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享楽

宰相視点です。

「ルーカス、もう終わったから、私はアレックスのところに合流するぞ。」



アイギス国王を易々と殺害し、この場を血の海に変えたクリスが無表情、無感情なまま淡々と言葉を紡ぐ。

血をまともに被ったクリスは、ポタポタと血を滴らせてそのまま出て行こうとしているので、眉を顰め引き止めた。



「クリス、こっちへ来い。お前血まみれだぞ。」


「それが?」


「とにかく。こっち来い。」


首を傾げながら、自分の方へ歩いて来たクリスにべったり付いている血を、ハンカチで拭う。

せっかくの美しい黒髪に他人の血がこびり付いて、ごわついている。それが堪らなく不快だ。


「クリス、お前血を避けられるだろ。わざわざ血を被る必要なんてないじゃないか。」


「アレックスが血を被っても問題はないって言った。」


「またアレックスか…。」


「ルーカス?なんで怒ってる?」



顔を拭かれながら無表情ながらも、きょとんと自分を見てくるクリスにため息をつく。


確かに俺とクリスはアレックス…ルグレス皇帝アレクサンドロの所有物だ。俺は自ら進んでアレックスの駒になった。それに後悔はしていない。



初めて城に上がりアレックスに会った時に感じた違和感は、言葉に表し難かった。

周囲の人間は、天使の様な愛らしさと慈愛の心を持つ王子だと手放しで絶賛していた。だが、実際のアレックスは兄の皇太子殿下を愚か者と見下し、父であるナバレル皇帝を無能と評していた。

時折その紫電の眼に宿る嘲笑を何に例えるのが適切だったのか。俺には、この自分より幼い子供が恐ろしく、何よりも面白く感じていた。




「僕が皇帝になるのを近くで見たいでしょう?」




そう言われて、俺は全てをアレックスに託す決意した。



元々俺は、レイエス公爵家の三男坊だが実際は違う。レイエス公爵はレイエス公爵でも先代の公爵、つまりは現レイエス公爵の父に当たる人物、それが俺の実父だ。


先代は昔から女癖が悪かったようで、爵位を息子に譲り、自らは隠居した年になってからも女を囲っていたらしい。俺の母に当たる人物も、その囲われていた女の内の一人だ。


女が身ごもった事がわかると、先代は柄にもなく喜んだ。老いた自分にも、まだまだ男としての機能があったことがわかったのが嬉しかったのかはどうかはわからないが、妊娠した女を甲斐甲斐しく世話したらしい。


ただ、レイエス公爵家の醜聞となることを嫌った先代は、息子の現レイエス公爵に生まれてくる子供を、自分の子供として育てることとした遺言を、息子に向けて残した。

その遺言は、俺が生まれてから直ぐにその効力を発揮した。生後間もなく、先代は死去し、俺は現レイエス公爵家に息子として引き取られた。


ただ、正妻の子ではなく、レイエス公爵の愛人が産んだ子として。


俺の実母は、俺を産んだ後、レイエス公爵の情婦となったらしい。

俺は一度も会ったことがないので詳しくは知らないが。


レイエス公爵。実際は俺の異母兄なのだが、書類上は父である。その父は、俺に対して一切の愛情を見せなかった。父だけではなく、母や二人の兄――実際は義姉や甥なのだが――にも冷遇された。それだけではなく、レイエス家に使えている使用人ですら、俺を見下していた。


万事がそんな感じなので、俺は毎日をただ無気力に過ごしていた。しかしながら、頭の方は天武の才か、幼い頃から兄二人を早々に追い越し、アレックスに会った当時では、既に高官レベルの勉強をしていた。


そして母親の血を継いだのか、俺は忌々しいほどの女顔だった。この顔が役に立つのは後々になってからのことだったが、当時は男の格好をするより、俺への嫌がらせから女の服装を着せられた事が多かったように思える。

当然、兄二人には苛められ、助けてくれる味方なんていない中で、俺はアレックスに出逢った。



アレックスの駒になった後から、レイエス家での待遇が少しだけ変化した。兄二人は愚鈍なので、アレックスや皇太子の学友には成り得ず、父のレイエス公爵は、俺がアレックス王子と学友になった為に、王宮内での鼻も高かったはずだ。今まで無視していた俺に声をかけるようになっていた。


しばらくして、父から許可が出た社交界に顔を見せるようになると、女達が寄ってきた。貴族の娘や、未亡人。その度に、忌々しかった顔に纏った笑みが役に立ったと思う。なにせ、俺より美しい女はいなかったから。


ただ、ヤバかったのは裏で声をかけられた貴族の御曹司連中だった。こいつらは俺が聞いた話だと、男色愛好家会なるもののメンバーらしい。悪いが俺にはそっちの興味は全く無い。

しかし腐っても貴族なので、当たり障りのない会話をし、そのままそいつらとは別れた。



それからしばらくして。



俺はクリスと出逢った。



「ルーカス、この子クリスティーナ。マサイアス家の女の子。お願いして僕が貰っちゃったんだー。可愛いでしょ?」


「貰ったって…マサイアス家って皇帝お抱えの暗殺一家のか?」


「そうだよぉ。この前メイフィールド伯爵のバカ息子が死んだでしょ?あれやったの、この子。しかも初仕事。頼もしいよねー。」



ねーぇ?と可愛く言いながら、アレックスはクリスティーナと呼ばれた女の子を抱き締めている。


メイフィールド伯爵のバカ息子と言えば、帝国大臣家の一つ、メイフィールド伯爵の一人息子。以前俺が誘われた男色愛好家会なる集団の筆頭メンバーではなかったか。その男が殺害されたという噂は瞬く間に知れ渡った。

まさかそれをやったのが、こんな小さな女の子だったとは…。

いささか信じられず、マサイアス家の人間を凝視する。


長い黒髪が真っ直ぐに腰まで伸びている。眼は珍しい紅。肌は透き通るほど白い。人形のような可愛らしい子供であるが、表情が全く無い。

王子であるアレックスに背後から抱き締められ恥ずかしがるわけでもなく、かと言って憤るでもなく…この子には、自分の感情と言うものがないのだろうか。



「アレックス、この子幾つだ。お前より年下じゃないか?」


「えーっと。クリスティーナ、君今何歳?ちなみに僕今8歳で、こっちのルーカスは10歳だよ。」


「…5つ…」


「5歳だってー。声も可愛いねぇ。」



むぎゅーっとアレックスに抱き締められているクリスティーナに瞠目する。

5歳…。こんな年端もいかない子供が暗殺者だとは。しかも全く悪びれる風もない。これが皇帝お抱えのマサイアス家の実態なのか…。



「クリスティーナ。お前はアレックスの専属の殺し屋になるのか?」


「…さぁ?どうするんだ?王子。」


「アレックスでいいよ、クリスティーナ。うーんとねぇ…君さ、僕が皇帝になったら、元帥にならない?で、ルーカスが宰相。悪くないでしょ?」



くすくす笑いながら、えげつない事をサラリというこの王子は本当に面白い。ちらりとクリスティーナを見ると、別にどうもしないという顔をしている。


「ね、ルーカス。クリスティーナが元帥になるのって難しいかなぁ?女の子だもんねぇ。」


「そうだな。軍に女は生きにくいだろう。だが、クリスティーナはマサイアス家の人間だろう。いくら子供だろうが、帝国の准将クラスの軍人でも、手が出ないほどの力あるぞ。しかしな…。」


「うーん、じゃあさぁ、女の子だって知ってるのは僕達だけにしようか。名前もクリスティーナから、クリスティンに変えよう。それだったらいいんじゃない?ね?クリスティーナ?」


「…それでいいなら私は構わない。」


「じゃあ決まりだねー。」



問題は解決とばかりに破顔したアレックスは、クリスティーナの頬にキスをした。

おいおい、子供のたわいのないイタズラだって言うのはわかるが、お前は一応王子だろう。

一方、されたクリスティーナの表情は一切変わらない。ただ一言ポツリと零した。



「初めてそんなことされた…」



あぁ。この子も俺と同じ。誰にも愛情を与えられずに育ったのか。


クリスティーナの黒い髪を撫でてやる。柔らかく絹のような手触りがする。ふと、思いついた事をアレックスに言ってみる。



「アレックス。お前にクリスティンはやる。クリスティーナを俺にくれ。」



言われた言葉が意外だったのだろう。アレックスは珍しくポカンとしている。暫く俺を見た後、クリスに目を移し、ニコリと笑った。

了承したという意味で取っても構わないんだな。アレックス。



それから5年後。


俺とアレックスの密約通り、アレックスは皇帝に。俺は宰相に、そしてクリスは元帥になった。


アレックスが皇帝になった時に行った粛清で、邪魔だった兄二人をリストに載せた。あいつらは国庫から微々たる金額を着服していただけだったが、俺がレイエス家の家督を継ぐのに、あの愚鈍どもは必要ない。最も、生かしておいたところで、顔だけの世間知らずな長兄では、すぐさまレイエス家を没落させたであろうが

父のレイエス公爵は、持病が悪化した。とは世間向きで、実際は何年も前から毒を盛られていたのだ。盛っていたのは、奥方だ。


愚かな女だ。

散々俺を蔑んでいたくせに、俺の身体が大人になるにつれ、あの女は自分から誘ってきた。クーデター前の当時、既に女の身体を知っていた俺は、暇だったし、奥方のあからさまな誘いに乗った。

旦那は俺の実の母親に夢中らしく、暫く帰って来ていない。鬱積していた性欲が、あの女にはありすぎた。そして俺に対しての独占欲と他の女に対しての嫉妬心が出てきたのだろう。いい加減うっとおしいと思っていた頃に、あの女は自分から言い出した。



「ねぇ、どうしたらあたくしだけを見てくれるの?他の若い女の方がいいの?」


「そんな事はないです。あなたの事だけ見ていますよ。」


「嘘ばっかり!!知っているのよ?アレクサンドロ王子の遊び相手にと連れて来られたという、クリスティンっていう子、あの子が貴方は好きなのでしょう!?」


「なにを愚かな事を仰います。あの子は男の子ですよ。ご承知でしょう?」


「違うわ!!あの子は女の子よ!!知っているのでしょう!?何故あたくしに嘘をつくの!?どうしてあたくしだけを見てくれないの!?」



ちっ。…この女に知られていたとは誤算だな。広まらないうちに始末するか。もうこの身体も飽きたし。

何より、俺はこの女のような醜悪なイキモノになぞ興味はない。



「では…俺のために何でもしてくださいますか?」


女の顎を持ち上げ、目を合わせる。そこに浮かべたのは、極上と称されている笑顔。


「…レイエス公爵の爵位を俺に下さいませ。」


「そ…そんな…。どうやって。あの人がまだ爵位を持っているもの。貴方が継げるわけが……ルーカス…まさか…あたくしにあの人を殺せと…?」


「お願いいたします。母上。」


「ダメよ…できないわ…いくら貴方の頼みでも…」


「では、もう俺達は終わりにしましょう。もうあなたとは一切こういった事をしません。他の女の元へ行きます。」


「そんなっ!!ダメよ!!お願い、行かないで!!何でもする!!何でもするから!!」


「本当に?」


「約束するわ。貴方を失う方が恐ろしいもの…。」


「素直で可愛らしい人ですね、母上は…。」



そのまま顔を近づけ、女と唇を合わせた後は、彼女に好きにさせる。

俺の頭は酷く冷静で、煩く喘ぎ声を上げ、腰を振っている女をだだ醒めた目で見ていただけだった。



父に毒が盛られていたという事は、家内で隠密裏に処理され、ついでに盛った犯人は自殺という形で幕を降ろした。

あの女は、最後の最後まで俺に利用されてくれた。ある意味、愚直さに感謝だ。




「ルーカス、君さ、レイエス公爵に何したの?」


「俺が?あれは、持病が悪化したんだ。年も年だったしな。」


全部わかっているだろうに、アレックスはわざわざ俺に聞いてきた。俺はただ、ふっと笑っておいた。

にこやかに笑いながらアレックスは、クリスを撫でていた。


「酷い男だねぇ、ルーカスは。ね、クリス。ルーカスは止めておきなよ。」


「止めるも何も…私はアレックスとルーカスのものなのだろう?」


「ま、そうなんだけどね。」


「アレックス、もういいだろ。おいで、クリスティーナ。」


クリスを引き寄せて、抱き締める。

あの女の匂いが身体に染み付いている気がする。クリスを抱き締める事で浄化はされないのだろうか。


クリスの、何者にも汚されない魂が俺には眩しく、羨ましい。クリスはどんなに血にまみれようと、その根本は真っ白で穢れがない。

だから、俺もアレックスもクリスを手元に置きたい。自分達がどれだけ汚い事に手を染めているかを知っているから。俺達が持ちえない、抗い(あらが)難い穢れなき魂。


この思いが恋なのか、執着なのか、憧れなのか。



愛なのか。



俺は自分の穢れを浄化してもらいたい。クリスティーナ以外にはそれが出来るなんて有り得ない。

多分アレックスもそうなのだろう。


だから俺は、アレックスの駒であると同時に、クリスの目付にもなった。


クリスティーナは俺のもの。


誰にも渡すつもりはない。






「もう落ちただろう?もう行くぞ。」


丁寧に血を拭かれたクリスが身じろぎをする。

早くアレックスと合流したいのだろう。



「クリスティーナ。」



ピクリとクリスが反応する。普段は表情が無いくせに、クリスティーナと呼ばれると少しだけ――俺とアレックスがわかるだけだが――表情が表れる。

その顔が嬉しくて、ついクリスティーナの唇に付いた血を舐めた。そのまま唇を重ねて、互いの口の中に血の味が広がる。


錆びた鉄の味がする。思わずキスに夢中になっていたら、背後に敵の気配がした。

その瞬間、クリスの双剣の一本が敵の喉に刺さっていた。


「ルーカス…もういい。」


息も絶え絶えなくせに、眼はすでにクリスティンになっている。

あぁ、もう少し味わいたかったんだが。


「名残惜しいが仕方ないな。クリス、早くアレックスの所に行ってやれ。」


「あぁ。そうだ、ルーカス。」


「どうした?」


「少しだけ、抱き締めてくれ。」



両手を広げて、俺の腰に抱きついてくる。クリスが甘えてくるのはめったになく、一体どうした事かと訝る。華奢な身体を抱き締め、髪を梳きながらクリスに問いかける。


「どうした?」


「何でもない。もう少しだけ。」


「そうか。」



クリスの好きなままにしておこう。

普通なら甘えても許される年なのだし、これからアレックスと共に再び血にまみれるのだろう。

不本意ながら、クリスは血が似合う。生まれついた暗殺者。



だが、俺のクリスティーナだ。

感情と表情の乏しい、可愛い可愛い俺のクリスティーナ。



「行ってこい、クリス。ちゃんとアレックスと一緒に戻ってこい。俺は待ってるから。」


「うん、行ってくる。」



俺の腕の中から抜け出し、先程刺し殺した刺客の首から剣を抜き取り、ひらりと扉に向けて歩いていくクリスを見送る。



俺の身体から、クリスティーナの暖かさが消えていく。

だが、クリスティーナが戻ってくるのは俺の腕の中だ。





俺はアレックスの忠実な駒。



クリスはアレックスの忠実な(いぬ)



クリスティーナは俺のもの。



絶対に誰にも渡さない。

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