②
目を覚ましたのは深夜だった。柱時計の振り子の音が闇にくっきりと冴えて、少しこわい。泣きすぎてまぶたが重い。頭も、にぶく痛んでいる。
更紗の姿は、消えていた。
トイレに行こうと階下に行くと、風を感じた。縁側の戸があけ放たれているんだ。
闇のなかに、まるで人魂みたいに、ぽうっとオレンジ色のひかりが揺れている。その光に照らされている、ひとの影。更紗かな、と思って近寄れば、それは凪子さんだった。
「凪子さん?」
「あ。清良。どうした? 眠れない?」
「凪子さんこそ」
あかりもつけずに、小さなランプ型のランタンの光だけで、庭の泉を眺めている。
「ん。ちょっと一杯やろうかと思って。これね、梅酒。五月ごろ漬けてさ、そろそろ味見してみようかな、なんて」
グラスをかかげて見せる。なかの氷が揺れて、ランタンの光を浴びてきらりと瞬いた。
「おじさんくさい」
「なにを言う」
かかかと、笑う。ちょっと酔っているのかな。ろうそくの炎みたいな、あたたかな色のついた光に照らされているから、凪子さんの顔色まではわからない。
「お姉ちゃんと、派手にやり合ってたね」
くくくっと、笑う。
「聞いてたの?」
なにがおかしいんだろう。思わず、むすっとむくれた。
「聞こえたの。壁うすいし、声はでかいし、しょうがない」
「……やだな、恥ずかしい。あたし、ひどいこといっぱい言っちゃった。前の学校でも、ママがあたしのために、何度も何度も先生と話して、頑張ってくれてたのに」
パパが亡くなってから、あたしを必死で育ててきてくれたことも。ちゃんと、わかってる。だけど、どうしても許せなかった。
凪子さんは、そっとあたしの頭に手のひらを置いた。
「でもさ。すっきりしたんじゃない?」
「え?」
「あんなに派手に怒鳴ったら、すっきりするだろうなー、って。お姉ちゃん強いし正論で責めてくるからさー。あたしだってあんなに歯向かえなかったよ。うん。立派立派」
「なんでママと喧嘩して褒められるの?」
凪子さんは、あははとわらった。ていうか、凪子さんもお姉ちゃんに歯向かってみたかったってこと?
そっとグラスを傾けて、凪子さんは、だいじに、ちびちびと梅酒を飲む。ぱしゃんと音がして、泉の水面に波紋ができる。鯉が、跳ねたんだ。
「楓のことだけどさー。何があったか知らんけど。ま、気にすんな。清良の味方だよ、あれは」
ふいに楓くんの名前が出てきて。胸がきゅうっと苦しくなった。
「わかってる。わかってるけど……。守られたくなんか、ないんだもん」
「守るとか言ったの? あいつ。くっそ生意気」
また笑ってる。心底たのしそうに笑ってる。なんで? なにがおかしいの?
「あたしが、弱い子だからでしょ?」
「お子様だなー、清良は。あのね、オトコっつーのは、そういうことを言いたいもんなの。相手のオンナが、弱いとか強いとか、そういうのは関係ないわけ。だから、勝手に言わせとけばいいの」
なにそれ。目をぱちりとしばたいた。
「よく、わかんない」
「ま、そのうちわかるって」
清良も飲む? と、梅酒のグラスをあたしの顔にぐいっと寄せてきた。
「もうっ。冗談やめてよ。ママに言いつけるからね?」
「こっわー。それだけは勘弁して」
おおげさに身をすくめてみせる凪子さん。なんだかすごくおかしくて、あたしは、笑った。
つぎの日、あたしは楓くんに電話した。
行ってみる、と、告げた。みんなで遊びに行く話。だけど守ってなんてくれなくていいからね、って。ちゃんとはっきり言った。
自分のちからで、みんなに溶け込めるようにがんばりたい。それぐらいできなくちゃ。縮こまって楓くんの背中にかくれているようじゃ、いけないんだ。
となりを歩きたい。楓くんと、ほんとうの友だちに、なりたい。




