その対象に対して「何でも一つ、命令できる権利」を授与する。……僕に跪かせるもよし。あるいは、あの孤高の副会長を、君たちの思い通りに動かすもよし。スタートの合図は次の鐘の音だ! ……幸運を祈るよ!』
カチリ、と放送が切れた。
静寂が戻った執務室に、レイモンドの、地獄の底から響くような声が漏れる。
「……セオドリック・フォン・ランカスター!!」
レイモンドが勢いよく立ち上がると同時に、執務室に、転移魔法の光と共にセオドリックが舞い降りた。
金髪を輝かせ、一点の曇りもない聖者のような微笑みを浮かべた、セオドリック。
「やあ、レイ。放送は聞いていたね? 東洋伝来・鬼ごっこ、面白いだろう? 君の最近の運動不足を解消するための、僕なりの慈悲だよ。喜んでくれたまえ!」
「喜ぶわけがあるかッ! なぜ相談もなしに実施した! お前のそれは、ただの職権乱用だ! そもそも……!」
レイモンドが、セオドリックの襟首に掴みかかる。
「命令権だと!? お前、自分が何を言ったか分かっているのか! 俺たちが、あいつらに何を命じられるか……!」
「ふふっ。もしかして、逃げ切る自信がないのかな、僕の副会長は」
「……何?」
レイモンドの眉がピクリと震えた。
セオドリックは、レイモンドの腕をむんずと掴むと、整った顔を近づける。その海より深い碧眼は、獲物を狙う鷹の如く、鋭い。
「レイ。僕だって、君が他人の命令を聞く姿は見たくはない。……だから、頑張って逃げ切らないとね」
その瞳に宿る、歪んだ独占欲。
レイモンドは、背筋を走る悪寒を誤魔化すように、セオドリックを突き飛ばした。
執務室の窓の外からは、『肉! 肉!』という地鳴りのような生徒の声が聞こえてくる。
「……いいだろう。二時間、指一本触れさせずに逃げ切ってやる」
「ふふ、頼もしいね。……さあ、狩りの時間だ」
時計塔の鐘が、ゴーンゴーンと開始の合図を告げた。
それは、レイモンド・アシュクロフトにとって、人生で最も長く屈辱的な、二時間の始まりだった。




