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棋聖の孫、江戸に立つ ~盤上の記憶譚~  作者: 一進(にのまえすすむ)
第2章 現代・高校将棋部編
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第25話 偶然ではなく必然

祖父の家に着いたとき、

俺は無意識に、深く息を吸っていた。


古い日本家屋特有の、

少し湿り気を帯びた木の匂い。

子どもの頃から何度も訪れている場所なのに、

今日はなぜか、空気が違って感じられた。


「……ここが、蓮の祖父の家か」


五平が、静かに呟く。


「ああ。

 誰にも邪魔されずに、

 将棋を指せる場所って言ったら……

 ここしか、思いつかなかったんだ」


玄関を開けると、

ちょうどおばあちゃんが顔を出した。


「まあ、蓮。久しぶりね」


柔らかな笑顔のまま、

五平へと視線を移す。


「あら……お友達?」


「うん。悟平君っていうんだ。

 一緒に将棋を指そうと思って」


「まあまあ」


五平が、丁寧に頭を下げる。


「突然お邪魔して、申し訳ありません」


「あらあら、礼儀正しい子ね。

 いいのよ、どうぞ上がって」


おばあちゃんは、

どこか嬉しそうに目を細めた。


「おじいちゃんの部屋、使う?」


「いいの?」


「ええ。

 私はこれから出かけるから、

 二人とも、ゆっくりしていきなさい」


おばあちゃんは、深く詮索することもなく、

そう言って支度を始めた。


やがて玄関の扉が閉まる音がして、

家の中が、ふっと静まり返る。


俺は、その静けさに紛れるように、

小さく息を吐いた。


「……じゃあ、二階に行こう」


「うむ」


祖父の部屋は二階にある。

階段を上がり、襖の前に立つ。


引き手に手をかけ、

そっと開いた――その瞬間だった。


胸の奥に、

言葉にできない違和感が走る。


畳の匂い。

障子越しに差し込む光。

部屋の広さも、家具の配置も、記憶と変わらない。


それなのに――


「……?」


俺は、無意識のうちに、

部屋の隅へと視線を向ける。

……そこにあったのは、

見覚えのある木箱だった。


「……あれ?」


思わず、声が漏れる。


心臓が、どくりと音を立てた。


祖父が将棋盤をしまっていた、あの箱。

だが、この箱は……空だったはずだ。


江戸へ行ったとき、

あの盤は、確かに向こうへ渡った。

そして俺が現代に戻ったあとも、

盤は、江戸にあるままだった。


ここに残っていたのは、

ただの“箱”だけだったはずなのに。


気づけば俺は、

無意識のまま箱へ歩み寄っていた。


「……蓮?」


背後から、五平の声が聞こえる。


構わず、

俺はゆっくりと、箱の蓋に手をかけた。


――開けた瞬間、

息を呑む。


そこに、あった。


見間違えるはずがない。

長い年月を経た木目。

盤の角に残る、わずかな欠け。

指したときに、確かに感じた――あの重み。


「……戻ってきてる」


思わず、声が漏れた。


「この盤……」


俺は、はっきりと言った。


「……五平と、一緒に来てたんだ」


五平は、

この盤が光を放ち、現代へ来たと言っていた。

だが、それを聞いたとき、

盤がどうなったのかまでは、

俺は深く考えていなかった。


背後で、

五平が静かに息を呑む。


「……なるほど」


低く、落ち着いた声だった。


「私がこの世に来たとき……

 この盤もまた、

 本来あるべき場所へ戻った、ということか」


俺は盤を見つめたまま、

ゆっくりとうなずいた。


俺たちが今日、ここに来たこと。

この部屋に足を踏み入れたこと。


――偶然じゃない。


そんな感覚が、

胸の奥に、はっきりと残っていた。


「……指そう」


俺は、盤から目を離さないまま言った。


「あのときと同じ、この盤で」


五平は、しばらく盤を見つめ、

それから静かに、一歩前へ出た。


言葉は、もう必要なかった。

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