写真館にて
夜。
商店街の端にある古い写真館は、とうに閉まっている。
看板の文字は半分剥がれ、シャッターには錆が浮いていた。
その二階の窓を見上げながら、男は缶コーヒーを飲んでいた。
「で?」
誰にともなく聞く。
隣にいたADが資料をめくった。
「地元では、午前零時を過ぎると二階に明かりがつくって話です」
「毎日?」
「いや、そこまでは」
「何曜日?」
「それも特には」
「誰が見た?」
「最初に投稿した人は連絡つきませんでした」
「弱いなー」
男――番組ディレクターの久世は、もう一度写真館を見上げた。
暗い。
静かだ。
当然だった。
「でもSNSでは結構広がってますよ」
「SNSは何でも広がるだろ。猫が二本足で立っただけで百万再生だぞ」
「それと比べます?」
「写真館より猫の方が強い」
ADが苦笑する。
少し離れたところでは、カメラマンが撮影器具を調整していた。
音声がマイクを伸ばし、出演者のタレント二人がロケ車のそばで台本を確認している。
久世が担当している番組は、『あれ、ほんと?』。
街で囁かれる妙な噂を拾い、実際に現地へ行って確かめる。
心霊番組、というほどではない。
事件を追うほど硬くもない。
夜中に鳴る電話。
誰も住んでいない家の明かり。
毎週同じ場所に立っている男。
そんな、誰かに話すには少しくだらなくて、それでも少し気になる。
そういう話を集める番組だった。
「久世さんよ」
後ろから声がした。
演出補佐の三上だった。
久世とはもう何年も一緒に仕事をしている。
「どうする?」
「何が」
「このまま何もなかったら」
「そうだなー」
「どう持たせるの?」
「使いようだ」
「どう使うんです?」
「それを今考えてんだよ」
久世は缶コーヒーを飲み干した。
「とりあえず入れるぞ」
「出演者?」
「うん」
*
「いやいやいや、絶対なんもないでしょ!」
タレントの一人が、大げさに写真館を指さした。
「でもこれ、地元の人が何人も見てるんですよね?」
もう一人が振る。
久世はモニターを見ながら、イヤホン越しに指示を出した。
「もうちょい建物寄って」
カメラが古い写真館を映す。
「そのまま。二階の窓」
真っ暗な窓。
「もうちょい待つ」
零時を回っても、写真館に変化はなかった。
一分。
二分。
三分。
出演者が話をつなぐ。
それも限界がある。
久世が腕時計を見る。
三上が言った。
「どうする?」
「待つ」
「どこまで?」
「俺が飽きるまで」
「もう飽きてる顔してるけどな」
久世は無視した。
その時だった。
「あ」
カメラマンが小さく声を出した。
二階の窓。
ほんの一瞬だけ、ぼんやりと明るくなった。
「おい、今の撮れた?」
「撮れてます」
「そのまま回せ。窓寄って」
出演者も気づいた。
「え、ちょっと待って! 今つかなかった!?」
「ついたついた!」
急に現場が騒がしくなる。
久世はモニターへ顔を近づけた。
もう暗い。
「カメラそのまま回しとけ」
久世が立ち上がった。
三上が少し笑っている。
「良いじゃん」
「……だな」
「どうする?」
「見に行く」
久世はカメラマンを見る。
「回したまま来て」
「了解」
「出演者も?」
「一応な」
三上が感心したように笑った。
「急に元気になったな」
一行はカメラを回したまま、写真館へ向かった。
*
写真館の裏手には、小さな勝手口があった。
呼び鈴を押す。
返事はない。
もう一度。
しばらくして、中から物音がした。
「え?」
ADが身構える。
久世は無言でカメラマンに指を向けた。
回し続けろ、という意味だった。
鍵が開いた。
出てきたのは、五十代くらいの男だった。
「何ですか?」
久世たちは一瞬黙った。
「……ここ、使ってるんですか?」
「使ってますけど」
「閉店してますよね?」
「店はね」
男は何でもないことのように答えた。
「二階、さっき電気つけました?」
「ああ。つけたよ」
久世が聞く。
「何してたんです?」
「写真の整理」
「夜中に?」
「昼は畑あるから」
「……なるほど」
「すみません、ちょっと取材いいですか?」
「ああ、別にいいけど」
片付けがあるとのことで一旦店を後にした
後ろで三上が顔を逸らした。
笑っている。
久世が振り返る。
「何だよ」
「いやなんでも」
「畑やってる方でしたね」
「そうだな」
「結構張りましたね」
「そうだな」
ADまで笑いを堪えている。
「お前ら」
久世はため息をついた。
「でも、使えるだろ」
「使うんですか?」
「編集すりゃどうにでもなる」
少しして片付けが一段落ついたと合図をもらった
*
午前一時。
撮影終了。
ロケ車の中で、久世は今日の映像を確認していた。
二階の明かり。
出演者の本気の驚き。
裏口から普通に出てくる元店主。
そして、
『昼は畑あるから』
久世が笑った。
「これ、最後ここで落とそう」
三上が隣から覗く。
「怖いBGMガンガン鳴ったあとに? ただのコメディじゃん」
「良いだろ」
「変な番組だな。雰囲気は完全にホラーだったけど」
「はいはい」
久世は映像を止めた。
「次どこだっけ」
ADが後ろの席から資料を出す。
「地下道です」
「何の噂?」
「一人で歩くと、後ろからもう一人分の足音がついてくる」
「それ反響だろ」
「まだ行ってもないのに」
「地下道の怪談、八割反響」
「残り二割は?」
「酔っ払い」
「夢がないなあ」
車内に笑いが起きた。
久世は窓の外を見る。
夜の街が流れていく。
真相なんて、大抵こんなものだ。
怖そうに見えるものも。
妙に意味ありげな話も。
近づいてみれば、拍子抜けするほど普通だったりする。
だからこそ、見せ方がいる。
「久世さん」
「ん?」
「地下道、何も起きなかったらどうします?」
久世は少し考えた。
「その時考える」
「またそれ」
「現場で思いついたやつが一番いいんだよ」
「じゃあ俺も、何か思いついたら勝手にやろーっと」
「危ないことじゃなきゃな」
「監督通さずに?」
久世は窓の外を見たまま答えた。
「いちいち指示待ってたら遅れるだろ。面白そうなら勝手にやれ。どうせ最後は編集するんだ」
三上が前の席から振り返った。
「言ったな?」
「何だよ」
「別に」




