四章二節 - 炎狐と光芒
「昔のことは忘れてよ」
辰海は眉間に深くしわを寄せる。
「気づいたんだ。僕だって文官筆頭古狐の跡取りだよ? なんでわがまま小娘に振り回されてなきゃいけないの?」
「本当にそう思ってる?」
「当たり前でしょ」
――君はそうやって与羽の近くにいるのが好きなんだと思ってたよ。
アメは心の中だけでそう言った。口に出したら辰海をひどく不快にしてしまうのは目に見えている。
アメ自身は、与羽に振り回されるのが嫌いではない。与羽の無邪気で明るい行動を近くで見られるのなら、あれくらいの迷惑など安い。辰海も同じだと思っていたのだが……。
「まあ、いいや」
独り言としてつぶやいて、アメは辰海を見た。
「僕はずっと君たちの事うらやましいって思ってきたけど、そうでもなかったのかな……?」
「何の話?」
「ほら、僕とラメはいいなずけでしょ? しかも、親が勝手に決めた」
確かにそうだが、幼い時からいいなずけがいることは、別に珍しくない。
「僕は有名文官家漏日の長子だし、ラメも有名文官家の直系。身分も釣り合ってるし、歳も同じだし申し分ない組み合わせだよ。でも、僕だって恋愛結婚にあこがれてた時もあったんだ。君や中州みたいに自由に好きな人を見つけてさ。
うらやましいけど、自由だからいくらでも逃げられちゃうんだね。嫌いになったらすぐにわかれて、相手を傷つけるんだ……。
今の君を見てると、ラメがいてよかったかなって思えてくる。僕の場合は、相手が嫌いでも絶対結婚しなきゃいけないから、自分の都合で見捨てて相手を傷つけるってことがないし。まぁ、気持ちが通じないせいで――、ってのはあるかもしれないけど、幸い僕はラメのことが好きになれたから」
「…………」
辰海はアメの言いたいことをなんとなく察して、顔をしかめた。
「いいなずけだからね。どうあがいても逃げられない。だから、好きになろうって思ったんだ。どうせ一緒になるんだもん、好きな方が楽しいでしょ?
辰海はどうなの? 与羽のこと好きじゃないの?」
アメは直接的に尋ねた。わからないふりをされたり、ごまかされたりするのを防ごうとしたのかもしれない。
「嫌いだよ」
辰海は冷たく答えた。今まで与羽を苗字で呼んでいたアメの口から出た与羽の名のせいだろうか。眉間に深くしわを寄せ不快感をあらわにしている。その名前は、聞きたくない。
「本当に?」
アメは不思議そうに尋ねる。
「あれだけ仲良かったのに? 兄妹みたいだったのに?」
「それは昔の話でしょ? 今は大嫌いだよ。今思うと、なんであんな奴と一緒にいたのか不思議なくらいさ。暴力的でわがままで、それなのにたまに泣きそうな顔で媚びてきて――」
「辰海」
不快そうに細めた目で遠くを見る辰海に、アメはゆっくりと語りたけた。
「なんでいきなりそんなこと思うようになったの? 辰海はほんの数ヶ月前まで、何よりも与羽を大事に思っていたはずだよ。きっかけは何? 覚えてるんじゃないの?」
「…………」
学問所の同級生――黒耀仁に与羽のことが好きかと聞かれて、否定した。




