【4両目】
☆
「賢くん、待ってよー」
キラキラと背の高い木々の間から漏れる木漏れ日が眩しい。
買ったばかりのスニーカーが泥だらけになっていることも気が付かないくらい目の前を走る少年を追いかけていた。
「先行ってるからゆっくり来いよー」
呼びかけも虚しく、賢は森の奥へと消えていった。
後ろから、さわさわと草を掻き分ける音が聞こえて振り返る。
「誰!?」
背の高い草の間から、真っ白い腕がにゅっと飛び出して少年が現れる。僕は、安堵のため息を漏らす。
「なんだぁ、紫苑かぁ。びっくりさせないでよぉ」
夏にも関わらず、真っ白な彼はニッと笑う。さらに白い歯が眩しい。
「ごめんごめん。賢くんを呼ぶ声が聞こえたから、駿吾がこっちなんじゃないかと思って」
「賢くん速すぎるんだよー。僕の足じゃ追いつけないや」
「いいって、僕たちは僕たちでまったりやろうよ。良いポイント見つけたんだ。一緒にどう?」
高須賀紫苑は賢や千尋や洸太と同じ僕の幼稚園時代からの仲良しグループの一人。運動は苦手でピアノや折り紙などが得意で、とにかく手先が器用だった。そのおかげもあって、グループの中では僕とほとんど同じポジションですごくありがたかった。小学生男子といえば、やっぱり足が速くて、サッカーとドッジボールが上手じゃないとなかなか市民権を得ることができ無かった。でも、紫苑と一緒にいれば僕には居場所があった。だから、こうやってグループみんなで虫取りに来ても、僕と紫苑は一緒に回るのが常だった。
僕らは連れ立って陽の光を避けて森の中に入っていく。
「こっち、こっち」
紫苑が僕の手を引いて森を進む。真夏なのに彼の手はちょっと冷たい。
「紫苑の手、冷たくて気持ちいい」
「ん?なんか言った?」
(声に出てた!)
「い、いや、何でもない。それより、もう着く?」
紫苑に手を引かれてしばらく歩いた。全然お目当ての昆虫がいそうな木はない上に、進むにつれて少しずつ空気がヒンヤリしてきた。
「もうちょっと、あ、あそこ!」
紫苑が指さしたその先いあったのは朽ちた大樹だった。
「え、あそこ?カブトムシはいそうにないけど…」
「まぁまぁ、ちょっとこっち来て」
言われるがままに紫苑についていって大樹の裏側に回ると、そこにはぽっかりと穴が開いていた。
「ここね、自然のゆりかごみたいで気持ちいんだよ。ほら、駿吾、入ってみて」
そう言うと、紫苑は僕の肩をトンと押す。
「おっとっとっと」
ストンと座り込むように僕は大樹の根元に開いた穴に納まる。土と木の匂いに囲まれる。本当だ、何だろうこのフィット感。樹に抱き抱えられているような錯覚すら覚えた。
「ほら、どう?なんか気持ちよくない?」
少し得意げな紫苑に対して、う、うん、と僕はうなずくしかない。
「僕はこっちっと」
なんと、この大樹のゆりかごは二人掛けだったのだ.僕が座り込んだ左側にもう一つポケットがあって、僕らは鼻がくっつきそうな距離で向かい合うようにして大樹に抱かれた。
見上げると青空の変わりに緑色の絨毯が木漏れ日と共にキラキラ揺らめいている。
「なんか、ここ落ち着くでしょ」
「うん。木に抱っこされてるみたい」
「でしょ。僕も、最初にここに座った時、そう思ったんだ。やっぱし、駿吾とは気が合うなぁ。僕ら、ナイスコンビだよね」
紫苑がまた白い歯を煌めかせて笑う。つられて僕も笑う。
「僕もそう思う。ナイスコンビだ!」
「そうだ、新作の折り紙ができたんだよ。今度見せるから、ぼくんち来てよ」
「うん!約束する!」
しかし、その約束が果たされることはなかった。そして、この先も果たされることはない。
紫苑はあの夏にいる。僕らが置き去りにしてしまったんだ。
そう、僕らが紫苑を殺してしまったんだから。
☆
「おい、シュン?」
「え」
洸太が珍しく心配そうな顔で僕の顔を覗き込んでいる。
「だーかーらー、大丈夫って聞いてんの。シュン、上の空だったぜ、今。なんだ、悩みごとか?」
「い、いやぁ、ちょっと昔のこと思いだしてたんだ。紫苑のこと」
「あぁ、あいつ、ここ好きだったもんなぁ。虫全然取れないくせに、森のことは一番知ってた」
「うん、そうだったね」
会話が途切れる。柔らかい夏草を踏む音と、時折吹き抜ける風がこの世に残された唯一の音なんじゃないかと思うくらいだ。僕らの間で紫苑が話題にされることはしばらくなかった。というよりも、みんな意識的に話題に出すことを避けてきていた。
僕だってそうだ。あの日の、あの夏の後ろめたさ、罪悪感、それらすべてから少しでも遠ざかりたかった。
ついに沈黙に耐えられなくなったのか、洸太が口を開く。
「なぁ、紫苑はなんで森のこと詳しかったんだろうな。あの木がどうとか、この木がどうとかさ。病院にいて俺らよりも森に来ることなんて少なかったはずなのに」
「たしかに。僕、紫苑と一緒にいることが多かったからみんなよりもいろいろ教えてもらってた。誰かから聞いてたんじゃないかな」
「まぁ、答えは紫苑しかわからねぇな」
「ところでさ」
僕はこれみよがしに話題を変える。
「ん」
「洸太くんはそんなに大きなリュックで何を持ってきたの?」
「あぁ、これな」
背中に乗っている大きなリュックをポンポンと得意げにたたく洸太。
「中身は秘密だ。でも、間違いなくみんなのためになるものだぜ。夜になったら教えてやるから、楽しみしとき」
「気になる言い方するなぁ。でも、重くないの?」
「大した重さじゃねーよ。ほら、余裕余裕」
そう言って軽くジャンプしてみる洸太。こんな無邪気にはしゃいでいるところをだけ見たら、女子たちにもモテそうなものなんだけど。僕からしたら、もう見飽きるほど見てきた顔だけど、よく見ると結構かわいい顔立ちをしてるんだ。いつも眠たげな二重の目とぷにぷにのほっぺ。まぁ、それを帳消しにするだけのうるささと空気の読めなさが女子たちを遠ざけている。ま、当の本人も女子には今のところ興味もないみたいだけど。きっと、僕らとワイワイしている方が楽しいんだろう。
そして、余裕と豪語していた洸太がばてるまでそう時間はかからなかった。
「ねぇ、ちひろーちょっと休憩しないー?」
先を歩いていた千尋と賢が振り返る。千尋の顔が既に呆れているところが面白い。
「はぁ、だから荷物は少なめにしろって言ったじゃんかよ。まだ、ハイキングコースから出られてないし休んでる暇ないんだけど」
「まぁまぁ、そう固いことを言わずに、お願いしますぜぇ」
軽くあしらわれてもなおも食い下がる洸太に千尋も面倒臭くなる。
「あぁ、もうわかった。10分だけな。もう少し行ったところの廃材置き場で休憩にしよう」
洸太の顔がぱぁっと明るくなる。
「さすがは千尋くん、ありがとう」
はいはい、と片手であしらう千尋はもう洸太の方を見ていない。
この辺りはまだ、僕も来たことのある範囲だ。休憩場所にしようとしている廃材置き場も、小さい頃は僕らの秘密基地代わりだったこともあった。
「良かったね」
小声で洸太に言うと、
「うん。千尋はああ見えてすげー物分かりがいいやつだからな」
ニッと白い歯を見せて笑う。
「洸太、ずいぶん偉そうだな。聞こえてるんだけど」
さっきよりもうんと近くを歩いている千尋の背中から声が飛んでくる。
「あ、いやいや、別に悪口とかじゃなくて、いやぁ、話をよく分かってくれるなぁって」
「どうしてお前はそんなに分かりやすく焦ることができるんだよ。漫画見てるみたいなんだけど」
賢が洸太を茶化す。僕がクスクス笑う。洸太がわざとらしく頭を抱える。千尋が八重歯を見せてふっと笑う。吹き抜けていく夏の風。この瞬間が僕は大好きだった。まさに平和だ。
廃材置き場はハイキングコースの本線から少し外れた森の中に突然現れる。ぽっかりひらけた広場に、小屋が一つだけ。いまはそれ以外に何もない。
「お、見えてきたな。懐かしいなぁ」
そう言うと賢が少し小走りで広場に入っていく。
「とりあえず、あの小屋を使うか。鍵かがかかってないといいけど―――」
千尋が言い終わる前に、洸太はもう小屋の戸に手をかけて勢いよく開けていた。
朽ちているわけではないが、年期が入ってボロボロになった小屋。しかし、室内は意外と整頓されていた。まぁ、ものはほとんど残されていなかったから、棚などがある程度しっかり整理して置いてあったという方が適切だけど。
「洸太、扉開けたままにしておいて。風通し悪いから」
賢はこの中で一番暑がりなんだった。すでに、かぶっている白いキャップと髪の毛の間から大粒の汗が流れている。
「じゃあ10分後の出発ね。おれ、ちょっと手洗ってくるわ。あっちの水道まだ生きてるかなぁ」
千尋がそう言いながら小屋を出る。たしか、小屋の裏手に水道があった。千尋は汗をかいているものの、どこか涼しげ。なんだろうあの清涼感。
そういえばさあ、と賢が急に思いだしたように話しだす。
「昔、洸太がここで捕まったことあったよな。名前なんだっけ、あのグラサンしてるおっさん」
「あったあった、廃材の丸太に洸太が縛られたやつね。あん時は洸太が絶対に入っちゃいけないって言うのを無視して忍び込んで、逃げるときに挑発までして捕まったんだよね。めっちゃ怒られたの覚えてる」
あの時は5人だった。廃材とはいえ、子供が触ったら危険な道具も含め置いてあったこの場所は当然、立ち入り禁止だった。ただ、僕らにとっては絶好の遊び場。大人の目を盗んでは不法侵入を繰り返していたのだった。
「その話はもうやめてくれ、田所だよ、タ・ド・コ・ロ。あのおっさんの名前。あんな恥ずかしい思いさせやがって、今でも俺は許してねぇんだ」
今でこそ洸太は息まいていたけど、あの日は目も当てられないくらいすでに華奢なその肩をさらに小さくさせてシュンとしていたんだ。僕らはその日を境にここには近づかなかった。というよりも、洸太が近づきたがらなくて僕らも自然と遠ざかっていた。
「まったく、あの日の洸太はまだ可愛げがあったのになぁ。いまでは可愛くないサルだもんなぁ。しみじみ」
がちゃ、っと扉が閉まる音がして僕らが振り返ると、手は無事洗えたらしく、両手を空中でぶんぶん振りながら千尋が戻ってきた。僕は千尋以外に「しみじみ」を口に出してしみじみする人を見たことがない。昔っから口癖なんだ、彼は。
「千尋は口わりぃなぁ。その八重歯、千尋だって犬みたいだよな。あ、犬猿の仲か」
慣れた調子で千尋の毒舌をかわして反撃に出るも、攻撃にならない洸太。
「お前らは二人で漫才してろよ」
賢が突っ込む。
「誰が、こんなやつと!」
犬猿の二人の声が重なる。
「あ、ハモった。お似合いだね」
僕が思わず口を滑らす。
キッと睨みを二人に返され、肩をすくめる。
「はいはい、じゃあそろそろ出発するよ」
「えーまだ全然休んでないって」
洸太がそう言うと、千尋はおもむろに腕時計を確認する。
「洸太くん、今、我々が休憩をはじめて9分38秒を過ぎたところですよ」
「時間、計ってたのかよ。こわー」
「うるせぇ。これも予定通り、目的を達成するためなんだから」
「へいへい。あ、おれ、インタビューの内容考えなきゃいけないんだった」
まぁ、せわしないやつなんだ、洸太は。
それぞれが出発の準備を整えて、小屋を出ようとする。その時だった。
「ちょっと、待って」
賢が小声で僕らを制止する。
「なんだよ、賢まで。休憩は終わりだって」
千尋がいつもの調子で返すといつになく真剣な表情で賢がくすんだガラス窓の向こう側を指さす。
「え?」
そう言って千尋と洸太が覗き込む。
「ちょっと、ぼくにも見せてよ。どうしたの?」
「噂をすればなんとやらか・・・」
賢が苦笑する。洸太はがっくりと肩を落としていた。
洸太が窓から離れたところでやっと僕も窓の外を確認する。
「あっ」
窓の向こう側、ちょうど僕らがハイキングコースから逸れて入ってきたその道から彼はこっちに向かって歩いてくる。
「なんで今日に限ってあいつがいるんだよ。しかも、もうここ使ってないんだろ。サイアク」
数年ぶりに彼の姿を見たが、短髪にサングラス。真っ白なTシャツに派手な柄のシャツを羽織っている姿は、あの頃をそのまま再現しているかのような出で立ちだ。
「裏の水道が使えたあたり、まだ時々ここを使っているんだろうな」
「千尋、冷静に分析してる場合じゃないだろ。どうすんだよ」
洸太の焦りがピークに達していく。
「ええと、正面は無理だし」
千尋も予期していないことではすぐに答えは出せない。
田所氏はどんどん広場を小屋向かって突き進んでくる。
考え込む千尋に対して、賢の頭の回転は速かった。おもむろに部屋の隅に置かれているチェストボックスを押す。すると、大型犬用のペット用入り口が顔を出した。
「これ、むかしアイツか飼ってたデカい犬が使ってるの見たことあったんだ」
「賢、ナイス」
千尋が賛辞を送るのもつかの間、田所氏はさらに小屋へと近づいてくる。
「ほら、一番い小さい駿吾から行って」
僕は賢に言われるがままに通り抜ける。次に千尋、その次は洸太。
「痛ててて、リュックが引っかかった。賢、押して」
犬用入り口でもがく洸太。一番、焦っているのは彼だったし、それ以上にここに来てもその大きい荷物が彼の邪魔をする。
「洸太、押すぞ」
「あ、あぁ、頼む・・・ん、うげぇ」
賢に相当乱暴に押し出された洸太だったが、抜け出せたことで感謝をしている様子だった。最後に賢がするりと通り抜けて、可能な限り穴からチェストボックスを引き戻す。賢がその動作を終えるのと、田所氏が小屋に入るのはほぼ同時だった。
チェストボックスの向こう側でドアが閉まる音を背中で聞いて、僕らは来た道ではなく、小屋の裏手からそのまま森の中に入り、少し遠回りをしてハイキングコースの本線に戻った。
あの日のことを改めて思いだしたのだろう。洸太はどことなく青ざめていて、静かになっていた。小さいころのトラウマというものは、思った以上に長く付き合っていかなければいけないのかもしれない。
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