表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
棋聖の孫、江戸に立つ ~盤上の記憶譚~  作者: 一進(にのまえすすむ)
第2章 現代・高校将棋部編
PR
60/65

第26話 動き出した時

あの日と同じ盤の前に座った俺と五平。


駒を並べ終えた盤の上に、

静けさが、まるで布のように降りる。


「……それでは、私が先手だな」


「うん。……あの日と同じだ」


五平が、ゆっくりと右手を伸ばす。


▲7六歩。


盤上に、初手の駒音が静かに響いた。

ただの一音のはずなのに、

この部屋の空気が、わずかに震えた気がした。


俺も、駒にそっと手をかける。


△8四歩。


飛車先を突く。


▲2六歩。

△8五歩。


相居飛車の出だし。

定跡による静かで美しい序章――

だが、その裏で、互いの呼吸が確実に研ぎ澄まっていく。


そして、五平は▲7七角。

俺は△3四歩。角道を開ける。


続けて、五平は――


▲6六歩。


「……昨日のことのようだ」


五平が、小さく呟いた。

俺は、言葉が出なかった。


俺は江戸であの対局をしてから、

まだ一月と少ししか経っていない。

けれど五平は、十年以上の歳月を越えてきている。


なのに、当たり前のように。

淀みなく。

まるで昨日の続きを指すように、同じ手順をなぞっていく。


――どれだけ、この将棋が。

――どれだけ、この時間が。

五平の心に残っていたか。


それを感じ取るには、十分すぎた。


五平の構えは“雁木”。

俺は――“矢倉”。


矢倉。

祖父と何度も並べた囲い。


「……昔から好きだと言っていたな」


五平が、わずかに目を細める。


「うん。――そうだ」


口が、勝手に動いていた。


中盤。

ぶつかり合う歩。

角の出入り。

桂の跳躍。

継ぎ歩。


あの日と同じ局面が、少しずつ近づいてくる。


そして――▲2五桂。

俺の3三の銀を狙ってきた手に対し、

俺は2四に銀をかわす。


直前に五平の角道を遮ったにもかかわらず、

桂を飛んできたその狙いに、

あの時、俺は気づかなかった。


そして、▲3三桂成。

ただ桂を、何もない3三の地点に成り捨てる。


2七の飛車が直通しているから、

銀では取れない。

俺は2四の銀に紐をつけるため、△同金と桂を取る。


そして、五平は――

▲2五歩打。

俺の銀は逃げ場を失った。


流れるような、鋭い、流石の手順。


ただ、俺も負けていなかった。


△3五桂打。


五平の4七の銀と2七の飛車、

両取りをかける、いわゆる“ふんどしの桂”。


ただ、五平の陣には3六に歩があり、

この桂はすぐに取られてしまう。


しかし、2四の銀でその歩を取り、

手順に銀を逃す。


「……この時だったな」


俺が指し手を終え、

まさにあの日の局面を迎えたその時、

五平は、一拍おいて呟いた。


「この局面だ。この盤が光を放ち……

 蓮を連れて行ったのは」


「……そうだね」


あの時の記憶が甦る。

別れの言葉も言えず、江戸を離れたあの日。


しかし――

俺はこうして五平と将棋を指している。


「すべては……

 この時のために……」


五平の言葉は、そこで途切れた。

その後、どんな言葉を続けようとしたのか、

俺には分からなかったが――


その表情には、

五平が歩いてきた十年の重みが、確かにあった。


「五平……胸は大丈夫?」


「……大丈夫だ。

 ……かたじけない、悟平殿」


五平は胸の奥にその言葉を届けた後、

俺の方を向いた。


「……さあ、あの日の続きを指そう、蓮」


「……うん」


それ以上、言葉は必要なかった。


俺たちの止まった時が――

静かに、だが確かに、動き出した。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ