吟遊詩人のヨシヒコさん
今の時や空間を別の時や空間に仕立てる、模様替えする。大昔にいた吟遊詩人を再現出来たとしたら、きっとそんなひとだと思います。
ヨシヒコさんは読書家だ。
この施設に住むひとで書庫を利用するのはヨシヒコさんだけだ。図室室の名札を掛けて寄贈を受けた絵本や百科事典を揃えた専用の部屋とは別に、半世紀前からストックしている様々な冊子を排架している雑品庫を職員は書庫と呼んで区別している。わたしも外からの照会で古い調べものが必要なときにときどき部屋に入ることがある。
そうすると、そのうち半分はヨシヒコさんがすでに先客となっている。
一番狭い会議室のような部屋の向かい合わせの書棚に半分隠れた窓から日の差し込むお午前が、ヨシヒコさんの読書時間に充てられている。片方の書棚は同じ業界の施設からときたま送られてくる会報や記念誌で、もう半分はこの業界を専門にしている学術機関から謹呈された論文の類だ。
それが、向学心の素直な目が書かれたものを追っている。わたしたちのように探し物を見つけるため、辞書を引くように読んでいるのではない。読み物として読んでいる。いつだったか、福祉用語辞典という名前そのものずばりの辞書を読んでいることがあったが、わたしが入ったときは「に」のぺーじで、出ていくときは「の」のあたりで書棚の元の隙間に戻しtていた。
ただでさえ口数の少ないヨシヒコさんの読書中に話しかけるなんて誰もしないことだが、わたしはそのとき時候のあいさつのようにストレートな言葉が出てしまった。
「それって、面白いの」
ヨシヒコさんは、驚きも怪訝な顔もせずに、うんと頷いた。もしかしたら、ほんとうにちゃんと「うん」の声が漏れていたかもしれない。わたしはそのあとも耳で聞こえた記憶が残っている。
なぜなら、そのあと、さきほどの「うん」がマイクテストのようなイントロで、マイクもアンプもスピーカーもなかったむかし、途ゆく他人にその足を止めて聞かせていた吟遊詩人の朗々の声が続いていったから。
ノーマライゼーション
障害者が障害のないひとと一緒に普通に生活できること
障害を持っていても普通の暮らしを実現すること
施設なんかじゃなくてわたしの家に住むこと
不動産屋さんへ行ってマンションやアパートを借りること
月曜と金曜に燃えるゴミを水曜日には資源ゴミを出すこと
夜はカツ丼と決めていても、気が変わってカレーライスを食べていること
近所の奥さんたちと一緒になってその場にいないヒトの悪口を言うこと
確かな節や調子が付いていた。伴奏だってあったかもしれない。ヨシヒコさんは、いつものような右手の人差し指で書かれた文字を追ったりせず、こちらを向いて朗々と歌っていたのだから。空いている両手で竪琴くらい奏でていたかもしれない。
ポロン ポロン ぽろぽろポロン
旅人の田香山さんのようにあっちこっちヒッチハイクして回ったりはしないけれど、画伯の繫田さんのように思い描いた世界をわたしたちに描いて見せたりはしないけど、ヨシヒコさんはこの狭い書庫に佇みながら古今東西を自由に駆け回り、見つめ、歌っている。
ヨシヒコさんこそ、現代の吟遊詩人だ。




