エルザの描く未来
「エルザのストール、すてきね。よく似合っているわ」
「ありがとう!」
エルザは首元に巻いたストールへと手を伸ばすと、そっとなでた。風が強く寒いので、このところは毎日のようにつけている。すると姿勢を崩したシシルがニヤリと笑って机の上にひじをついた。
「もしかしてレナルド様からもらったの?」
「そうなの。やっぱりわかりやすいかしら?」
「まあね、特徴的な色だし。それはおめでとうって言ってもいいのかしら?」
「でもまだ付き合うと決めたばかりで……」
「きっとその先は遅かれ早かれだと思うわよ。ひたすら静かに待って、隙を見せたところで高いところから一気に飛びかかるのよ。がおーってね!」
威嚇するように口を開いたシシルが五本の指先を器用に折り曲げて爪のような形を作る。
そして指先が虚空を引っかいた。
「何の話?」
「狐が狩りをするときの話よ」
「へえ、そうなんだ! 知らなかったけれど狐にはそういう習性があるのね」
「……獲物がこのレベルか。さぞかしレナルド様も苦労しただろうなぁ」
やっぱりよくわからない。首をかしげたエルザの隣で、ファビアーノ様が瞳を潤ませ膝から崩れ落ちた。
「ああ、ついにエルザさんが魔の手に落ちた……狙ってたのに」
「はいはい、ファビアーノ君はまだひよっこだからねー。若いんだから別のチャンスがきっとあるよ!」
「別のってなんですか、エドワルトさん! 僕はエルザさんがす、モガッ」
「はい? ファビアーノ様、なんですか」
「なんでもないよ、エルザさん! はいはいはいはい、ファビアーノ君が死ぬところは見たくないから私と一緒にあっちに行こうかー。全く、ひよっこは手がかかるなー! あははははははは!」
「またひよっこって、イヤーーーーーー!」
いつもながらファビアーノ様の悲鳴は女子力が高いわー。
私より可憐に聞こえるって、どういう声帯の構造しているの?
呆気にとられるエルザの目の前で盛大に扉を開け放ったエドワルト様が耳の垂れた小動物を引きずるように去っていく。エドワルト様が扉を開けながらパチンと片目をつぶったのは何だろう? もしかしてレナルド様とのことを知って応援してくれているのなら、うれしいわ。呆れたような顔で二人を見送ったシシルが頬を赤らめたエルザのストールへと触れる。
「使いやすい色だし、温かそうだし。レナルド様は趣味がいいね」
「そうなの。皇国がこんなに寒いと思っていなかったから正直なところ助かったわ!」
「……ただ、どの角度から見ても青狐のしっぽが巻きついているようにしか見えないところに、恐ろしいまでの執着を感じるけれど」
「ん、何か言った?」
「あらいけない、心の声が口から漏れたわ。いいえ、なんでもないのー」
ひらりと手を振って距離をとると、エルザの全身を見渡したシシルがにっこりと笑う。
「そういえば、ずいぶんとおしゃれしているじゃない」
「今日は仕事が終わったらレナルド様と出かける約束をしているのよ」
一緒に買い物をして、食事をして。エルザにとって男性と出かける予定があるというのもはじめてだ。緊張のために、ほんの少しだけ赤みをおびた頬をエルザは両手で隠した。すると一瞬目を見張ったシシルが納得したような顔で微笑んだ。
「たしかに、かわいい。これではレナルド様が張り切るわけね。それにしても婚約者が二人もいた女性の台詞とは思えない……っと、ごめん。失言だったわ」
「いいのよ、自分でもそう思うから」
「それでどこに連れて行ってもらうの?」
「年越しのマーケットよ」
窓越しに賑やかな景色を眺めた。年が変わることを寿ぐように光の輝きは日に日に煌めきを増している。これから光の渦のようなあの場所に行くのだと思うと楽しみで、心が弾む。
「……だから今日だけは市街地ギリギリまで警備をということね。まったく、溺愛じゃないの!」
つぶやくようなシシルの声は、浮かれたエルザの耳には届かなかった。
――――
「エルザ、お先にー。マーケット楽しんでおいで」
「ええ、おつかれさま!」
夕刻、定時ぴったりにシシルが立ち上がると軽く手をあげて執務室をあとにする。引きずられていったファビアーノ様と引きずっていったエドワルト様はそのまま出張に行くとのことで直帰するそうだ。エルザはシシルに小さく手を振り返してから手早く荷物をまとめた。それからレナルド様が到着するまでのつもりで手元の報告書を眺める。この報告書はラングレア王国からのものでエルザが巻き込まれた婚約履行強迫事件の結末について記されていた。
「結局、引き取り手のいないアルバート殿は婿に出されたか。まあ、今までのことを思うとむしろ温情だろうな」
没頭していると頭上から声が落ちてきたので立ち上がった。視線の先には、どういうわけかジョエレ様がいる。あわてて礼の姿勢をとると、軽く手を添えて私の体勢を元に戻した。目の前には硬質な美しさを持つ麗しい顔があって、しかも珍しくほんのりと微笑んでいるではないか。一体、どういう状況なのだろう?
「勤務時間外なのだから儀礼などは気にしなくていい。それよりも君はこのあと時間は空いているだろうか? 是非一緒に食事を」
「あ、このあとでしたら……」
ジョエレ様がすくい上げたエルザの手を、優しい手つきで誰かの手が奪いとる。
「残念ですが彼女には先約があるのです」
そして指先に唇が触れた。唇の持つ熱と吐息がかかる感覚にエルザの頬が赤くなった。
「レナルド様」
「待たせたね、エルザ」
「さすがにこの状況は恥ずかしいのですが」
「でも業務時間外だから許される、でしょう?」
レナルド様はジョエレ様に微笑んだ。
「こういうわけですから、食事に誘うのも諦めてください」
偉そうにドヤ顔をしているのですが、その態度で不敬にはならないのでしょうか? 恥ずかしくて直視できないが、ジョエレ様がなんとも言えない表情を浮かべているのが視界の端に映った。
「もう婚約したのか?」
「いいえ、交際を申し込んでようやく受けてもらったところです。私は相手の歩調に合わせる人間なのですよ」
「嘘だ、彼女が気がつかないうちに外堀を埋めにいっただろう!」
「失礼ですね、そんな姑息な手は使いません」
あくまでも穏やかな口調を崩さないレナルド様。対照的に疑いの眼差しを隠さないジョエレ様は真剣な表情でエルザの顔をのぞき込んだ。
「洗脳されたりはしてないな?」
「は?」
「いくらなんでも失礼ですよ、私をなんだと思っているのですか」
ついにレナルド様が呆れたような顔をした。
するとジョエレ様は一呼吸置いてこう答える。
「化かし合いの得意な青狐」
「青狐?」
「エルザ、本気で聞くことはないからね! 買い物の時間が少なくなるだけだから早く行こう」
どこか焦った顔でレナルド様がエルザの手を引いた。
レナルド様が青狐、青狐。
「それは……かわいいですね!」
「は?」
「北限地方に住む白狐は冬毛に灰青色の毛が混じるそうで、俗称が青狐というのです。なんでも彼らは寒さから身を守るためにふわふわとした毛並みをしていて、たいそう愛らしく、とても人気があるそうですわ!」
エルザの目の前には、レナルド様のふわふわとしたプラチナブロンドが揺れている。すっとした端正な顔立ちも、しなやかかな体つきも、とても印象に近い感じがするわ!
「ジョエレ様は素晴らしいセンスをお持ちです! レナルド様のかわいらしいイメージにぴったりですわね!」
思わず瞳を輝かせたエルザに男性二人は言葉を失った。やがてジョエレ様が耐え切れないとばかりに声を立てて笑ったのだ! あの常に無表情と評判の人が笑っている……そっちのほうが衝撃的で今度はエルザが言葉を失う。するとようやく我に返ったレナルド様が頬を赤らめたまま、動きを止めたエルザの背中を軽く叩いた。
「わかるよ、衝撃的だよね。でも私もいろいろな意味で衝撃的だったからいい勝負かな。そんなふうに言われたのは私もはじめてだよ」
「すみません、悪気があったわけではなかったのですが」
「わかっているよ、むしろ褒め言葉なんだよね」
口元を押さえたレナルド様の頬がますます赤くなった。笑いを堪えながらジョエレ様がレナルド様の肩を叩く。
「部下のこんな姿を見せられては仕方ないな、今日は諦めよう。気をつけて出かけてくるといい」
「ありがとうございます」
「礼などはいらない、口先では負け知らずのレナルドを黙らせたエルザ嬢へのご褒美だ」
かわいらしいだって、よかったな。レナルド様の耳元でそう小さくつぶやいて肩を震わせながらジョエレ様が執務室から出ていった。
「あのやろう」
「もしかして、ご不快でしたか?」
ジョエレ様の背中を恨めしそうに見送る眼差しに、心配になったエルザは思わず彼の顔をのぞき込んだ。余計なことは話すな、カレンデュラ家ではそう教えられてきたというのに!
でも皇国でさまざまな経験を積み、いろんな立場の人達と話すようになって、黙っているだけではダメだということを学んで。少しずつ意見を言えるようになって、それで驕っていたのかもしれない。するとレナルドは真剣な表情をして私の両手を掴むと大きく首を振った。
「違うよ、不快なんかじゃない。むしろ君が隣にいてくれてよかったと思った」
「そうなのですか?」
「だって怖がられるよりは、かわいいと思われているほうがいいじゃないか。本当は怖いと思っているのに、一生そばにいなくてはならないとしたら、それこそお互いに不幸だもの」
レナルド様の言葉にハッとした。
そうか、かつての婚約者達も実は私が怖かったのかもしれない。悪役令嬢と呼ばれるような相手が婚約者として隣にいるのだ、いつか裏切られて傷つけらたらと怯えていた。だから甘い言葉にそそのかされて先にエルザを切り捨てたのか。そして王妃様もアウローネ様も本心ではエルザを恐れていたから、奪われる前に奪った。
たしかに、それでは誰も幸せではないわ。
「でも私の好きになった人は私を怖がらないらしい」
いつも変わらない優しい手つきで、レナルド様が私の頬に触れた。
臆することなく伸ばされた手。ああそうだ、私はこの手があるから……。
「レナルド様だって私が怖くないでしょう? ラングレア王国で悪役令嬢と呼ばれていた私に触れようとする人は家族以外に誰もいませんでしたから」
――――ではエルザ嬢、あなたの手をお借りしても?
今ならわかる、私はあのとき恋に落ちたのだ。
「そう思うと同じですね」
「そうだね。もし君が怖がらないのなら、これからは少しずつ二人の距離を縮めていけるように努力したい」
「でも、もうずいぶん近いと思いますよ?」
目と鼻の先に、彼の美しい顔があった。
ほんの少しだけ微笑んだ彼がエルザに啄むような口づけを贈る。
「まだ少し遠いかな」
こういうところがかわいいの。エルザが軽くキスを返すと甘く蕩けるような眼差しで彼は頬を染めた。抱き寄せられて腕の中に閉じ込められると、ふわりとオレンジのような香りがして。大好きなものに包まれながら、エルザはそっと目を閉じる。
「愛している」
「はい、私もです。ようやくあなたにたどり着きました」
もし私が悪役令嬢と呼ばれていなければ、物語はもっと違う展開になっていただろう。幸せになれたかもしれないけれど、こんなささやかな幸せを幸せだと思えたかどうかはわからない。
「離れていた時間もあったけれど、これからはずっと一緒です」
そう答えて微笑むエルザの手をレナルド様の手がしっかりと握り返した。
「さあ行こうか、まず食事にしよう。正直、おなかがすいた」
「そうですね! 私もおなかがすきました。食事の最後に甘いものも食べたいです」
「いいね、デザートがつくコースにしようか」
「はい!」
苦いものに、甘いもの。
いくらでも未来が描ける。
ああ、幸せだと思った。
この幸せが、いつまでも続きますように。




