表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
夜籠の鳥(よごめのとり)  作者: 児島らせつ
45/45

45(最終話)

半年後


 事件後、警察によって発見された莉子と京介は、すぐに病院に運ばれた。

 莉子の拳銃によって頭部を撃ち抜かれた京介は、事件から半年がたった現在も意識不明のままだ。今、この瞬間も病院のベッドで多くの装置に繋がれて、蜘蛛の糸に囚われた、か弱い虫のように哀れな姿で、かろうじて生命を保っている。恐らく、二度と目覚めることはないのだろう。

 聞いた話では、そんな京介のもとを、妹がしばしば見舞いに訪れているという。

 一方の朝霧莉子は、京介が所持していたサバイバルナイフで左脇腹に重傷を負ったものの、一ヶ月の入院をへて退院し、京介に対する殺人未遂容疑で逮捕された。

 取り調べの結果、莉子は犯行を全面的に認めた。ただ、コウ君という人物の存在を口にすることは、決してなかった。「コウ君を巻き込むわけにはいかない」という信念を、最後まで貫き通したのだ。

 殺人未遂とはいえ、動機には情状酌量の余地があったことなども考慮され、一審では懲役三年の実刑判決が言い渡された。

 莉子は、この判決に対して控訴しなかったため、裁判は事件の発生から半年という異例の早さで終結した。現在、彼女は栃木県にある刑務所で服役中だ。


          *


 祐真は事件の四ヶ月後、それまで住んでいた安アパートを出て、猫を飼うことができる五階建てのマンションに引っ越した。この引っ越しでようやく、他人の目を気にすることなく、ミーと一緒に堂々と暮らすことができるようになった。

 京介から手に入れた百二十万円には手をつけず、敷金や礼金、二ヶ月分の家賃はアルバイトで稼いだ金で支払った。

 新しいアルバイト先は、路上生活者を支援するNPOだった。

 ――将来的には、行き場をなくした若者たちが、真っ当な社会生活を営むことを支援する活動をしたい。

 漠然とではあるが、そんな未来を考えていた。

 百二十万円は、そのための資金にする予定だ。じゅうぶんな資金とは思えなかったが、それでも手元に纏まった金があるという事実は心強かった。


          *


 部屋でミーとじゃれ合いながら、祐真は事件について思いを馳せる。

 京介は望み通り、犯罪の証拠である免許証を生きている間に取り戻して、莉子は念願だった復讐を遂げた。そして祐真は、双方の手助けを果たすとともに、自分の手を汚すことなく京介に罰を与え、その対価として百二十万円を手に入れた。

 ――三人が三人とも、自分の望みを叶えたのだ。

 取り引き場所は、稲城市にある食品会社の廃工場。あの倉庫を取り引き場所に指定したのには、祐真なりの理由、いや拘りがあった。かつて、莉子とまどろむベッドの中で、莉子の母の記憶とともに、母がその食品会社の工場で働いていた事実を聞かされた記憶があったからだ。

 復讐には、それにふさわしい場所が用意されるべきだ。

 そう考え、舞台を整えた。

 事件後は、スマートフォンやSDカードなど、証拠となりそうな品物の処分も、怠らなかった。現場で回収した祐真名義のスマートフォンは、すぐに解約して廃棄した。

 マイクロSDカードの中身は、京介の話では“警視庁管内のとある警察署で、押収した現金の横領が組織的におこなわれていると内部告発した人物のインタビュー”だと聞いていた。

 ところが、実際に聞いてみると、酔っぱらいの世間話という表現がぴったりの、笑ってしまうほど薄い内容だった。確かに「交番で、拾得物である小銭の横領がおこなわれている」という発言はあったが、とても特ダネと言えそうな代物ではなかった。

 ――これを“警察権力に鋭く切り込むトップシークレット”などと周囲に吹聴していたとは、あの人も、とんだ食わせ者だ。

 もちろん、そのマイクロSDカードも、迷わず廃棄した。

「それにしても、あの人ときたら……」と祐真は思う。

 いくらボイスチェンジャーを使っているとはいえ、俺の声がわからないなんて。しかも、犯人捜しを思いとどまらせ、同時に俺自身に疑いの目が向くことを避けるために咄嗟に思いついた、拉致監禁という三文芝居にまで簡単に騙されるとは……。

 ――とんだ間抜けだ。

 そもそも、この事件のはじまりは、京介の写真を莉子に見せられたことだった。

「喫茶店で莉子から、明らかに免許証をコピーしたとしか思えない、あなたの写真を見せられたとき、そしてホテルで『写真の男が、兄を殺したに違いない』なんて言われたときは、本当にびっくりしましたよ。世の中、狭いですよねえ」

 莉子の兄を殺した殺人犯が京介であると理解したその刹那、祐真の中で小さな音を立てて何かが弾けた。京介に対する殺意を、心の奥の見えない部分にかろうじて繋ぎ止めていた、か細く弱々しい糸が切れたのだ。

 ――俺は、あの人に数々の罪をあがなわせる。そして、狭い籠の中から外に出て、自分の力で大空に飛び立つ。

 ――俺は、籠の文鳥では終わらない。しぶとく生き残ってやるんだ。

 もし、祐真自身が殺人犯と近しく、さらに被害者の身内とも親しい関係だったという奇跡的な偶然がなかったら。祐真は決して籠の外に出ることもなく、今も胸の奥に京介に対する殺意を抱いたまま、籠の底辺に近い場所から外の世界を見上げるだけの人生を送っていただろう。

 その奇跡的な偶然に、感謝するべきか、否か。それは、祐真には判断できなかった。

 ――そもそも正解など、あるのだろうか。

 祐真は、腹の上に載ったままゴロゴロと喉を鳴らすミーを、両手で持ち上げる。

「真実を知っているのは、お前だけなのかもな」

 語りかけながら、ふと窓の外に視線を移した。五月の澄み切った空が、青く広がっていた。


          *


 青空を見ると、祐真はいつも、なぜか莉子を思い出す。

 小笠原孝弘、通称コウなどという適当な名で莉子に近づいた理由は、もとはといえば桜木咲良のファンに依頼されたライバル潰しのためだった。

 だが、今となっては「京介を殺したい」という自分の願望を叶えるために莉子を利用したことに対して、申し訳ない気持ちを感じていた。

 京介から預かっていた合い鍵を使って、莉子と一緒に彼の自宅兼事務所に忍び込んで、あらかじめゴミ箱に入れておいた地図を見つけるなどという茶番にしても、同様だった。「一刻も早く兄の仇を見つけたい」と焦る莉子の気持ちを落ち着かせることが目的だったものの、今にして思えば、莉子の気持ちを弄ぶ結果になってしまった気がする。

 実は一ヶ月前、刑務所の莉子を訪ねた。

 多少痩せていたが、血色はよくて、表情も明るかった。

「紗英からね、手紙が来たの。彼女、とうとうトップ五の一人になれたんだって」

 もちろん、知っていた。だが、祐真は黙って頷いた。

「でね、今は色々あって来れないけど、いつか会いに来てくれるって」

 莉子は、夢を見ている子供のように無邪気に笑った。紗英の性格から考えると、恐らく嘘ではないのだろう。

 若者を支援する活動の話をすると、莉子はアクリル板越しに祐真の目を見つめながら、

「コウ君らしいね。コウ君は、優しいから」

 と、ぎこちなく笑った。

 面会時間の最後に尋ねてみた。

「出所したら、どうするつもりですか」

「今までのすべてを忘れて、見知らぬ土地でもう一度、人生を一からやり直そうと思う」

 莉子は、分厚いアクリル板の向こう側で、遠くを見た。そして、柔らかな視線で祐真の目を真っ直ぐに見ると、こうも言った。

「私の我儘につき合わせちゃってごめんね。今まで有り難う」


          *


「出所するのは、三年後、か」

 ミーを見上げながら、寂しそうな莉子の笑顔を思い出していると、独り言が思わず口を突いて出た。

 ――迎えに行こうか。

 予想もしなかった考えが頭に浮かび、祐真は慌てて(かぶり)を振った。

 莉子が出所する三年後、自分がどうなっているかは、わからない。ひょっとすると、再び籠の底辺に舞い戻っている可能性もないとは言えない。

 今の自分は、飛び立ったばかりだ。目的地に辿り着くまでは、羽ばたき続けなければならない。そうしなければ、あっという間に元の世界に逆戻りだ。

 ――答を見つけるのは、風に乗ってからでいい。

 気がつくと窓の外の太陽は、薄っぺらく広がる住宅街の彼方に沈みかけていた。

 オレンジ色の太陽を眺めながら、祐真は静かに呟く。

「俺は、しぶとく生き残るよ。芳江姉さん」

 祐真はゆっくりと立ち上がると、枕元に置いてあったペットボトルの水を、一気に飲み干した。


          (了)

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ