初話 嵐の川で
暗雲が立ちこめていた。
大きな雨音と共に、時折轟く雷鳴が、人々の心を不安にさせる。川が氾濫し畑が泥水で犯されていく。動物達は小さな屋根の下で集まり、この大きな災いが去ることを願っている。
ソレイユは荒れていた。このひと月で、今まで出会ったことのない嵐が、すでに四度この地を襲っていたからだ。特に今は【第九節】、本来であれば、せっせと畑を手入れし、秋の収穫を待つ時期であった。民衆の間には家を流された物も、そしてこの大雨の中、川に飲み込まれた者もいる。
人々はまさに絶望の淵に立たされていた。
と、暴れまわる川の様子を見守る者が一人。傘も差さず、この嵐の中、川べりに佇んでいる。
「殿下、危険です。お下がりを」
その後ろから声をかけた者がいる。
「天啓か」
殿下、と呼ばれた人物は、川を見つめたままそう言った。
「はい、殿下。その身になにかあれば一大事。お下がり下さい」
天啓と呼ばれた男は、真剣な声でそう言った。
だが、【殿下】はニヤリと笑いながら、より川の方へと近付いていく。
「殿下!」
「お前は心配性よなぁ」
殿下は溢れ出る大量の水に手を触れた。途端、指先が弾かれた。
「おっと…」
まるで牛の群に手を突っ込んだような衝撃だ。
「いい加減にしろリュミエール!」
天啓は【殿下】、リュミエールの首元を掴むと、後ろに引っ張り倒した。
「はう!」
「付き従うこちらの身にもなれ!」
リュミエールは引っ張り倒された衝撃で一回転し、うつ伏せに倒れている。
「天啓、貴様…己が主人に向かってなんという不敬を!」
リュミエールは起きあがると拳を握りながら天啓を叱咤した。その顔は泥だらけである。
「知らん。忠告を聞かないお前が悪いのだ」
「ぬ…」
リュミエールは天啓の冷静な反応に尻込みをした様子だった。
「やれやれ、だが天啓よ、この川を見ろ」
リュミエールは顔についた泥を拭いながら川の方を指差した。
「まるで牛の群が大地を駆け巡るが如くよ。地を裂き、草木を飲み込み、それに近づくものに牙をむく。まるで我等に大地が怒り狂っているようではないか」
そう話すリュミエールの顔には憂いがある。それは、この荒れ狂う川に見える、祖国に対する憂いである。だが、その言葉に天啓は頭を振るった。
「いや、それは違うぞリュミエール。これはただの自然現象だ。今年は海からくる風が暖かく、しかもソレイユに連なる山々に向かって吹いている。故に嵐となるのだ。断じて…」
「話が長いのじゃ」
「悪かったな!」
リュミエールは長い話が嫌いだった。その悪態に天啓はやれやれと頭を抱えている。
「さて天啓お主の言いたいことはわかった。だがそれは民衆には分かるまい。彼らの中にはこれご魔女の仕業という者もいる。さすれば、この難を取り除かなければ、民の心は休まるまい」
リュミエールの言葉は尤もなものである。原因はなんにしても、まずは状況を打開する必要があった。
「分かったよリュミエール。そうだな、まずはその泥だらけの格好を何とかしようか。そろそろ風邪を引きそうだ」
そう言って天啓は土手を上がっていく。
が、急に足を引っ張られ、地面に顔を叩きつけてしまった。
「何をするんだリュミエール!」
天啓は顔を泥だらけにしながらそう叫んだ。
「仕返しだ!はははははは!」
リュミエールはそう言って笑うと、駆け足で土手を上っていった。
「待て!リュミエール!」
天啓もそれに続き走っていく。二人はまるで雨など降っていないように笑いながら。その顔にはまだ憂いがあるものの、それでもどこか晴れ晴れとしているようだった。




