「アウレリア山と古都グラスゴール」
最初、岩はただそこににあった。そこで悠久を過ごしていた。
その地が隆起してアウレリア山が出来た。岩は山の頂にあり、麓を眺めて過ごした。
地が揺れて、岩は麓に落ちた。それから岩は、山の頂きを眺めて過ごした。
人間の集落が出来、岩を祀った。果てしない時が流れて、また地が揺れた。
麓に大岩が転がり落ちた。
祀られていた岩にぶつかって、転がってきた岩は砕け散った。
時が流れ、人の手で岩は山の頂まで運ばれた。それを始めた者の孫の、その孫の代までかけて、岩は山の頂きに立った。
それからは、また岩は麓を眺めて過ごすようになった。岩を現地語で「輝く」という意味を込めてアウレリアと人が呼び、岩下に立つ山名も、そこに住む人もそれに習って名付けられた。
「山過」ショーン・ベッカーの詩
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薄暗いグラスゴールの城下町の路地を足を引きずるようにして進んでいた。もうここに普通の人間はいない、住民はとある日の月夜に化生へと堕ちた。アウレリア人というものは、ほとんどもう存在していない。
腐った身体を持つもの、病を振りまくもの、毒を撒くもの、刃を持ち駆けてくるもの、まだ堕ちきってはいないが、人の生き血を啜るもの。翼を生やし空から滑空するようにして獲物を狙うもの、暗がりに潜み覗くもの。生前と同様、人は未だに多様であったが、この古都の土の色は、概ねくすんだ黒と錆びた赤だった。
外套の内側に動きを阻害しない程度に鎧を着込み、ショーンは歩む。
都市の一角にある、秘密の安全な隠れ家にまで行けば、とりあえずひと息つけるからだ。
いつも通りに紫の光を宿すランタンを頼りに路地を3度曲がると、道横に地下へと続く短い階段が顔を出していた。そこへ入り、門のような扉を開けるとさらに階段。暗闇へと降りていくと、今度はしっかりとした門があり、鍵の束をかざすと、ひとりでにそれが開いた。
魑魅魍魎、怪物となんら中身は変わらないような人間たちが酒をちびちびと飲んでいた。カウンターには毛むくじゃらの男。骨のような色の皮膚をもつ痩せぎすの老人、ビリヤード場で女を組み伏せて腰を振っている男。まわっているルーレットが壁に立てかけられていて、そこにダーツを投げている者たちは普通の人間のようだが、雰囲気は怪しいものだった。おそらくは、近い内に化生へと落ちるだろうと、ショーンは思った。
聞こえないほどに、小さい溜め息をついて、ショーンはカウンターでビールを頼んだ。奥の一人掛けソファに腰を下ろすと、すぐに姿勢を崩した。
酷く疲れていたのだ。この身体を癒やしたい、癒しが欲しい、それとささやかな刺激が欲しい。⋯⋯あとで浴場婦のところに行こうと思った。
頭を空っぽにして生ぬるいエールを2杯飲んだところで、入口の戸が乱暴に開かれた。
憲兵隊だ。
黒いマントに黒い帽子、表情は見えないが、威圧的に店内を見渡してからテーブル席についた。てめぇらが居ると酒が不味くなるんだ。とわざわざ言いに行ったオークのような男が挑発し、それを続けた。
憲兵隊は5人だった、最初は無視していたがグラスを床に払い落とされた時に、一人が立ち上がった。短い警棒くらいの巨大なスタン警棒が、オークの脇腹に押し当てられた瞬間、男は2m吹っ飛んでカウンターに腰をぶつけ、崩れ落ちるようにして床に転がることとなった。
他二人の憲兵が抜刀し、一人がオーク顔の男の首を落とした。もう一人が麻袋に死体を入れ、店外に持っていった。騒ぎが一段落する頃にはショーンは、もう飲みたいとは思えなくなっていた。
やりすぎかも知れない、しかし何がその先に起きるのかを理解せずに実行するにはあまりにも馬鹿な挑発でもあった。どちらが悪いのかはショーンには分からない。ここまで挑発され、それを許容すれば他のものもつけあがるだろうからだ。そして、ここの憲兵は治安秩序の維持にはそれなりに役立っている。腐敗している憲兵も多いが、まだ、ギリギリ信頼できるもののほうが多い。そのバランスもいつか傾くのだろう。
優秀な憲兵は多くは派遣されてきている。大国の威信に賭けて、この古都を放棄しない国家の中央の官僚たちは自分が気に入らない脅威となる優秀な人材と、共に働くきにはなれないようなゴミのような人材を共にここに送り出す。要領よく、ほどよく堕ちるものはここから出ていき、要領悪く優秀か誠実なものはここに残る場合もある、他に居場所がないとも言えるが、その後者が、かろうじてこの呪われし地に人が住める余地というものを残してくれているのだ。
ショーンが空のグラスを置いて、裏口から出ると、ビルとビルの間に浴場婦達が立っていた。すぐ目の前の紫と黄色のネオンが2つ輝く建物に入ると、手前の部屋で良いかと聞かれた。半分壁が崩壊し、半ば中途半端な露天となっている部屋だったが、ショーンは了承した。実は露天が気に入っているのだ。
女たちは3人いて、一人は顔は整ってはいるが、そこまで好みというわけでもない地中海系の見た目の女。オリーブ色の肌に、巨乳と言うにはほんの少し足りないが、十分なサイズの乳房。下半身は張りのよい理想的な尻と脚をしていて、くびれも素晴らしかった。接しやすく、性格も申し分ないラウラという女だった。
初めてここに来た時。ショーンはひと目見て彼女を気に入って、よく一緒に湯を共にした。ラウラもショーンを気に入って、よくプライベートでも交わっていた。ラウラの下半身はこれ以上は望めないほど彼の好みで、ショーンは他の浴場婦も試したかったが、なんだかんだ彼女をよく指名することとなった。
だが、それにも変化が起きる。
たまに酒場で働いていた女給が浴場婦として働きだしたのだ。名前はよく知らないが、可愛らしい娘でよく印象に残っていた。ショーンを見ると恥ずかしそうにしていた。ラウラに断ってからその子を指名すると、ラウラはそこまで気にしていないようで、しかし若干悲しそうな顔で、送り出してくれた。
フィアという名前らしかった。黒髪、人形のような顔、シャイだがそっけない態度の中に愛らしさがある。初心で、しかし献身的な娘だった。ショーンはたちまち夢中になった。フィアも彼にのめり込んだようで、そうするとラウラとはギクシャクした。そこでそれが解決法として有効かもわからないままにショーンはいっそうラウラともまじわることとなった。ラウラはそれからは挑戦的な炎を瞳に宿しながら、ショーンと寝ることが多くなった。
英気を養うどころか、英気を失うほどに浴場婦たちに時間を使って、またあの魔界、外の街、魔地に出ることとなった。
ラウラは銀のロザリオを胸に掛け、無事に帰ってきてね、と毎度不安げに言った。フィアは何も言わずに目をつぶってキスされるのを待って、祈るように見送った。
二人のお気に入りの浴場婦とは半ば公然の付き合いとなり始めていた。ショーンはいつ帰らない身となるかも話kラなかったので、好きに生きようとも思っていたが、二人のことを思うと、このままで良いものか、とも思った。
そして十分に休んだら、また外に出ていくのだ。安全に生存できる数少ない居住区の門の外に踏み出せば、そこは化生蠢く魔界なのだから。
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ショーンの魔界での活動も数週間が過ぎようとしていた。日が昇らない廃都の石壁には、こびりついた血が風化し、時折風に舞い上げられて汗ばんだ肌につく。
この都に遺された血は赤黒い。雨で流されても消えること無く壁から、地面から湧き出る、消えることのない血痕が渇きフレーク状になっては装備や手袋に付着する。付着した血は装備を腐食し錆びさせる、錆は他の腐食と違い、侵食する腐食であり、芯まで食い尽くすが、この乾いた血がもたらす錆は血錆と呼ばれ、その腐食の進行速度から恐れられた。
これを防ぐには青銅の青緑になった武具に呪術師による特別な加工をほど課すしか無いが、1週間ほどの活動においては鉄器のほうが全てにおいて優れていた。
ショーンに呪術師の伝手はなく、また青銅の剣や槍を持って戦う気もない。切れ味は最初は鋭くともすぐに鈍るからだ。使い捨てていくのを覚悟して鉄を使うしか無い。砥石は常に携帯して使えそうなものがあれば使った。
というのもこの都にはいたるところに武具がある。冒険者の、棄てられたか、または主人を亡くした錆びた剣や盾、槍が地面から壁から生えている。蔦が壁を覆うよりも早く腐食し、苔は黒や紫に変色し、乾いて活動を止める。何者も、ここでは中途半端にしか生きられないことを暗に告げているようだった。




