第一話「人質」
静かだった。
音はある。人もいる。だが、空気は止まっている。
幼い少年は、そこに座らされていた。
立つことも、歩くことも許されない。ただ、その場に存在し続けることだけが求められている。
人質。
その言葉の意味を、少年はまだ完全には理解していない。だが、自由がないという事実だけは、はっきりと分かっていた。
逃げられない。逆らえない。
泣くことも、叫ぶことも意味を持たない。
少年はただ、見ていた。
行き交う大人たちの顔。交わされる言葉。わずかに変わる空気の流れ。
理解はできない。だが、“何か”が動いていることだけは感じていた。
「動くな」
低い声が落ちる。
命令だった。
少年は小さく頷く。それでいい。それが正しい。
逆らう理由も、力もない。ただ従う。それが、生きるということだった。
外では風が吹いているはずだった。だが、その音はここには届かない。壁の向こうにある世界は、まるで別のもののようだった。
閉じられている。
空間も、時間も、未来さえも。
少年は目を伏せる。
考えない。感じすぎない。
それが、正しい。
それが、生き残る方法だと、幼いながらに理解していた。
やがて、誰かが言った。
「待て」
それは命令ではなかった。
だが、逆らえない重さがあった。
曖昧で、しかし確実に残る言葉。
少年はその言葉を聞いた。意味は分からない。だが、消えなかった。
「待て」
その一言が、心の奥に刻まれる。
時間が過ぎる。何も変わらない。
変えられない。
それでも、少年はそこにいる。
動かず、ただ待っている。
何もできない場所で、何もしないこと。
それが、生き残るための唯一の手段だった。
やがて日が傾く。
光が弱まり、影が伸びる。
だが、少年は動かない。
動かないことが、生きることだからだ。
後に、この少年は名を知られる。
徳川家康。
だが、この時はまだ何も持たない。
力も、地位も、未来さえも。
ただ一つ、残ったものがある。
――待つこと。
それだけだった。




