エピローグ(絆ふたたび)
―――――二ヶ月後
両親と俺は、高岡高原メンタルヘルス・リハビリセンターの待合室で、緊張しながら彩との再開を待っていた。
彩から家に連絡があったのは最初の十日間くらいであり、そこからはほとんど連絡がなく、
こちらから電話をしてもいつも「今はミーテイング中です」と言われた。
近藤も同じように断られていたので、スタッフが嘘をついているのかと正直思っていた。
しかし、ミーティングやグループワークといったものが多いのは確かなようだった。
手紙も三回くらい送ったこともあるが、一度も返事はなかった。
だから正直、彩が俺たちにどんな反応を示すのか、俺も両親も不安だった。
三十分程待つと、遠くから若い看護師に連れられて、彩が歩いてきた。
地味なジャージ姿で、まだ退院するという自覚がないかのような格好だった。
「田中様ですね?おまたせいたしました。彩ちゃん、いままでお疲れ様。みんな仲間だからね。また辛くなったらいつでも戻っておいで」
すると彩は看護師に抱きつき、泣き始めた。名残惜しいのだろうか。
「辛かったらいつでも連絡ちょうだい。でもすぐに返信がないからといって、『捨てられた』とかは思わないでね、もうわかってるよね。何度も何度も言ったもんね」
彩はこの段階でまだ、俺たち三人とは一度も視線を合わせてない。
「本当は…まだ…帰りたくない…」
「あ、彩ちゃん…」
「自信がない……うまくやっていく自信がない…」
「大丈夫、先生がOKを出したから退院できるんだから。自信なんて私も持ってないよ。でもそれでいいんだってば。挫折したらメール頂戴」
彩は看護師から離れて言った。
「また…たぶん…また戻ってくると思う…」
「いつでも待ってるよ」
そう言い、若い看護師は、彩の背中をポンと押した。
「ほら、ご家族が待っているよ」
「…うん」
彩はようやく俺たちの顔を見た。
親父がまっ先に言った。
「彩、久しぶりだな。よく頑張ったな……」
すると彩は小さな声で言った。
「頑張ってなんかないよ。頑張ったのはここのスタッフ。あたしのせいでどんだけスタッフを苦しめたかわからないよ。たぶんそのことを全部話すと一冊の本になるくらい…。でもおかげで、あたしは本当のあたしを見つけるヒントを得ることができた…」
「彩、おかえり」
既に涙を流しているお袋。
「お、お母さん、ただいま」
そして俺がぶっきらぼうに言う。
「おう、ひさしぶりだな」
「うん…兄さんは変わらないね」
「ま、まあな…って、それは褒めてるのか、けなしてるのか…?」
お互い会話がぎこちないまま、俺たちは病院を後にした。
車は高速道路を走行中だった。
俺の隣に座っている彩は、久しぶりに手渡された自分の携帯を見ていた。
そして、しばらくいじっているとハっとしたような顔をした。
俺は、そっと彩の携帯を脇から盗み見ていた。
彩は大量に届いているメールを次々と確認しているようだった。
そして彩は心無しか、頬を赤く染めている。
少しだけ内容が見えた。
「…毎日彩のことを考えている。この気持ちに嘘はない。退院したら…」
そこから先は見えなかった。
俺の盗み見に気づいた彩は「ちょっと!」と怒り、俺の目を手で覆う。
それからの田中家の日々は今までと比べると、はるかに穏やかなものとなっていた。
でももちろん彩の病気が完治したわけではない。
彩の病気はそんなに簡単なものじゃなかった。
学年が一つ上がり、高校二年になった彩は学校に復帰したが、三日くらい立て続けに行くと、鬱気味になり、やはり保健室に行ったり、学校を休んだりの繰り返しをしていた。
そのことについては親も先生も、もはや何も言わなかった。
後で両親から聞いてわかったことだが、最初にあの病院を訪れて、カウンセリングルームで専門医が、彩と両親に伝えた内容は極めてシビアな現実であった。
「回復には、早くて五年かかるでしょう。しかもこの五年というのは、あくまでもうちの病院に今後もずっと入院や通院をし続けてという話で…。でも彩さんは、ここを退院したら、また県外の元の家にお戻りになり、地元の精神科に通院となるのでしょう。地元の精神科の力を信頼していないわけではないのですが、私が紹介状を送っても、地元の精神科では彩さんに合ったプログラムを実行し続けるのは難しいと思います。なぜならうちのような専門病棟がないからです。だから、厳密に言うと彩さんの病気の回復には五年どころか早くても七年〜八年はかかるでしょう。就労についてはとりあえずは『アルバイトが出来るだけでもマシ』だと思ってください。もしお父様が娘様に、自分の理想を押し付ける傾向があるのだとしたら、その理想は捨てて下さい。もし彩さんが、あくまでもお父様から見て、社会的地位の高くない仕事についたとしても、仕事を続けることが出来るだけでも奇跡だと思ってください。重い人はどんなに単純な作業の仕事であっても長続きできないのですから」
専門医は、容赦なく絶望的なことを言ったという。
その意図はよくわからないが、あの病院の専門医は現実をあやふやにしたり、中途半端にその場しのぎの安心感を与えることもなく、目の前の厳しい現実をこれでもかというくらいにはっきりと伝える人らしい。
普通なら、そのことで深いショックを受け、また自殺まがいのことに走るのではと心配するべきものではないかと思うのだが、専門医は「治療は単なる話し相手でもないし、患者同士の傷の舐め合いだけで済む様な甘いものでもない」とも言ったらしい。
彩があの病院で具体的にどのような生活をし、どのようなプログラムの中、どのような治療をしたかはある程度は聞いたが、それを書いているときりがないので省略させてもらう。
退院後、近藤との交際は比較的順調だったものの、具合が悪いときは、メールの返信すらできない状態だった。
彩と付き合うということは、近藤の言うとおり、まさに『待つ』ということだった。
しかし、この『待つ』という行為は近藤が口に出して言うほど甘いものではなかった。
彩は、退院してからは自殺的な行為はほとんどしなくなっていたものの、今まで同様、時には近藤に突然の別れ話や原因不明の無視を繰り返したり、激しく激怒して、近藤の全人格を否定するような暴言を吐くことも日常茶飯事であった。かと思えばやはり「捨てないで」と泣きついて来るという行為を繰り返していたらしい。
せっかく二ヶ月も待って、これから甘い恋愛の日々が始まることを少しでも期待していた近藤にとっては、こんな状態が立て続けに続くと、次第に、彩という女そのものが面倒くさい存在となっていき、「どうしてここまでして自分はこの女に自らの青春の日々を奪われなければならないのだろうという気にすらなってくる」などと、俺に愚痴ることが増えていった。
「彩と付き合っているとこっちまで鬱になりそうだ。そのうち俺まで安定剤を飲むことになるかも」とも言っていたが、あながち冗談でもなさそうだった。
彩と交際するということはそれだけ過酷なことだった。
でも彩が病気になり、田中家は変わった。
彩が病気になり、
親父は変わった。
一番変わったのは「人並み以上」という言葉を一切口にしなくなったことだった。
彩が病気になり、
お袋は変わった。
一番変わったのは親父という独裁者から解放され、積極的に自分の意見を言うようになったことだった。
彩が病気になり、
俺が変わったことと言えば、親孝行に目覚めたことだろうか。
どれだけお金がある家庭でも、どれだけ優秀な家庭でも、どれだけ周囲から羨ましがられるような家庭でも、家族間の「絆」がなければ、家庭というものは、想像以上に脆いものだということを身をもって体験した。
このことは、今後の俺の人生に大きな影響を与えたに違いない。
俺ももう高校三年生……。
大学に入ったら(絶対に浪人しないつもりだが)、俺は真っ先にアルバイトをしたい。
あの火災後、今では完全にリフォームが完了している彩の部屋だが、そのリフォーム費用の足しに少しでもなればと思っているからだ。
あの部屋が今後、ハンマーで壊すことも、血まみれになることも、黒こげになることもないことを信じて…。