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令和怪異蒐集録  作者: 未来が見えない


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9/9

The Account

 いつからだろうか。自分という「存在」の手触りを失ってしまったのは。


 始まりは、ほんの些細な違和感だった。父親に「お風呂に入るよ」と声をかけられたとき、その言葉が自分の肉体を通り抜けて、背後の壁に吸い込まれていくような感覚を覚えた。あるいは、母親に「今は我慢なさい。そうすれば後で必ず良いことが起きるから」と、薄ら寒い希望を押し付けられたときだったか。


 一番の親友と同じ人を好きになり、その友達と彼が、私の存在など忘れたかのように楽しげに談笑しているのを遠くから眺めていたとき、私の中の「個」は決定的に壊れたのだと思う。


 私は、容姿が端麗なわけでもなければ、学力が抜きん出ていたわけでもない。何かに打ち込む継続力も、他人を説得し、導けるような話術も持ち合わせていない。

 ただ、そこにいるだけ。


 私の中で「認めてほしい」という生存本能に近い欲求は、日に日に痩せ細り、やがて消えた。

 好きなもの、嫌いなもの。尊敬、あるいは軽蔑。あらゆる感情が等しく無価値になり、彩りを失った。私はただ、巨大な社会という機構に組み込まれた、錆びついた歯車として、惰性で回り続けるだけの毎日を過ごしていた。


 日々の事務作業。周囲の人間とは、驚くほど話が合わない。というか、私に話しかけてくる「世間」というものに、微塵も興味が持てなかった。言葉を交わしても、それはキャッチボールにはならない。私が投げ返すのは、常に重く冷たい石礫のような沈黙か、無機質な相槌だけだった。


 最初は愛想よく話しかけていた同僚たちも、一人、また一人と離れていき、今や私に向けられる言葉は、事務的な「業務連絡」のみとなった。

 そんな、ある日のことだ。いつものように、色彩のない仕事を終えて自宅へと戻った。


 静寂だけが居座るワンルーム。着替えすら億劫で、スーツ姿のままベッドに倒れ込む。

 私は、枕元に転がっていたタブレットの電源を入れた。思考を止めるために、おすすめに流れてくる動画を適当に再生する。

 それは、ある人気配信者が、最新のホラーゲームを実況するという内容だった。


 画面の右上に踊るタイトル名は、【The Account】と表示されている。

「はい、皆さんこんばんは!早速始めていきますね。いやあ、楽しみですよ。これ、最新のAI技術を駆使したっていう噂の新作ですからね。ワクワクします!」

 配信者の軽快な声が、スピーカーから漏れる。

 画面が切り替わり、キャラクターメイキングの画面が映し出された。プレイヤーの分身となるキャラクターを、細部まで作り込んでいくフェーズだ。

「まずは主人公キャラから……っと。渋い感じにしますか」

 調整バーが動くたびに、男の顔が成形されていく。

 ……妙だ。


 その男の造形、どこかで見たことがある。目元の皺、口角の歪み方。私の記憶の底に澱のように溜まっている「誰か」に酷似している。

 配信者はそんな私の困惑など知る由もなく、操作を進めていく。

「よし、完成!じゃあ、この男の人生を始めていきましょうか」


 ゲームが始まった。物語は、その男が高校生として、甘酸っぱい恋愛を謳歌するシーンからスタートした。

 配信者は恋愛シミュレーションを楽しむような感覚で、主人公の男を操り、あの手この手で女性キャラクターたちとやり取りを重ねていく。効率よく好感度を上げ、より「良い結末」を求めるその手つきは、まるで神にでもなったかのように傲慢だった。

 やがてゲーム内の時間は進み、主人公の男は一人の女性と結ばれた。


「お、結婚イベントですね。おめでとうございます!じゃあ、そのまま子供も作っちゃいましょうか」

 配信者のクリック一つで、画面は暗転し、数秒後には産婦人科のベッドに横たわる女性の姿が映し出された。

 その時だ。

 生まれたばかりの赤子の顔がアップになった瞬間、私の指先が凍りついた。

「……え?」


 赤子が、成長していく。ゲーム内の時間は恐ろしい速度で加速し、その子が喋り、歩き、自我を持ち始める過程がダイジェストで流れる。

 その子の周囲にいる「両親」の顔を、私は凝視した。

 赤子が成長し、彼らの顔がはっきりと描写されるたびに、脳裏に雷鳴のような衝撃が走る。この、娘の意思を無視して「お風呂に入るよ」と笑う男。


 この、「我慢しなさい」と無機質に諭し続ける女。

 それは、紛れもなく私の父親と母親だった。

 そして、画面の中で成長を続ける少女。

 十歳、十五歳、十八歳……。

 画面を凝視する私の目に映ったのは、今の私と全く同じ、色彩を失った瞳をした自分自身の姿だった。

「ひっ……!」

 喉の奥から乾いた悲鳴が漏れた。

 私はたまらず、手に持っていたタブレットを床へ投げつけていた。

 床に叩きつけられたタブレットは、衝撃で画面に無数の亀裂が走り、バックライトが消えて漆黒に染まった。

 静寂が戻った……はずだった。


「……あー、なんか、この娘ちゃん、最近育ち方が良くないな」


 不意に、暗転したはずの画面から声がした。

 投げ捨てたはずのタブレットが、物理的な重力を無視して、ふわふわと宙へ浮き上がり、水平に静止した。

 液晶の亀裂は深いままだ。しかし、そのひび割れた暗闇の向こう側で、動画は止まることなく再生を続けていた。


「おいおい、何だよ。風呂に入るイベントなのに、こんなに嫌そうな顔するか?せっかくのサービスシーンだっていうのに」

 配信者の声には、明らかな落胆が混じっていた。

 一人称視点のカメラが、お風呂へと誘う父親の手を映し出す。


 画面の中の「私」は、虚空を見つめたまま、何の感情も宿さない瞳で立ち尽くしている。

 配信者は、まるで失敗した家畜を評価するように、不愉快そうに私の人生を眺めていた。

「あーあ、失敗作だわ、これ。最初は期待してたんだけどな。全然思い通りに動かない。結局、この世界でこいつは、ただのNPCノン・プレイヤー・キャラクターだったってことか」


 吐き気がした。私の空虚。私の違和感。私の喪失。

 そのすべては、この男が気まぐれに操作する「アカウント」の、設定の一部に過ぎなかったというのか。

 私は、造られた存在。意志を持たず、ただそこにあるだけの、代わりの利く背景オブジェクト。


「……恨めしい」


 その言葉が、私の唇から滑り落ちた。

 これは、プログラムされたセリフではない。

 空っぽだった私の器に、初めて「殺意」という熱い液体が満たされていく。


「成金生活ルートで楽にクリアするつもりだったのに。コメント欄も『こいつ暗すぎ』って不評だしさ。……よし、決めた。このデータ、消しちゃいましょう。リセットして、もっと可愛い子に作り直そう」配信者の手が、削除ボタンへと伸びる。

 私は、浮遊するタブレットの、亀裂だらけの画面を凝視した。


 ひび割れたガラスの向こう側に、勝利を確信して笑う配信者の、薄っぺらな顔が反射している。

 私は、反射したその「顔」に向かって、ゆっくりと右手を伸ばした。

 グニャリ、と視界が歪んだ。

 タブレットの表面が、水面のように波打つ。

 指先が冷たいガラスを通り抜け、粘り気のある闇へと呑み込まれていく。感触があった。


 ……人の肌の、生暖かい、嫌な温度。


「……え?何だ、これ。バグか?」

 配信者の声が、恐怖で上ずった。

 彼の部屋、彼のPCモニターから、突如として一本の青白い腕が突き出したのだ。

 その指が、逃げようとする配信者の首を、万力のような力で掴み取る。


「娘ちゃんも矯正しっぱ……ェッ、ガッ、ゴフッ……!」

 震え上がる配信者の眼前で、液晶の壁を食い破り、一人の女が這い出してきた。

 それは、彼が「失敗作」と呼んで切り捨てようとした、瞳のない女。

 眼窩にあるはずの光を失い、代わりに底なしの闇を湛えた、私自身の成れの果て。

 私は、彼の耳元で、甘く、冷たく、死神の吐息のような声を囁いた。


「ようこそ、The Accountへ……」


 配信者の顔が、恐怖で土色に染まる。

 今度は私が、あなたの人生を操作してあげる。

 あなたの呼吸、あなたの鼓動、あなたというアカウントを……


 私が納得するまで、何度でも、何度でも、リセットを繰り返して。


いつもお読みいただきありがとうございます。皆さまからのブックマークや高評価が、執筆の大きな励みになります。これからも楽しんでいただけるよう精一杯書いていきますので、引き続き応援よろしくお願いします!

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