03
「リザを連れて逃げろ!」
「でも・・・!」
「早くっ!」
いつもは温厚なパパが、大声で怒鳴っている。
いつもは笑顔のママが、涙を流しながら私を抱きしめている。
ぐるるる、と唸り声をあげる獣に、私は恐ろしくて身を竦ませることしか出来なかった。
普段と何も変わらない夜を過ごすはずだった。
パパとママと私の3人でご飯を食べて。
ママと一緒にお風呂に入って。
パパに髪の毛を乾かしてもらう。
そして、寝る前にはママの書いた素敵な物語を読んでもらうんだ。
今日も、そういう夜になると、信じて疑わなかったのに。
異臭を放つその魔物が、それを壊してしまった。
ぼとぼと、と3つある頭の全てから涎を垂らしている醜い魔物。
『ケルベロス』
地獄の門の番犬と言われている魔物が、どうしてこんなところにいるかなんて知らない。
知りたくもない。
パパは私たちを守るために残った。
ママは嗚咽を抑えながら、私を抱っこして走る。
ママの肩越しに、パパがあの魔物に襲われるのを見た。
目を背けたかった。
けれど、私の目は真っ赤に染まった部分を凝視していた。
目が、離せなかった。
そして、ケルベロスは逃げるママを追いかけて来る。
4足歩行の生き物のスピードには勝てない。
あっという間に距離を詰められてしまった。
「だめ!やめて!」
魔物が飛びかかろうとした瞬間、私は思わず叫ぶ。
ぴくり、と魔物が戸惑ったように足を止めた。
けれども、ぐるるるる、と低く唸った魔物は、今度は止める間も無く、ママに飛びかかる。
視界が、真っ赤に染まる。
つん、と鼻を突くような鉄錆の匂いがあたりに充満した。
地面に投げ出された私は、為す術もなく魔物が両親を蹂躙するのを見ているしかない。
「パパ・・・ママ・・・?」
魔物がこちらを振り向き、目が合う。
殺される。
そう思った。
全てがスローモーションだった。
ここで、自分の命は尽きるのだと思った。
魔物が、私に向かって飛びかかる。
ただ唖然とそれを見ていることしか出来なかった私。
スローモーションの映像の中に、何かが飛び込んで来る。
深い緑色の髪を靡かせ、颯爽と私と化け物の間に割って入った人。
パパとママが為す術もなかった、その魔物をその人は難なく倒してしまった。
そして、振り返った金色の双眸に私は思わず魅入る。
「遅いよ・・・。死んじゃったよ・・・」
その人に向かって呟いた言葉は、どういう意味だろう。
はぁ、はぁ、と肩で息をしながら、私は身体をぶるりと震わせる。
一体、どうしたと言うのだろう。
2日続けてこんな夢を見るなんて。
それに、今の夢は現実とは少し違っていた。
私はママの肩越しに魔物に話しかけることなんかしなかったし、師匠に向かってあんな言葉を呟いた覚えは無い。
怖くて、口も開けなかった。
ただただ、事の成り行きを見ているしかなかったのだ。
心の奥底の願望、なのだろうか。
昼間にケルベロスとも対話できたかもしれない、なんて考えたから、こんな夢を見るのだろうか。
もし、私が対話してケルベロスの足止めが出来ていたら。
もし、師匠がもう少し早く私の前に現れていたら。
もし、もし、もし。
もしものことなんか考えて、過去が変わる訳ではない。
馬鹿らしいな、と思う反面、そうであったら良かったのに、と願っていた。
「師匠・・・」
また、師匠の部屋に行こうかとも思ったけれど、迷惑をかけたくないし、両親が亡くなったことを今になっても気に病んでると思われたくない。
私は仕方なく、布団を頭まですっぽりと被って眠ろうと努める。
なんて、生々しい夢なのだろう。
匂いが、音が、触感が、そこにあるような気がしてしまう。
こんな悪夢を見せるくらいなら、幸せな夢でも見させてよ。
自分の脳にそう文句を垂れて、私は冴えてしまった目を一生懸命に閉じた。




