053. サバイバルゲーム (3)
広場を離れてマンションの敷地から出た悠気は、阿依をおんぶしながらできる限り足早に住宅街の中へと進んでいた。
(ひとまず、追い撃ちもかけられずにマンションから離れられたが、これからどうするべきか……阿依ちゃんの傷の具合も気にはなるし、一旦どこかの家にでも入って落ち着きたいが……)
そう考えながら悠気は住宅街をうろついていたが、どの家に入るかまでは決めあぐねていた。
ほとんどの家が空き家である可能性が高いだろうと理解しつつも、もし選んだ家に人間が隠れ潜んでいて、そこで人間と対峙してしまえば最悪の事態になることを懸念していたためであった。
(阿依ちゃんの命を預かっているんだ。当てずっぽうに選ぶ訳にはいかない。せめて、家に人間が居ない確証が無いと……)
踏ん切りがつかないまま住宅街をウロウロとさまよい続ける悠気。その計画性の感じられない足取りに阿依も(どこに向かってるんやろ……)と疑問を抱きつつあったが、両手でしがみついている状態ではスマートフォンも使えず意思疎通できないままでいる。
はっきりとした行き先も決まらず、ただ闇雲に住宅街の中を歩いていく。危険なマンション地帯から離れていく安堵もあるが、それよりもこれからの見通しが立たなくなったことによる不安が悠気の心に重くのしかる。
それは阿依の体重以上に足取りを重くしていたが、それでも道が繋がる限りは歩き続け、気まぐれに何度かの分かれ道を曲がったりしながら進んでいったところ、悠気はふと足を止めた。
(……ゾンビ、か)
十字路を曲がって左右が家に挟まれた生活道路の先にゾンビが一体、悠々としながら立ち尽くしているのが見えた。
老爺のゾンビで、服装に目立った汚れもなくまだ小奇麗な格好をしていたが、靴は履いておらず裸足のままである。おそらく、どこかの家に隠れ潜んでいた人間が最近になってゾンビになったのだと思われたが、それを裏付けるものは無い。
老ゾンビは悠気達の存在に気づいたかどうかもわからない曖昧な様子で空を見上げ続け、悠気達もその老ゾンビに注目しつつも特に何かするわけでもなく、当たり障りのないように老ゾンビの横を通り過ぎていった。
(当然だが普通のゾンビみたいだな。このあたりに住んでいたんだろうか?)
(このゾンビに助けを求めるとかは……期待できへんのやね……)
そう思いながら2人は老ゾンビを後にして進んでいく。今の2人に他のゾンビを相手にしているほど心に余裕はなかった。
まるで何事もなかったかのように2人は再び黙り込みながら道なりに歩いていき、ほどなくして見えてきた曲がり角を曲がってしばらく直進していると、悠気はまた足を止めてしまった。
悠気がたったいま歩いていた道、その道が続く先には前も左右も住宅が立ち並んで行き止まりとなっていたのであった。
(こっちは袋小路になっていたのか……土地勘の無い住宅街を歩いていればこういうこともあり得るのだろうが、今のタイミングでこれは堪えるな……)
状況的にも袋小路に入っている中で道が途絶えてしまったことに悠気は思わず「ハァ~……」と大きなため息をつき、それを聞いた阿依も釣られるように落胆した表情を浮かべていた。
だが、この場所に立ち止まったままで状況が良くなるわけでもなく、さらに行動しなければ状況は変わらない。
そして、いま出来ることといえば、ただ一つしかなった。
(仕方がない、来た道を戻るか……たしか、少し戻れば別の道があったはずだな)
悠気は渋々ながらも来たときより重い足取りで同じ道を戻り始めていくのであった。無駄足を踏んだことに落ち込んではいたが、それでもまだ悠気は足を止める気はなっていない様子である。
独りの時なら軽く挫折していた場面であったが、いまは阿依を大阪まで連れていくという使命感が悠気を後押しし、いつしか出来るだけのことは頑張る程度の気概を持ち合わせるようにはなっていた。
……もっとも、その使命感や気概なんてものが阿依に伝わっている様子は当然無く、さらに阿依の心の中では悠気に対する期待感がどんどん薄れてきていることも悠気に伝わっていなかった。
そうして、悠気は先ほど通ってきた道をしばらく直進して曲がり角を曲がり、ほどなくすると見覚えのある生活道路にまで戻ってきていた。
何気なく道の先を見ると、先ほどの老ゾンビが遠くの方でいるのが見えていた。あれから少しうろついていたのか老ゾンビは元の場所から移動しており、ちょうど十字路の真ん中に立っている。
(あのゾンビと話すことができれば袋小路のことだって聞けたんだろうけどな……)
そう思いながら悠気は少し恨めしそうに老ゾンビを見たが、変な逆恨みしたところで何の意味も無いことに気づくと、気を取り直して十字路へと足を向けた。
(しかし、手を塞がれた状態だと阿依ちゃんとも話せないのは問題だな……今後のことを考えれば何か対策を考えないとな)
先ほどから黙々と歩き続ける状態が続き、阿依とまったく会話できていないことに若干の気まずさを覚え始めていた悠気は、少し上の空になりながら老ゾンビのいる十字路へと歩き続けていた。
──その時であった。
『パンッ──』
次の瞬間、乾いた音と共に目の前にいた老ゾンビの頭部が爆ぜた。
老ゾンビは頭部の中身を盛大に撒き散らし、頭の大部分を失った胴体はその場でふらつきながらゆっくりと地面に倒れていく。
(……は?)
(え……?)
悠気と阿依は目の前の光景に思わず出ないはずの声が出そうになった。
予想だにしない出来事に身体が硬直して立ち止まる。そして、目の間の惨劇についてじわじわと理解してくると、2人は身体中から焦りが汗となって吹き出てくるのを感じていた。
(な、なんだ!? どうしていきなりゾンビの頭が破裂したんだ!?)
(なんなん? 何が起きたん??)
目の前でいきなり老ゾンビの頭部が弾けて倒れたことは理解できても、何がどうしてそうなったのかまではわからない悠気と阿依は、その場で困惑していた。
ただ漠然とした疑問と恐怖が思考を支配し、身体は緊張で震え始める。そして、そんな2人の元に畳み掛けるかのように突然、近くで声が聞こえてきた。
「すごい! 一発で仕留めるとか!」
「これくらい余裕だって。立ち止まってるゾンビなんてオレからしたら的みたいなもんだしな」
十字路の曲がった先から複数の話し声が聞こえ、その声が人間のものであると気づいた悠気は反射的に身構えて、阿依は顔をひきつらせて怯えた表情となっていた。
(こんなところに人間!?)
(も、もしかして……)
コツコツと足音が聞こえてくる。それが段々と大きくはっきり聞こえるようになってくると、その足音の主は自分達の方に向かって来ているのだと、悠気はすぐに気づいた。
(マズい……! とにかく身を隠さないと!)
悠気が周りを見回し、すぐ近くに家の門を見つけると、そこへ飛び込むように駆け出して門の裏へと隠れた。
そして、悠気は阿依を一旦降ろしたあと、門の端からわずかに顔を出して十字路の方へと視線を向けた。
倒れたままの老ゾンビの姿が見えたが、その真新しい傷口から止めどなく血が溢れて地面を濡らしている。まだ身体は生きようとしているのか手足がピクピクと動いているのが見えると、悠気は歯を噛みしめて眉をひそめた。
そして、ものの数秒も経たないうちに、"それら"は姿を表した。
全身を軍隊用の戦闘服とガスマスクで包んだ人影が四つ。それだけでも昼下がりの長閑な住宅街に似つかわしくない異形な姿であったが、それよりもさらに目を引く物がそこにはあった。
(あいつらが持ってるのは……銃か!?)
四人がそれぞれ持っている大きな銃に悠気はの視線は釘付けになってしまった。
バットや斧と違い、反撃を許さず遠くから一方的に攻撃できる殺意の塊。それがどれほど危険なものなのかは先ほど身を持って味わったばかりである。
(どうして銃を持った人間がこんなところに……いや、それよりもゾンビの頭が吹き飛んだ原因は……)
ようやく老ゾンビの頭が破裂した原因を理解した悠気は震えで歯が鳴りそうなのを必死に噛み締めて抑え込んでいた。
そんな悠気の存在にまだ気づいていない四人は周りを警戒しつつ、老ゾンビの近くまで寄っていく。
「うわ、グロい……」
「あんまりジロジロ見ないようにね、あとで食事できなくなるよ」
「言うのが遅いってば……もう既にちょっと気分悪いかも。グロいのにもけっこう慣れてきたと思ったのに~」
「私もまだ内臓とか見るのは勘弁ですね……純くんと弘人くんは大丈夫そうですが」
「森田さんもまだダメなのか。まぁこればっかりは慣れても嬉しくないけどさ」
「えぇ、でも今後のことを考えれば早く慣れておきたいところですね」
「あたしも頑張りたいけど、当分無理かも……」
「3人とも雑談はそろそろ。まだ近くにゾンビがいることを忘れないでね」
「あぁ、そうだった。彩葉ちゃんが撃ったっていうゾンビはこいつじゃないんだよね?」
「うん、サラリーマンっぽいゾンビと女子高生っぽいゾンビだったから」
「血痕もまだ先に続いてますね。この先を辿っていきますか?」
「そうしよう。ゾンビが大勢いる気配は今のところ無いけど慎重にね」
「は~い」
そう言って四人は地面に残っている血痕を追って道の奥へ奥へと進んでいった。そして、その後ろ姿を見送った悠気は、ようやく深いため息を吐いて緊張を解いた。
(こいつらは俺達の血痕を追ってきたのか? その目的はわからないが、確かに血は垂れ流したままだったな……)
悠気の胸に開いた穴からは既に血が滲み出る程度に止まっていたが、阿依の脚からは未だに血が流れ続けており、それが脚を伝って点々と地面に印をつけているのがわかった。
(これがある限りはアイツらが追ってくるってことか、だったら……)
阿依の出血をまず止めないといけないと判断した悠気は自分が着ていたスーツの上着を脱ぐと阿依の方へと差し出し、そしてタブレットPCを取り出して考えを阿依へと伝えた。
<<これで脚を縛って止血して欲しい>>
悠気の意図を理解した阿依は軽くうなずくと急いで自分の脚を上着できつく縛って止血し、それを確認した悠気は急いで阿依を再びおぶると、四人とは反対の方向へと駆け出していく。
(奴らは袋小路で折り返してくるだろうが、それまでまだ時間はあるはず! その間にできるだけここから離れなければッ!)
そう思いながら、悠気は老ゾンビの遺体を尻目に十字路を曲がって一目散に逃げ出していくのであった。