「アウレリア山と古都グラスゴール3」
秋は束の間の休息だった。住民たちの抗争には付き合わないものの、化生に関係する問題には手を貸すこともあった。今まで存在も知らなかった戦士や、宿屋の主人、薬屋に鍛冶屋と知り合いになり、時折情報交換する仲になって、ラウラやフィアも他の浴場婦たちから仕入れた情報もあり、抗争のさなかであるのに人々の連携は良くなっていった。
ショーンはといえば城に登り、女と交わり、化生の群れを襲撃し、群れを瓦解させるか、数を増やさせないようにし、帰ってきてはまた女たちと交わる日々だった。
そして冬が来た。木々は紅葉を散らし、雪が落ち葉の代わりに地を覆う。
街は数センチつもり、化生もショーンも、動きを鈍くさせられた。凍てつくような寒さは武具に伝播し、城壁も登りづらく危険が増した。実際に手を滑らせ、落下し、運よく途中で木の枝に助けられ地面との衝突は避けられたことも2度あった。
城内にかけられた魔術が弱くなったのだけが救いだった。それでも冬は活動を休止するべきかショーンは悩んだ。
冬の城での最大の収穫は、妖精だった。白く薄い布を身にまとった女の精が城内の小部屋にある噴水で水浴びしているところを見たのだ。それは羽の生えた妖精だった。
身体の大きさが人の前腕ほどであること以外では、絶世の美女であることと、花のように儚いオーラを持ち、人と僅かに違う発声で話すことが特徴的だった。
妖精の声はリバーブがかかっているように部屋に響く。蜂蜜をやると懐いて、仲良くなると、か細い声でショーンの訪問をいつも歓迎してくれた。
仲良くなった妖精は宝を持って帰るショーンを見ると、いい顔をしなかった。特に王冠は絶対に城から出してはいけないと身振り手振りで伝えてきた。ショーンも悪く思い、王冠は持って帰らないことを約束し、他の宝物もこれ以上は持ち帰らないと伝えた。妖精は喜んでショーンの頬にキスした。
それから、ショーンはやるべきことが無くなった。
しばらくは女に夢中になろうとしたが。ライフワークが忽然と消えてしまったような空虚さに支配された。向かうべき旅の目的地を、あの時罪悪感から消し去ってしまったのだ。
妖精と約束したものの、城に行く理由も、生きるために探索する理由もないのだ。出ようと思えばもうこの都を出ることも、ラウラやフィア、お気に入りの女を連れて行くことも出来る。しかし、問題はショーンはここでの日々に骨の髄まで浸かりきってしまったことだった。何も考えずに、ここで生存する、それ以外の生き方をショーンは忘れてしまった。
そして妖精との約束を違えることも、どうしても嫌だった。怒りと摩耗感で、震えるような、もどかしさが身を焦がし、何かしなければ自分は狂ってしまうと感じはじめていた。
*
ある日、雪崩が起きた。
冬化粧に包まれた城と麓の城下町に、呪いが降りかかる。城の下に眠っていた、山の下に眠っていた化生の軍勢が蘇り、全ての正常に生きる存在を襲った。
化生の軍勢は一匹一匹の強さも問題であったが、それ以上に協調して戦う化生の大集団が、よりによって冬に現れたことが厄介だった。
足場の悪い中でこの数でまとまる化生と戦闘はしたくない。人々はみな家の門を閉ざし、誰一人として外に出なくなった。化生の軍勢は少しずつ少しずつ家の戸を打ち壊しては、巣穴にこもる人間たちを喰らい、それを化生におとし数を増やした。
死者の数が掴みにくかった、誰もが籠っていたので情報共有が出来なかった。
ショーンだけが、この冬の内にこの古都の人が本当に全て死ぬ想像が出来ていた。城壁の歩廊や監視櫓、湖の街道沿いの丘の上から見ていたからだ。
更に状況を把握するために。また、再び城に登るようになった。
貴重になった紙を金貨で買って、そこに情報を新聞記者でも無いのに事細かに、しかし皆が理解しやすいように大雑把に流れを書き、どの家が襲われたか、どこに化生がよく屯するかなど記載し、いろいろな場所に置いた。
籠城する民たちの、それぞれの家の前、憲兵たちの潜む穴蔵、探索者や隠者たちの棲む廃墟街。城壁に登っては状況を把握しては、伝え続けた。金はなくなっていくが、どうでも良かった。何か自分は正しい方向に向かっている感覚だけが己に自信を持たせ、突き動かしていた。目的を失った自分に仮の目的が出来ただけなのかも知れなかったが、それも、どうでも良かった。
軍勢は動きを止めず、数も増えていった。
焼け石に水なのでは⋯⋯、そう感じ始めた時に城内に入っていった。妖精に相談しようと思った。なにか知っているのではないか、直感がそう告げたのだ。
当たっていた。
妖精が一つの本を指差して、それをショーンは読んだ。
『善は悪に虐げられた、悪は正義に駆逐された。善は悪に負けたが、正義は悪に勝った。しかしその正義もまた善に与することを辞めた時、その瞬間に悪に堕ちた。次の正義が生まれ、その悪を駆逐した。古岩に冠が、再び戻る時、未来は照らされ、悪は駆逐される』
このような一節が書かれていた。そこに石に王冠を載せようとする人々のイラストが描かれていた。
「あの、紫の王冠か?」
妖精が窓の外を指さした。
妖精の指は、あの日の出の光を冠する──大岩を指していた。
「あの岩を城に?」
問おうとした時、ショーンの脳裏に山頂で輝く岩の映像が流れた。迸るような確信が沸き起こり、疑問に抱くこともなかった。あの大岩を、その場所にまで持っていかねばならない。それだけが彼の脳を支配した。
「これであってる、俺は目的を見失っていた。あの岩をもとに戻すまで、俺はこの地を出れない。どんなに金を、宝を得ようが、あそこに戻さなければ、⋯⋯!」
残りの金貨で馬車と馬車馬を買いに走った。
人々の中で外に出れる時間帯と、手伝える人手を募った。
少しずつ、少しずつ、皆で大岩を動かした。化生が出ればそれを討伐したが、ほとんどの化生は、この岩に近づこうとしなかった。それを知ると更に手伝おうという人が増えた。抗争していた人間たちも、それを止めて手伝いに来た。
雪が溶けて、ミツバチが飛び始めても、まだ大岩は山の中腹だった。化生が邪魔なので、これをどうにかしなければいけなかった。
魔法の紐と王冠の使い方を、妖精が教えてくれた。魔法の紐は英雄が投げやりに使ったもので、槍を何処までも飛ばせるほどの力を生むが、それを大岩を引く力に使えると言う。ショーンは手にそれを巻き付けて大岩を一人で引いた。王冠をつけると化生がやってきて装着者を襲うが、それをリレーのように足の早い者たちで分担して化生の群れを誘導し、岩の移動作業を邪魔させないようにした。
1日に岩を動かせる距離が劇的にあがった。今では大岩は1日にかなりの距離を進めるようになった。1週間して、岩を城の中にいれた。何も起きなかった。
太陽を冠せる場所、それ自体に城が建てられてしまっていたのだ。そして、城のふさわしい場所には岩は巨大すぎて入れられない、日も当たらない。城の中の化生ももう居ないが、何も起こらない。
ショーンに協力した人々は失望に顔を暗くした。それでも精一杯の慰めの言葉を互いに掛け合って、きっと無駄ではなかったのだと言い聞かせあった。
皆夜が開けるまで飲もうとなった。
飲んだくればかりになって既に昼になってもグダグダと城の中に居座る連中も多かった。八方塞がりに思われた時、地が揺れた。
街の教会の尖塔を揺らし、倒すほどの揺れだった。それが城を半壊させた。城の中から無理矢理に歩廊の上に置かれようとして、途中で諦められ放置されようとしていた大岩がひとりでに動いたのを、皆が見た。ショーンの名をラウラが、皆が叫んだ。
大岩がグルンと動いて、瓦礫の上に鎮座した。瓦礫が雪崩のように動いた。見えないなにかに固められたようにその岩の台とと化した。
皆唖然として、たった今見たものを信じられないと疑うように互いの顔を見やった。
陽が山を越え背に差し掛かった時、大岩が戴冠したかのように輝いた。皆麓に帰ってそれを見た。
日が沈む前に、大岩から夕焼けの幻想的な赤い光が熱波のように辺り一帯に放たれた。
化生が、皆灰になって消え去った。血錆が塵となって風に飛ばされ消えた。病める者の病が消えた。水が浄化され、木々に緑が戻った。翌日から快晴で、空の美しさが数百年ぶりにこの地に舞い戻ってきた。
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アパート近くの公園のベンチで、地平線の向こうに日が沈むのをショーンは見ていた。
「ずいぶん、長い間あそこにいた気がするな⋯⋯、まるで第二の故郷のような⋯⋯」
目を眩しげに細めながらショーンが呟いた。
走馬灯のようにあの薄暗い呪われし地での日々が蘇っては、脳裏を駆け抜けていった。苦しかった、麻痺していた。化生と戦い、女を抱いた、犬のように働いた日々だった。迷い込んだ異界で戻り方もわからずに、疑問もなく、半ば根付いたようになっていったが、どうすれば戻れるか己の直感は知っていたように動いていた。
宝は、女はどうなるのだろう。気になるが、そもそもショーンは、自分はあの世界の住人ではないのだとも思った。あんな地の、あんな思い出でも、どこか名残り惜しく、何故か輝かしい思い出のようにも感じた。
「みんな、俺のことを覚えてるかな⋯⋯。宝はちょっと持って帰りたかったな⋯⋯。いや、別にいいか。彼女たちに残したと思うことにしよう。彼女たちなら復興にも力を貸すだろうな、いい女たちだったしな⋯⋯」
名残惜しいようにショーンが言って⋯⋯
「──はぁ⋯⋯、本でも書くか。いや疲れたし、詩でも良いかもな⋯⋯、タイトルは⋯⋯、『犬のような日々』と『山禍』どっちが良いかな。ていうかだな、大変な世界だったな。あと、ちょっと風が冷たいな⋯⋯」
ベンチから立ち上がって、ショーンがアパートに向かって歩き始めた。




