おしゃれ着洗いしてるのになぁ
放課後/2-C
「風香、ちょっといい?」
折紙風香が志穂と姫妃と挨拶を交わした翌々日、須藤凛は神妙な面持ちで風香に声をかけた。
その雰囲気と同行者の暗い表情から察するに、おそらくこれは我が生業に関わる話だろう、そう風香は察した。
「場所変えるか」
◇
文化棟4F/屋上扉前
施錠された屋上の扉の前、滅多に人が来ないスペースにて風香は今回の依頼者と相対した。
「一年の近藤加奈です…」
近藤加奈は気弱そうな三つ編み少女だった。
写真部の後輩であるという口下手な彼女に代わり、先輩である須藤凛が事情を説明していく――。
事の始まりは年末年始の休み中に遡る。
父方の田舎である某県のとある村に帰省していた近藤加奈は、祖母と二人で夕ご飯の買い物に行こうと少し離れた商店を目指し、しんしんとした降雪の中を談笑しながら歩いていた。
野山の脇を通る道に差し掛かったその時、ケタケタと甲高い声で笑う女性の声が聞こえた気がした近藤加奈は、森の方を見つめた。
すると奥の方でナニカの獣が踊り狂っているのを見つけ、ゾッとした。
「そのナニカは急に踊るのをやめて、ぐるんってこちらを振り返ったんです。そして私と目が合って……嬉しそうに笑ったんです」
大柄な体躯と不気味な形相に恐ろしくなった近藤加奈は祖母の手を引き、足早にその場を離れた。
それ以降、ふとした時にケタケタという笑い声がどこかから聞こえるようになり、休み明けにセイジョに帰寮してからはその頻度がどんどん増えていき、遂に昨夜は一晩中その声に悩まされて一睡もできなかったという。
「陣ヶ森の老猿、だろうな」
話を聞き終わった風香は霊障の正体を話の内容と地域から特定、看破した。
「面倒な奴に見初められたな…。奴は危険察知に富んでいて知力が高い。調伏しようと接近するとすぐ逃げちまう。そのうえ女しか喰わない下劣な奴だ」
「キモっ! てか県をいくつも跨いでまで追いかけて来るって、加奈なにしたの?」
「なにもしてないですっ。本当にただ目が合っただけで」
「女好きとはいえ、目が合っただけでそこまで執着されるってのは確かに腑に落ちねぇな……あ、もしかしてその時、制服着てたりしてたか?」
「は、はい。高校の制服を着た私と一緒に歩きたいっておばあちゃんが言うから」
「それが原因だな。セイジョの制服には学院の瘴気が染みついているから妖霊は強い関心を覚えちまうんだ」
「そんなオカルトフェロモン出てたの? 毎回おしゃれ着洗いしてるのになぁ」
「オキシクリーンでも取れねぇよ。心配するな、お前は悪くない」
風香に頭を撫でられた近藤加奈は頬を赤らめつつ安心した。
「いかにも参ってますって感じだったから事情聴いたらまさかのオカルト関連だったからさ。風香的になんとかできそう?」
「八百万の神々の御力を以て魔を調伏するのがオレの生業だ」
任せとけ。――そう言って風香は下準備に入るべくその場を後にした。
「風香先輩、かっこいい♡」
「ほんと、女にしとくの勿体ないくらいイケメンなんだから」
◇
夜/運動場
「頑張ってね加奈」
「はい……」
門限も超えた23時頃、桐原学院長の承諾を得て調伏の準備と運動場の使用許可を得た折紙風香は、運動場のど真ん中に立つよう近藤加奈に指示を出した。
昨夜一晩中喚ていたことから今夜必ず現れると踏んだ風香は、あえて近藤加奈を囮にする形で陣ヶ森の老猿をおびき出すことにしたのだ。
怖い。寒い。心細い。そう唱えながら身を震わせる近藤加奈の精神は刻々と削られていく。
必ず助けると約束してくれた折紙風香の凛々しい眼差しだけが心の支えであった。
『ケャケャケャケャケャ』
――突如鳴り響く獣の鳴き声に近藤加奈の心臓は爆発した。
感じていた寒気は悪寒へと変わり、にじみ出る冷や汗で体温は更に低下させ、震盪を激化させてしまう。
「はァ、はァ、はァ」
ずしゃり、ずしゃり、とナニカが近寄ってくる気配がある。
方向は後方、足音は鈍重、調子は遅い。おそらく多少の警戒もあるのだろう、ナニカは様子を窺うように近藤加奈に接近する。
「はァはァはァはァはァ、風香先輩っ、須藤先輩っ、誰か、誰かっ」
救いを求める声に応える者はいない。
背後に迫る足音が止まった後は、肺が腐りそうなほど生臭い獣の吐息が彼女の首筋を撫でるのみだった。
◇
中等科文化棟屋上
「なにあの身長が3メートルはあるでっかい猿、マジなバケモノじゃんッ。風香!」
「静かにしてろ凛。今――、神を降ろす」
双眼鏡を覗く須藤凛を制しつつ、ぐいと清酒を飲み、108の珠をつないだ念珠を巻いた手で拍手を打った折紙風香は、練り上げた霊気を言霊に、祝詞を唱える。
「祓え給い、清め給え、神ながら守り給い、幸え給え」
そして要請する。悪しきを調伏するため、神となった英傑の力を貸し与え給え、と。
「私を従え給いて陰陽を発せ。奉迎仕る――沢口覚冴左衛門」
天へと真っすぐ立ち昇った霊気の道を通り、八百万の神は折紙風香に憑依、顕現する。
男の名は沢口覚冴左衛門。強面で巨躯の侍。華奢な折紙風香の体を使い、姿そのままに霊気で形成された得物を構える。
その得物とは"火縄銃"であった。男は侍でありながら鉄砲の名手であり、件の老猿を討ち倒した伝説を残す屈強な武士である。即ち奴にとって最悪の――“天敵”。
『性懲りもなし』
ドパンッッ、とけたたましく響く銃声。
霊気の弾丸は音速を超え、まっすぐ標的へと向かっていく。
運動場までの距離……944m。
◇
運動場
『――ゲゃ⁉』
今まさに近藤加奈に喰いかからんとしていた陣ヶ森の老猿のこめかみを霊気の弾丸が貫通した。
避ける間もなく、なにが起こったかわからないという呆気顔で老猿は倒れ、銃創からじわじわと全身を包む呪詛によって塵と消えていった。
「はァはァ、はァ……ふぅ」
危機は去った、と安堵を覚えた近藤加奈は緊張と恐怖の極限を超えたため、こてんと地面に横たわった。
◇
「ほんとギリギリまで動かないんだから、ハラハラしたよもぉ」
近藤加奈と合流した折紙風香と須藤凛は彼女を介抱しつつ、事の顛末を振り返る。
「警戒心の強い奴を調伏するには、捕食の瞬間を警戒網の外から仕留めるのが確実なんだ」
陣ヶ森の老猿の警戒域外からの遠距離狙撃。――これが折紙風香の打ち立てた必勝法だった。
余談を加えるなら、折紙風香は銃声を消音するための術印を地面に描き、より確実な一撃必殺を行なうための用意を施していた。降霊術のみならず、最低限の陰陽術をも修めているのは彼女の豊富な才能の証となっている。
「怖い思いさせて悪かったな加奈。でももう安心だぜ」
「ふぁ、ふぁい♡」
ぎゅうとハグして頭を撫でる折紙風香の色気と包容力に近藤加奈の目は♡になった。
「じゃあ私は加奈送ってくね。後輩を守ってくれてありがとう、風香」
「ありがとうございました、風香先輩♡」
後片付けがあるからと折紙風香は二人を先に帰した。
しかし、霊障の後始末として清酒を撒き、読経によって御魂の平安を祈るのは雪梁の作法であり、神降ろしを主とする風香に同じ手順はない。
では何故運動場に残ったのか……理由は去り行く二人の背が見えなくなって後、明らかになる。
「一丁前にバックアップのつもりかよ」
「……セオリーに則ったまでだ」
折紙風香の問いを受け、運動場の奥、夜の闇から静かに雪梁が現れた。近藤加奈の安全確保のため、密かに待機していたのだ。
「何の依り代も用いず一瞬で降霊を為し、自身の霊気を御魂に譲渡して霊覚性能を倍加させた神威を顕現させる……さすがは折紙一族稀代の才女だ」
「てめぇも老猿の警戒網内で気取られることなく身を潜められるなんざ大した隠形じゃねぇか。さすがは日陰者だ」
両者の視線はぶつかる……冷たく、そして重く。
「田中雪梁だ」
「てめぇの名なんざ知りたくもねぇ」
折紙風香の語気は言っている……お前はオレの敵である、と。
「宗門にも与せず、才覚にも徳にも乏しく、詐欺まがいの商売に勤しむカスどもが奮う安易なチカラ、それが御魂を殺す排霊術。恥ずかしげもなくそれを奮う外法者、オレにとっててめぇは害悪だ」
殺すことよりも救うことの方が一億倍難しい。救済を志す正道の霊能者たちからすれば外法者は怠惰と欲望に塗れた落伍者でしかない。――それが折紙風香の価値観である。
「今夜オレが行なう作戦を知ってたみたいだな。情報源は凛か? それとも」
「桐原学院長から後援要請があった」
「やっぱパトロンからかよ。随分仲良しじゃねぇか」
「一つ、頼みがある」
折紙風香の揶揄を流した雪梁は深々と頭を下げ、懇願する。
「羽有志穂や須藤凛は善良な一般人で、桐原姫妃は誠実な陰陽師だ。ヒステリックな八つ当たりはやめて、感じている不平不満や嫌悪は当人にだけぶつけてほしい」
――折紙風香のこめかみに青筋が走る。
「俺に文句があるならいつでも俺が応える。桐原学院長に不信があるなら責任を持って面と向かえる場を設ける。だから当人がいないところで陰口を叩くような、なよなよと女々しい真似はやめてくれ」
「もう黙れや」
沸点を超えた折紙風香の怒りは雪梁の胸倉を掴ませた。
「誰が女々しいだとオイ」
怒りの形相を表す折紙風香、その眼をまっすぐ見つめる雪梁は尚も火に薪をくべていく。
「女に女みたいだと言って、なにか気に障るのか?」
「てめぇ、わかって言ってんな。上等だよ」
どんと突き飛ばされた雪梁は再び間を空け、折紙風香と向かい合う。
「その喧嘩、買ってやるぜ」
そう、一連の雪梁の言葉と態度はれっきとした挑発であった。
意を汲み取ってくれたのであれば是非もないとした雪梁は、折紙風香へ一つの提案を行なう。
「外法者とは言え俺も霊能を生業とする者、どつき合いは本意じゃない。だから、コレで白黒つけよう」
雪梁はポケットから一枚の紙を取り出した。
「恥知らずがいけしゃあしゃあとよ。……それは、桐原学院長からの依頼書?」
「ああ。内容は『セイジョ七不思議が一談、“紅伝言板”の再調査』この謎を先に解いた方が勝ち、ってのはどうだ」
この提案に折紙風香は更に嫌悪感を思えたようで、歪めた表情を更に険しくした。
「御魂を勝負に使うってのか、クソ外道」
「いいや、あくまで謎を解くだけだ。御魂には先口優先のセオリーに則って対処すればいい。これで霊能者としてどちらが上か、はっきりするだろう」
「で、負けた方がセイジョを出ていく、もしくは学院長との契約を解除する、ってか」
「…女ってのは本当に頭が悪いな」
「ッ、なんだとッッ」
「それだと出た後また入ればいいだけだし、再契約すればいいだけの話だろ。なんでも一つ勝者の命令に従う、とかでいいんだよバカ。ただし誓約書は書いてもらうぞ。女ってのはすぐ被害者ぶって逃げ口上を垂れやがるから」
雪梁の軽口にびきびきと目を吊り上げていく折紙風香の表情は端正さも手伝い、もはや鬼のようだ。
「“六戒の刑”……それがオレの命令だッ」
【六戒の刑】
五感(視覚、聴覚、触覚、味覚、嗅覚)に加え、六感(霊覚)も含めたあらゆる機能に制限を設ける呪術。
視覚は色と立体感を失い、聴覚は耳元で鳴る爆竹の音すら蚊が鳴く程度に抑えられ、触覚は骨折にも気づかぬほど鈍くなり、味覚と嗅覚は無になる。
霊覚を奪うための処置は呪術ではなく直接的な方法を取る点がこの刑の恐ろしいところとされており、霊的器官である丹田に封じの針を十数本麻酔なしで刺し込まれてしまう。
これが大昔、死刑を除けば最重刑罰であった罪人への戒め、六戒の刑である。無論、現代では表向き禁止とされている。
「殺生はしねぇ。ただし、てめぇには生き地獄を味わせてやる。で、てめぇの要求は?」
「俺からの要求は――」
こうして雪梁と風香の威信をかけた勝負の火ぶたは切って落とされたのだった。
◇
宿直室前
「随分と折紙風香を煽っていたが、どういう腹積もりだ」
折紙風香との初邂逅を終え、自室に戻ってきた雪梁を戸の前で迎えたのは、桐原姫妃であった。
彼女もまた桐原学院長経由で今宵の件を知り、雪梁とは違う角度でバックアップに回っていたのだった。
「経験上、下手に出ても事は沈静化しない。卑屈に頭を下げようと、踏みつけられて追い出されるだけだからな」
外法者と蔑まれることには慣れている。そんな雪梁の在り方は姫妃の胸の奥に不快な淀みを生んだ。
そしてその淀みは、初対面時に姫妃自身が雪梁に対して放った言動が少なからず志穂を傷つけていた事実を思い起こさせた。
「それに、俺たちが揉めてその割を食うのは、荒ぶり迷う御霊たちと、この学院の生徒だ。本末転倒もいいところ、だからどういう形であれ白黒つけなきゃならない」
らしくない雪梁の好戦的な態度の裏にはこの学院の生徒、つまり志穂がいる。姫妃はこれに強い共感を覚えた。
田中雪梁ははあくまでも、そしてどこまでも外法の者。故にその雪梁に与する者もまた外法の者というふうに扱われてしまう。
志穂が誠実であればあるほど、雪梁の味方をすればするほど、折紙風香のような正法者の敵意に晒されることになる。いつか何らかの形で志穂に危険が及ぶかもしれない。
外法者に正義も正当性もない以上、事を収めるには相応の結果が求められる。半端な結果だと禍根は残り、志穂の平穏は崩壊してしまうからだ。
故にこの勝負、一切の言い訳も物言いも許されない確固たる結果が必要となる。――"圧倒的な力の差を見せつける"、そんな完全勝利が。
『誰に何を言われても胸を張る……わたしは雪梁さんの協力者なんだって』
昨日に見せた志穂の覚悟を目の当たりにしている姫妃は、あの真摯な可憐さが汚されてはならぬと心を燃やしている。
しかし姫妃の立場はその発露を許さない。次代の桐原、陰陽道の頂点として範を示さなければならない姫妃は外法者に加勢できない。妖霊相手ならまだしも、相手が正法者となれば殊更にそれは許されないのだ。
「此度の件、某は一切関与しない。それが某の通すべき筋だ。見せてもらうぞ、外法者なりの筋の通し方を」
厳つい言と視線を叩きつけてきた姫妃に向け、雪梁は頭を深々と下げる。
「お前まで針の筵に座らせちまって、すまなかった」
雪梁は姫妃の立場も、そして胸中に燃えている感情も理解している。
少し面食らった姫妃はふんと鼻を鳴らしながらそっぽを向く。
「どこぞの百姓上がりのために非ず。某が想うは救済を待つ御魂と、優しき彼女の笑顔に候」
「お前も過保護だな。……しんどいだろうが、がんばれよ若女将」
面を上げた雪梁は姫妃を通り過ぎ、自室へと入っていった。
姫妃は踵を返し、寮へ向けて歩いていく。胸の淀みをそのままに、眉をしかめながら。
「貴様も大概だ、権助」
※権助
田舎出身で雑用や力仕事や飯炊き番を担当する下働きの男性を指す。




