【3両目】
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決行の朝は意外とあっさり訪れた。お父さんとお母さんはは8時前には出発していたし、お兄ちゃんは昨晩から友達の家に泊まりに行っていて帰ってきてないし、早くも僕は一人になっていた。
お母さんが作り置きをしていてくれた朝食を平らげると、準備物をテーブルの上に並べて最終確認をしていく。
右から、寝袋、懐中電灯、コンパス、お昼ご飯のおにぎり、お菓子を少々(マシュマロは絶対!)、暇になった時用の本、替えのTシャツとパンツと靴下、折り畳み傘、そして、護身用の万能ナイフ。寝袋はそのままか継ぐとして、残りをリュックに詰め込んでいく。そうすると、意外とリュックはパンパンになってしまった。試しに背負ってみたが、入っているもの自体は軽いせいもあって、そこまで負担になりそうな重さではないだろう。
そこまでしたところで不意に電話のベルが鳴る。リュックを背負ったまま受話器を取る。
「もしもし、木宮です」
「おう、駿吾か俺だよ」
「あ、賢くん。どうしたの」
「いや、今日、集合場所に行く前に買い物に付き合ってもらえないかと思ってさ」
「ちょうどよかった。僕も、カメラ買いたかったから、買い物しようと思っていたんだ。賢くんちの近くのハーベストでいい?」
「おう、俺は大丈夫。じゃあ、12時半にハーベストの前で」
「うん、またね」
受話器を置く。ハーベストとは僕らの町にいくつかあるスーパーマーケットだ。大体何でも揃うから、みんなよく利用するんだ。
賢の声はいつもより上ずっていたように聞こえた。僕らは楽しみにしていた。この旅で何かが起こることを。期待していた。きっとそうだんた。何か大きいことを起こせると思っていた。
玄関の鍵を閉めて、首からかけてさらにTシャツの内側に入れる。ひんやりした鍵の感触が僕の胸に当たる。嫌いじゃない感覚だ。
「いってきます」
ミカはこの暑さのせいで日影で伸びていた。去りゆく僕を首で追いかけるのも億劫な様子で視線だけがしばらく僕についてきていたが、それもそのうち途切れた。
ハーベストに着くと、もう賢は到着していた。入り口で大きなあくびをしているところに声をかける。
「ふわぁぁ、あ、駿吾来たな」
「うん、おまたせ。おじさんとおばさんは騙せたの?」
「ん、さぁ」
「さぁって・・・」
僕は苦笑を浮かべる。
「まぁ、たぶん信じてるよ。基本的には放任主義の我が家なので問題なし。それより、駿吾のところは大丈夫?」
「うん。お父さんも、お母さんも朝早く出かけていったし、お兄ちゃんは泊まりに行って帰ってきてないから問題ないと思う」
「ふぅん。そんなら良かった。それじゃ、さっさと買うもん買って、集合するか」
僕らはハーベストの中を物色する。インスタントカメラを選んで、お菓子を少々買い足す。賢もなにか買っていたようだったがさっさと会計を済ませていた。
事件が起きたのは僕らがハーベストを出た時だった。
「おうおう、中坊がそんな大荷物抱えてピクニックかい?」
お兄ちゃんだ。洸太のお兄さんもいる。暴走族とかそんなレベルではないのだが、所謂、柄の悪いグループなのだ、彼らは。
「お兄ちゃん・・・」
「駿吾、どこにいくんだ?」
「え、えっと、いつものところで今日はキャンプするの」
「ぶわぁはっは!!」
洸太のお兄さんが笑う。笑い方はさすが兄弟。そっくりである。
「なぁ、聞いたか、キャンプだってよ。中坊がおままごととはお笑いだなぁ、こりゃ」
ふっと、背中が軽くなる。
「あ」
グループの一人にリュックを奪われてしまった。
「さぁて、ぼくー、今日の夕食はなんにしましょうねー」
ヘラヘラ笑う。僕らは手も足も出ない。賢も顔を真っ赤にして黙っている。
「ありゃ、これまたかわいいものつけてんじゃん」
リュックを奪った奴が僕のリュックについている星型のキーホルダーをいじる。
「あ、それはやめて」
「あぁ?」
「あ、いや、あの・・・大事なもの、なんです」
消え入りそうな声で抗議するものの、その声は最後まで届いたかわからないようなかの鳴くような声になってしまっていた。
「―――めろよ」
「ん?」
「―――めろって」
「おい、池口んとこのやつ、ブツブツ何言ってやがんだよ」
「やめろって言ってんだよ!」
喧嘩っ早い賢がキレたのだった。リュックを奪わんと掴みかかる。不意打ちの効果があったのか、リュックはなんなく奪い返せたものの、背後はがら空きだった。
「生意気なんだよ、おら」
賢の背中に肘が入る。繰り出したハーフ顔の彼は、この辺でも有名な札付きのワルだ。何度も補導されとかいう噂が絶えない。
「痛ってぇ、何すんだよ」
「お前が急に飛びかかるから悪いんだろ」
「どっちが先に仕掛けてきたんだよ」
「まだそんなことを言う元気があんのか。お仕置きしてやらねぇといけねぇな。年長者の言うことは聞くもんだぜ」
そう言うと、ニヤッと笑いポケットから折り畳み式のナイフをとりだす。
「賢くん、やめて、もう、いいよ、謝ろう」
完全にビビっている僕は賢に提案をした。
「駿吾は黙っとけ、このままでいいわけねぇだろうが」
だめだ、賢は完全に頭に血が昇っている。
「あーあ、お友達はお利口さんだったのになぁ。台無しだ」
鋭利な刃が賢の花先まで迫る。その時だった。
「こらーーーーー!あんたたち、また中学生イジメて!警察呼ぶからそこで待ってなさいよ」
野太い声が空を割く。彼らの後方からだった。ハーベストの制服を着た恰幅の言いおばさんが大声を出してくれている。
「ちっ、覚えておけよ。おまえ、次会った時には無傷で帰れると思うなよ。おら、ずらかるぞ、ボケっとすんな」
へなへなと座り込む僕。ナイフを向けられたままの姿勢で硬直していた賢も、思わず尻もちをつく。
「やべぇ、死ぬかと思った」
「僕も・・・」
さっき大声を上げ得くれたおばさんが駆け寄ってくる。
「あんたち、大丈夫だった?あら、池口さんちのところの賢くんじゃない。お父さんに連絡しようか」
親切なおばさんである。
「い、いや、親父には自分で言うから大丈夫です。ありがとうございました」
「本当かい?まぁ、夏は物騒なことが起こりやすいから気を付けるんだよ」
重ねておばさんにお礼を言って、その場を去る。
集合場所につくまで僕らは互いに無言だった。恥ずかしさ、悔しさ、無力さ、色んな感情がないまぜになってお腹のあたりをぐるぐるしていた。所詮は中学生だっていうことなんて自分で分かっているつもりだったけど、いざ、それを無慈悲につきつけられるとこんな気持ちになるんだろう。
でも、こんな自分を変えたかったんだ。きっと。
この旅で僕は変われると確信していた。どう変わるかはわからないけど、今の自分からは抜け出せるような気がしていた。
太陽は手頭上高く輝いていて、遠くに見える光岳も、さらに遥か遠くに浮かぶ白い雲も、なんだか旅の始まりにしてはおあつらえ向きに思えた。
土埃の向こう側、ハイキングコースでもある林道の入り口に2人の影が見えた。洸太も遅れずに来れていたようだった。
「二人とも、お待たせ」
「ううん、問題なし、時間通りだよ」
「シュン、おはー。俺、今日は腹痛くならなかったんだよ。奇跡じゃね」
千尋はハーフパンツに黒いスパッツを履いて完全に山ガールなら山ボーイ仕様となっている。上半身はサングラスをした白クマがプリントされたなんとも言えないセンスのTシャツなんだけど…。洸太は元気なのはいいんだけど、とにかくリュックがでかい。いったい何を詰め込んできたのやら。
「さて、もっかい道順を確認して出発しようか」
「おう、頼むぜ、千尋」
賢もそれまでのことがなかったかのように、元に戻っていた。
「うん。昨日も説明したようにこれからはしばらく、ハイキングコースに沿って歩いていく。そして、この辺り、市営の資材置き場のあたりから森林鉄道の沿線に抜けるために山の中に折れる。今日はたぶんそのあたりまでが限界じゃないかな。休憩は適宜とっていくとして・・・何か質問ある人いる?」
残りの三人が一斉に首を振る。
「おっけ、じゃあ出発前にひとつだけ。今回の目的は逃亡中っていう犯人を捕まえる、というよりは捕まえてもらうための有力な情報を手に入れるってこと。つまり、犯人を直接ぶん殴ろうとかは絶対考えないように。相手は仮にも3人を殺してるんだ。あと何人殺したって同じだ、ぐらい考えてたっておかしくないんだ。だから、万が一、森の中でそれらしい人物を見つけたとしても一人では追わないこと。身の安全を最優先に考えて行動するんだ。特に、賢と洸太の二人は暴走をしないこと」
「お、俺はわかってるよ」
不意に自分の名前を出されて賢がたじろぐ。洸太は「はいはーい」といつもの調子だ。
「それじゃ、洋館に向けて出発だ」
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