①
日曜日。午前十時、アーケード内の足湯にて待ち合わせ。どきどきしていた。
市の中心部にある、湖水公園という大きな公園に行くらしい。水がめちゃくちゃキレイで冷たくて気持ちいいんだよ、と楓くんは言っていた。
あたしの服、へんじゃないかな。
公園に行くから、スカートはやめてジーンズにした。紺白ボーダ―の、裾にひかえめなレースのついたトップスに、足もとはサンダル。水に浸かるかもしれないから、スニーカーはやめた。肩に届くか届かないか微妙な長さの髪は、サイドから編みこんでふたつのおさげにして、いつものストローハットをかぶっている。
地味、かな。やっぱ地味だよね。「おしゃれ」って、あたしにとっては、女子に向けてするもの。目立ちすぎて浮かないように、でも、つまんない、ださいって思われないように気を使う。とくにきょうは、はじめて会って話す子たちばかりだから。早起きして、迷いに迷って、何度も鏡に向かって笑顔の練習をして。あたしはすでに疲れていた。
「清良」
楓くんだ。息をはずませて駆け寄ってくる楓くんの笑顔を見たら、ちょっとだけ緊張がほぐれた。
「早いな。まだ十分前だよ?」
「自分こそ」
「遅れてきて、清良をひとりにさせるわけにいかないから。俺はあいつらがいい奴だって知ってるけど、よく考えたら、おまえにとってはアウェーなんだよな」
「今ごろ気づいたの?」
拍子抜けするぐらい、いつも通りのやりとり。気を使ってくれてはいるけど、「このコを傷つけちゃいけない」みたいな、へんな力は入ってない感じ。ふつうに、……やさしい。
「なんだよ。俺の顔になんかついてる?」
「ううん、べつに」
あたしも余計なことは考えすぎず、ふつうにしていよう。ふつう、に。
十時をまわったところで、アーケードのむこうから、この間の男子三人組があらわれた。
「おーっす、楓。……と、青山サン、だっけ?」
「う、うん」
まるい目をくりくりさせてあたしの顔をのぞきこんだのは、俊平くん、だったっけ。背の低い、にぎやかな子。
「楓から話は聞いてるわ。ヨロシクー」
歯をみせて、にかっと笑った。あたしもぎこちない笑みをかえす。
話って、どこまで聞いてるんだろう。さすがに、ママみたいに洗いざらいあたしの過去をしゃべるようなことはしてないと思うけど。
「僕たちみんな同じクラスなんだ。二年三組。青山さんも一緒になれるといいね」
にっこり笑ってくれたのは、眼鏡のテツくん。優しそう。なんとなく、知的な感じ。巨漢のズミくんは、にこにこ笑ってみんなの話を聞いてる。仲良くなれる、かもしれない。
「女子おせーな」
俊平くんがいらいらと貧乏ゆすりをしはじめた。せっかちなのかな。
キッチン・メイプルでの、女の子たちのようすを思い出す。どきどきしてしまう。挙動不審にならないようにしなきゃ。
「あ。来たよ」
テツくんが指差すほうに、女の子三人組。遠目からでも、はなやかで目立つ。ぐんぐん近づいてくる。あたしのどきどきも、ジェットコースターがじりじり登ってくときみたいに加速して、もうなんだか気持ち悪いぐらい。
「お待たせ―」
三人の真ん中にいる女の子が言った。この子、メイプルで、あたしのことじーっと見てた子だ。今日も、あの時と同じ、ゆるめのお団子。あらためて近くで見ると、目鼻立ちがはっきりした、綺麗な子だ。
「つーか暑い」
来るなり不平をもらしてる。
「夏だから暑いのはアタリマエ」
と、俊平くん。
「文句あるなら来るなよ」
「なにその言い方。っていうか恵理はまじでキャンセルだって。焼けるのやだってさー」
「自由すぎ」
楓くんが苦笑する。女の子はあたしにちらっと目線をやった。
「で。この子が青山清良サン?」
「あ。は、はい」
やだ。敬語になっちゃった。同い年なのに。
「ふーん」
うそ。睨まれてる……? あたし、さっそくなにか嫌われるようなことしちゃった?
「まあまあ夕菜」
ショートカットの、元気そうな雰囲気の子がお団子の子の肩をたたく。
「青山さん、二学期からうちの学校に来るんでしょ? よろしくね。あたし典子。ノッコでいいよ。こっちのツインテールは千夏ね」
にっこり笑ってくれた。ちょっと、ほっとした。
でも。お団子の女の子をちらっと見やる。楓くんのリュックを後ろからちょんとひっぱって、話しかけている。笑顔だ。あたしには笑ってくれなかったのに。
あの子が、夕菜ちゃん。周りからからかわれるぐらい、楓くんと仲の良い、女の子。
湖水公園は、思いのほか近かった。この街はとにかく湧水が豊富で、いたるところから水が湧いているらしいんだけど、中でもこの湖「白鷺湖」では一日、約四万トンもの水が湧きだしているんだって。
木立に囲まれた広い湖のまんなかに噴水があって、虹がかかっている。湖からはゆるやかな浅い水路が引かれていて、小さい子どもたちが水着で水遊びしていた。
ノッコちゃんが木陰の芝のうえにレジャーシートを広げて、女の子三人が腰かけた。男子たちは早速、水路で遊び始めた。
清良ちゃんも座りなよ、とノッコちゃんがあたしに笑いかける。おずおずと、彼女のとなりに腰を下ろした。
「ていうかごめんね。暑いし紫外線キツいよね。ここらへん、遊ぶ場所、ほんとに少なくて」
ノッコちゃんが苦笑する。
「遊園地もないし、映画館はつぶれたし、せいぜい、しょぼいショッピングモールでぶらぶらするぐらいだよね」
もうひとりの女の子、千夏ちゃんが言って、ノッコちゃんが、そうそう、とあいづちをうつ。
「プールとか海とかいう話もあったんだけどね、嫌じゃん? 男子の前で水着って」
ねえ、と千夏ちゃんは夕菜ちゃんの腕を小突く。
「ん? あたしは別にいいけど。水着くらい」
「やだーっ。信じらんない。千夏はぜっったいにむり。ねっ、清良ちゃんもそうでしょ?」
「あ。う、うん」
ぎこちなく返事をした。そうだ、笑わなきゃ。今朝練習してきたみたいに、口角をあげて。自然な感じで。
「ねーね―清良ちゃんってさ、金魚屋敷に住んでるんでしょ? 古いお屋敷だしさ、夜トイレ行くとき怖くない?」
「それより楓のことだよー。ちっちゃい頃一緒に遊んでたんでしょ? それから今までこっちには遊びに来なかったの?」
ノッコちゃんと千夏ちゃんに、かわるがわる矢次早に質問を浴びせられて。あー、とか、えっと、とか、しどろもどろになってしまう。テンポについていけない。
「青山さんって」
夕菜ちゃんが、ぼそりとつぶやいた。
「なんでこっちに来たの。わけありなの?」
あたしの目を見て、冷やかに告げた。何も答えられないでいると、
「なんとなーく想像はつくけど。青山さん、さっきからすごいおどおどしてるし。初対面なのに、いきなりそんなに怖がられたら、はっきり言って気分悪い」
「…………」
怖がってた? おどおど、してた? ……あたし。
夕菜ちゃんは、口元にうすく笑みを浮かべると、立ち上がった。裸足になって水を掛け合っている男子たちのところへ、駆けて行く。まっすぐに、楓くんのそばに。
楓くん。犬みたいにぶるぶると頭を振って、その水しぶきがきらきら舞って。夕菜ちゃんが、やだーっ、と顔をしかめた。そして、とびきりの笑顔を見せる。
「あーあ。男子はいいよねー。いつでもどこでも、なーんにも考えずにずぶ濡れになってさ」
ノッコちゃんがぼやく。そして、ちらりとあたしを見やった。
「夕菜のことだけど。ちょっと拗ねてるだけだから気にしないほうがいいよ」
「でも千夏はちょっとわかるかも。夕菜ちゃんの気持ち」
固い顔して、あたしから目をそらすと、千夏ちゃんも立ち上がった。ツインテールを揺らして夕菜ちゃんたちのもとへ。
「あーあ、不協和音。やっぱりあたしも来なけりゃ良かったかなー」
ノッコちゃんがため息をつく。
「あの。ごめんね……。あたしが、その、なにか怒らせるようなことしたんだよね?」
「そういうわけじゃないけど。清良ちゃん、もっと堂々としてたほうがいいよ。……と、あたしは思う」
そう言うと、ノッコちゃんは自分のリュックからスマホを取り出してゲームを始めてしまった。どうしよう。今さらみんなのところへも行けないよ。
じっと膝をかかえていたら、
「清良―っ! こっち来いよーっ!」
楓くんが、笑顔で手を振ってる。Tシャツが濡れて、からだに貼りついてる。テツくんも、ズミくんも、俊平くんも。
「でも……」
「行っておいでよ」
ノッコちゃんがスマホから顔を上げて、水路で遊ぶ男子たちを眺めた。
「楓のやつ、のん気でいいよね。うちらの不協和音の元凶のくせに」
「どういうこと?」
「ん、なんでもない。それより早く行きなよ。王子様がお待ちかねだよ」
王子様って。そんなんじゃ……。
顔が熱くなる。そんなあたしを見て、ノッコちゃんは、
「波乱の予感」
と。またも、意味深なつぶやきを残した。
公園近くのファミレスでごはんを食べて、そのあと、願いがかなうと評判の神社に案内してもらった。この神社にも泉があって、澄んだ水の底で、参拝客が投げた小銭がきらきら光っている。
夕菜ちゃんはずっと、あたしとは目も合わせない。楓くんのとなりにちょこちょこ駆け寄って、しきりに話しかけて笑い合ってる。
みんなが冷やかすのも、わかる。夕菜ちゃんってとびきり可愛いし、明るいし、ものをはっきり言う子みたいだし、太陽みたいな楓くんとは、お似合い。
みんながおみくじを引いていたから、なんとなく、流れであたしも引いた。末吉。あまりにもぱっとしない。せめて「凶」だったら、笑い話のネタになったかもしれないのに。
「ねーねー青山さん、おれ、凶だった」
あたしの肩をたたいてにかっと笑ったのは、俊平くん。どんなリアクションしていいかわかんなくて、あいまいに笑った。請われるままにおみくじを見せて、境内の木の枝に結び付けていたら、ふたたび肩をつつかれた。
「つーかさ。ぶっちゃけ青山さんって、楓とどーいう関係なの?」
「え?」
「いろいろ目撃情報あってー。楓が女の子と歩いてるって話ー。うちのガッコの子じゃないみたいだし、誰だって噂になっててさー。青山さんに会ってから謎が解けたわー」
「そ、そうなんだ……」
うわさ、って。あたし、転校する前からみんなの注目を集めてたってこと?
「青山さんって前の学校で彼氏いた? コクられたこと、ある? ぶっちゃけモテてた? 楓にはなんか言われた?」
「おい」
楓くんが背後から俊平くんの耳を引っ張った。
「いてててててっ」
「余計なこと聞いてんじゃねーよ。清良が困ってるだろ? そういうの、なんて言うか教えてやろーか。セクハラだよ、セクハラ」
「出ました彼氏気取り」
「うっせ」
と、俊平くんのふくらはぎを蹴ると、楓くんはあたしの腕をとった。
「あっち行こう。水神さまが祀られてるんだ」
「あ、あの。楓くん」
ん? と、楓くんは邪気のない笑みをあたしに向けた。その笑顔を遠くから見つめている夕菜ちゃんが視界に入る。と、夕菜ちゃんと目が合った。合った瞬間、睨まれた。ありったけの敵意を集めて鋭い矢にしたような、そんなまなざし。
射抜かれて、からだがすくんでしまう。
夕菜ちゃんのとなりにいた千夏ちゃんも、夕菜ちゃんの腕に自分の腕をからませて、あたしをちらっと見て、ひそひそ耳打ちしている。
ひやりと、背中を冷たいものが撫でた。
覚えている、この感じ。何度も忘れようとしたのに、からだは、ぜんぜん忘れてくれない。いきなりクラスのみんなから存在を消されてしまった、嫌われていることに気づいてしまった、あの瞬間の感覚を。踏みしめている地面がずくんと沈んで、暗い穴の中にすうっと吸い込まれてしまう感覚を。
せっかく、一歩ふみ出して見ようと思ったのに。頑張ろうと思ってたのに。溶け込むことができなかった。
夕暮れがきて、解散して。楓くんが、送るといってとなりを歩いてくれている。ふたりとも、ずっと口をつぐんだまま。あたしは、自分の何がいけなかったのか、ずっとぐるぐる考えていた。
「楽しく、なかった……?」
楓くんが遠慮がちに聞いた。夕陽をあびた石畳、水の流れる音。この街には、いつでも水の気配が満ちている。
「楽しかったよ」
笑みを返す。あたしのためを思って誘い出してくれたのに、沈んだ顔をしてたら、がっかりさせてしまう。
楓くんはあたしの言葉をきいて、ほっとしたように頬をゆるめた。
「よかった。じゃあ、また誘うから。みんなでどこか行こう。電車で水族館に行ってもいいし、山手のほうには天文台もあるし」
「……うん」
「同じクラスになれればいいな。おれさ、男子三人と、女子では夕菜が同じクラスなんだよ。夕菜って気は強いけど、三姉妹の長女で面倒見いいから、きっと、」
「ごめんっ」
いたたまれなくなって、思わず、楓くんのせりふをさえぎった。楓くんの口から夕菜ちゃんの名前が出て、心臓が、ぎゅっと絞られたみたいに痛くなってしまった。
「あたし、前の学校で、勉強遅れてて。夏休みのうちに取り戻さなきゃいけないんだ。だから、もう」
「清良……?」
風のない夏の夕暮れ。むんと湿気が立ちのぼって、くらくらする。たゆまぬ水の流れも、石塀も、打ち水をしているおばあさんも。朱く染まっている。
「もう、誘わないで。楓くんも。もう……」
あたしのところに、来ないで。
絞り出すように、告げた。泣いてしまいそうだった。楓くんの期待にこたえられない。楓くんの仲間には、なれない。拒まれてしまったことを、楓くんに知られたくない。
「清良」
金魚屋敷の入口、「アトリエ凪」の看板の前で。背をむけたあたしの腕を、楓くんはつかんだ。とくとくと、胸が鳴る。
どうして、やさしくしてくれるの? こんなに駄目なあたしなのに。おどおどしてばかりのあたしなのに。
「嫌だ。おれ、清良のこと、」
「楓くんには、わからないんだよ。あたしみたいな子の気持ち。いつもみんなの中心にいて、みんなに好かれてる楓くんには」
楓くんが当たり前にできることが、あたしにはできない。できなくなってしまった。
いつの間にか怖がりになって、自分がちいさくちいさくなって。頑張ろうとしたのに、もう、頑張り方すらわからない。
「……ごめん」
楓くんはそっと手を離した。
彼が走り去っていったあとも、その、切なげなつぶやきが、ずっと胸の奥でくすぶり続けている。
ごめんね、楓くん。ごめんね。
しらたま屋の営業時間はとっくに終わっている。凪子さんは出かけたみたいで、お屋敷の格子戸は閉まっていた。合鍵で中に入り、サンダルを脱ぎ捨てて駆けあがる。お座敷を抜けて、階段をのぼって自分の部屋へ。
古びた小さな部屋は朱く朱く染まっていた。日に焼けた畳の上にへたり込んで、あたしは泣いた。あとからあとから涙はあふれて止まらない。
楓くんの声、笑った顔。きっとあたしにはまぶしすぎた。
「きよら」
更紗の声がする。あたしがひとりで泣いているとき。眠れずにため息ばかりついている夜。必ず現れて、そばに寄り沿ってくれる。ふしぎな女の子。
「友だちなら、更紗がいるって言ったじゃない」
水の気配が満ちていく。夕焼けのオレンジの中を、ラムネみたいな細かい泡がたちのぼって揺れる。
更紗の小さな手のひらがあたしの頬に触れる。その手に、そっと、自分の手を重ねた。
あたしよりもずっとずっと長い時間を、ひとりぼっちで過ごしてきたんだね。
「更紗」
あたらしい友だちも、仲間も、いらない。最初から欲しがらなければ、こんな思いをしなくてすむ。ある日突然裏切られることだって、ない。
電話が鳴っている。きっとママだ。喧嘩したあの日以来、ずっと、ママからの電話は無視している。メッセージも返していない。
更紗があたしの胸に飛び込んで、背中に腕をまわした。ちいさくてやわらかい、子どもの肌。
きよら、きよらー、と。遠くで、誰かがあたしを呼ぶ声がする。やがて、とんとんと、階段をのぼる足音がひびいて。すっと、格子戸が開いた。
「清良? 帰ってたの?」
「……あ。凪子、さ」
「どうしたの? ……泣いてた?」
「泣いてない」
凪子さんから目をそらす。
更紗はもう、消えている。
凪子さんとは、もう、友だちじゃないんだね。凪子さんが更紗のために描いた、たくさんの魚の絵を思い出す。
凪子さんはいまも更紗のことを忘れていないのに。更紗という名前は、凪子さんがつけたものなのに。どうして。




