第28話 一筋の光
△4五歩打。
俺は、歩を控えて打った。
歩を温存し、あえて五平に手番を渡す――
これから押し寄せるであろう怒濤の攻め。
それをすべて受け切る覚悟を持って、
俺はこの一手を放った。
五平の眉が、ピクリと動く。
流れるように積み重ねられてきた五平の指し手。
それは、この一手によって、
初めてピタリと止まった。
五平は盤をじっと見つめ、
考慮に沈む。
その瞳は、
どれほどの深みを見つめているのか。
外では、
車や電車の音だけが、
遠く、かすかに響いていた。
そして――
三十分以上は、経っただろうか。
五平は姿勢を正し、
駒台の銀を取り上げると、
静かに、盤の上へと置いた。
▲5三銀打。
俺の飛車と金に、
両取りをかける一手。
この局面であれば、
誰しもが第一感で浮かぶ手だろう。
しかし――
五平の瞳は、
その数十手先の展開まで、
見据えているに違いない。
俺も小考し、
乱れそうになる呼吸を整えてから、
次の一手を指した。
△8二飛。
飛車を、五平の王が待つ、
8筋へと移動させた。
これで金を取られれば、
俺の玉の周りは、
金一枚だけという薄氷の守りになる。
だが、受けの手だけでは、
この男には勝てない。
俺は、危険を冒してでも、
五平の玉を狙う――
攻めの一手を選んだ。
胸の鼓動が、耳元まで響く。
五平は、すぐには指さない。
様子を窺うように目をやると――
五平の口元が、わずかに緩んでいるように見えた。
そして、▲4四銀成。
銀を取る手に、俺は△同金。
続けて五平は――
▲2六角。
俺の心臓が一拍、ドクンと鳴った。
ここでは▲6六歩打として、
俺の6五の銀を一度追い払う手も
あったはずだ。
だが――
五平は、最短の勝ちを目指し、
眠っていた5九の角を、
世に送り出してきた。
(……だけど、この角は……?)
俺は、一瞬、疑問を覚える。
盤面を広く見渡せば、
この角は、俺の八筋に回した飛車で、
王手十字飛車から、
「素抜き」を狙える位置にあった。
だが――
こんな筋を、
五平が見逃すわけがない。
(……狙いは、なんだ?)
俺は、深い読みの世界へと、
意識を沈めていった。
8六の歩を突き、
王手に対して▲8七歩と受けさせる。
そこから――
△7七歩成とさらに王手。
そうすれば、▲同桂に対し、
そこで、△2六飛とタダで角を取れる。
(……そうか。これか)
その局面を思い描いた瞬間、
五平の狙いに気づき、
背筋に、冷たいものが走った。
俺が角を取れても、
五平は▲同桂と取った、その瞬間の桂で、
俺の6五の銀を抜くことができる。
しかも、その桂は、
俺の7三の角取りにもなっている。
さっき五平が、
6六に歩を打たなかった理由――
それは、
俺の銀を、
あえて6五に置いたままにしておくためだった。
やはり、
五平の読みは、
俺の数段上を歩いている。
しかし……
何かある。
……この局面には、
まだ、何か手があるはずだ。
俺は、そう直感した。
(考えろ……!)
この局面は、
きっとこの将棋で初めて訪れた、
最初で最後のチャンスだ。
ここを逃したら、
もう、この将棋は勝てない。
時間が流れる。
……どれほどの時が経っただろう。
一時間は、過ぎただろうか。
今の俺の実力では、
この局面を完全に
読み切ることは、到底不可能だ。
それでも――
暗闇の中に、
一筋の光が見えた気がした。
俺は、
腹を括った。
△8六歩。
最初に思い浮かんだ読み筋と、
同じ一手。
この手に対し、
五平は一度▲3四の歩を取り、
4四の金取りをかける。
俺は、△3五歩打。
金を守る。
そして五平は、
▲8六歩と、手を戻した。
(――ここだ!!)
俺は、
駒台の銀を、静かに。
だが、力強くつかんだ。




