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「師匠ー。今日、変な夢を見たんです」
「へぇ」
ソファに座ったまま、何をしている訳でもないのに、私の話を全く聞く気のない師匠に、思わず苦笑をもらす。
「悪い夢って、人に聞かせると正夢じゃなくなる。って言いますよね?」
「そうかもしれないな」
「じゃぁ、聞いてもらえます?」
私の言葉に、師匠はちらりと目線を上げると、ぐったりとソファに預けていた身体を半分起こした。
「おいで」
そう言って、ソファを少し空けてくれた師匠の隣に、私は大人しく座る。
普段なら、私が何を言っても座らせてくれない方が多いのに、珍しい。
ぽんぽん、と頭を撫でてくれた手が少しだけ優しく感じられて、私は嬉しくなった。
「あのですね、私が小さい頃、ケルベロスに襲われた時のこと、覚えてます?」
「あぁ・・・。あの時か」
師匠は少しだけ眉を顰める。
あの時の思い出は、私にとっても師匠にとってもあまり良いものではない。
誰かが傷ついた訳ではなかった。
何か大変なことがあった訳ではなかった。
けれども、私たちの間で、この話題は触れてはならないものとして鎮座している。
・・・なぜ?
一瞬浮かび上がった疑問を、頭の隅に追いやって、私は夢の話を続ける。
みんなが元気なら、他のことはどうでもいいじゃない。
「夢の中では、パパもママもその時に襲われて死んじゃったことになってるんですよ」
「・・・それは」
「あ、いえ、その、パパもママもちゃんと元気に生きてるんですから、縁起の悪い夢だなってことで済む話なんですけど」
慌てて付け足して、愛想笑いを浮かべれば、師匠は困ったような顔をした。
別に、師匠を困らせたいと思って話題にした訳ではなかったので、少しだけ話した事を後悔する。
「君の中では、やはり今でもあのときの恐怖が拭えないのかい?」
「あー・・・えっと・・・そう、ですね」
嘘をついても、どうせ見抜かれるので、私は正直に答える。
今でも怖い。
あの異臭を放つ化け物を思い出す度に、背筋がぞっとする。
「助けてもらったのに、私はちゃんとこうして生きてるのに、変、ですよね」
「変じゃないさ」
私の言葉に間髪入れずに、そう言い切った師匠。
師匠の金色の双眸がじっとこちらを見つめる。
その視線に耐えきれず、私は思わず目を逸らしてしまった。
「リザ」
けれども、師匠はそれを許してくれず、頬に手を添えて目が合うように無理矢理振り向かせてしまう。
師匠の手が冷たいのか、それとも、私の頬が熱いのか。
どうしても顔を正視出来なくて、私はそっと瞼を伏せる。
「し、師匠・・・」
「僕に、こうされるのは嫌か?」
すっと頬を撫でた手の平の感触に、身体の芯に痺れるような感覚が走る。
まるで、自分の身体じゃないみたいだ。
「ねぇ、リザ。嫌?」
「え・・・えと・・・」
ねだるように聞かれて、私は答えに詰まる。
上手く声を発することができず、私はふるふる、と小さく頭を振ることしか出来なかった。
緊張しているせいか、喉がカラカラに乾いている。
「そう・・・」
ふっと口元に歪んだ笑みを浮かべると、師匠が私の額に、自分の額をこつん、とぶつける。
その瞬間、どくり、と心臓が脈打った。
「君のその恐怖も、不安も、全部全部僕がもらってあげよう」
あ、と思わず声が漏れる。
師匠の金色の瞳が、何故だかどす黒く濁った気がした。
迫って来る師匠から逃げようと、仰け反ろうとしたけれど、頭を手で固定されて動けない。
唇が重なる。と自覚し、驚いて目を閉じた瞬間、それは触れることなく、突如思い切り強い力で、ぐいっと後ろから引かれた。
誰かが、私を後ろから抱きすくめている。
誰?
まわされている腕。
その服は師匠のもの。
でも、師匠は私の目の前で凶悪な表情を浮かべてこちらを睨んでいる。
いや、正確には私の後ろを。
「だれ・・・なの?」
おそるおそる、私は後ろを見上げる。
誰なのか、認識できた。
けれども、私はそれを理解することができない。
深緑色の髪に、見慣れた金色の双眸。
そんな、馬鹿な。
「し、しょう・・・」
ぎろり、と効果音付きで睨まれて、思わず身が固くなる。
前にいる師匠に負けず劣らず、後ろにいる師匠も凶悪な表情をしていた。




