1.おはよう
「おはようございます、アカツキ様。今朝はとっても良いお天気ですよ」
薄暗い部屋にカーテンの開く音が響き、朝の光が差し込む。
カーテンを開いたのはコハルという、キーストン家で働く使用人だ。淡い茶色の髪を後ろに丸くひとつにまとめ、キーストン家を象徴する深緑色のワンピースに白いエプロンを身につけたコハルは、慣れた手つきでもう片方のカーテンも開いていく。
「こんなに良いお天気は久しぶりです。きっと風の精霊もたくさん舞い踊っているんでしょうね」
窓を開けると心地良い風がコハルの顔をくすぐる。
長く降り続いていた雨がようやく上がり、今朝は雲一つない青空が広がっていた。こんな日は風の精霊が喜び舞い踊る姿が見られるという。
残念ながらコハルは精霊が見えるほどの高い魔力は持っていないので、その踊りを見ることはできないのだが。
「今日は何か良いことが起こるかもしれませんね」
コハルは少し冷んやりとした空気を胸いっぱいに吸い込んだ。
風の精霊が舞う日は、幸せな巡り合わせが訪れるという古い言い伝えがある。
特に長く降り続いていた雨が上がった日など、風の精霊は雨の間踊れなかった分まで存分に踊り出す。風の精霊が踊れば踊るほど、あらゆる所に新たな風の流れが生まれる。この新たな風の流れを"新しい縁"と擬え、風の精霊が舞えば舞うほど幸せな巡り合わせが訪れる、と言われるようになった。今では単に、風の精霊が舞う日は良いことが起こりやすい、と言われることが多いが。
「そうだ!今日のお昼は大広場まで足を伸ばして、外で食べるのもよさそうです」
ここまでコハルが一方的に話しかけているが、依然としてベッドに寝ているアカツキと呼ばれる人物は起きる気配がない。しかしコハルは気にする様子もなくひとり喋り続ける。
「そうそう、大広場のサンドイッチ店では、スイーツサンドイッチというものが新しく販売されたんですって。それがまた美味しいと評判なんです。一度は食べてみたいなぁと思ってるんですけど…」
いつも売り切れてるんですよね、と残念そうに呟いてカーテンを整え、タッセルで束ねる。
「さてと、お昼ご飯を外で食べるためにも、掃除に洗濯に、頑張りますか!」
コハルはよしっと軽く気合いを入れ、腕まくりをした。
その時、ギシっと何かが軋む音がした。
コハルは怪訝に思い、音がした方へ眼を向けると、ハッと息を飲む。コハルが目にしたのは、ベッドで寝ていた人物が今にも起きようと身を起こしている姿だった。
コハルが唖然としている間に、その人物はゆったりとした動作でベッドの上に身を起こし、コハルを見つめた。
それは、長く艶やかな黒髪を肩に流し、気だるげな雰囲気をまとった男性だった。
「…おはよう、コハル」
少し掠れた声に気づき、手を首にあて、んん、と声の調子を整える。それから窓の方へゆっくり目を向けた。
「…本当だ、風の精霊が楽しそうに踊っているね」
そう言うと、少しくすぐったそうにして顔を背けた。悪戯はやめてくれるかな、と言いながら顔の周りにいる何かを——コハルには何も見えないが——指で追い払う。
コハルは瞬きするのも忘れ、目の前の光景をただただ茫然と見つめていた。
しばらくすると落ち着いたのか、男性は顔にかかった長い髪を指でそっと払うと、再びコハルの方へ視線を向けた。
「…たしかにとても気持ちの良い朝だ。外で過ごしたくなる」
そう言って穏やかに微笑んだ。
「〜〜〜〜〜!」
コハルはとうとう声にならない声をあげ床にへたり込んでしまった。コハルが驚くのも無理はない。
何せ、2年以上もの間眠りについていた人物が、今、起きたのだから。




