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誰よりも、何よりも



美都の声が聞こえた気がした。夢の中でも彼女が思い出されるなんておかしな話だ。

何かに必死な声。悲しそうに謝る声。どうしたの。何があったの。

──心配なの。あなたはいつも何も言わないから。本心を隠して、いつだって笑顔で。「大丈夫」なんて、そんなわけないのに。

他人のことばっかりで自分のことは後回しにして。優しすぎて不安になる。その優しさを誰かに利用されるんじゃないかって。苦しいはずなのに誰にも言わずに自分の中で昇華させようとしてるでしょ。

だからあたしだけは分かっててあげなくちゃって。我儘を言える相手がちゃんといないと、あなたは潰れちゃいそうだから。

怖がりで、意固地。だから強がろうとする。自分の気持ちを偽ろうとして、見ないようにして。でもダメよ。それじゃああなたが前に進めないから。

本当は変わって欲しくない。いつまでも無邪気なあなたでいて欲しい。でも、いつまでもあたしが側に居られるわけじゃないから。だから変わらないと。そのために、あたしは────。



ふっ、と愛理は目を覚ました。やはり夢だったのかと彼女は息を吐く。それにしても自分はいつから眠っていたのだろう。記憶が曖昧だ。それでもなんだか眠る前よりも気持ちが温かく感じる。彼女のことを考えていたせいだろうか。

何故か座り込んでいる床からゆっくりと立ち上がる。ふと窓の外に目を向けると雨が止んでいる様が確認出来た。雲の切れ間から夕暮れの赤色が差し込んでいる。夏至が近いせいもあり、外はまだ仄かに明るい。

いつもと景色の見え方が違うのは自分の教室ではないからか。何故7組の教室にいるのだろうと考えようとしたとき、廊下から足音が聞こえた。

「あ……」

教室の扉から顔を覗かせたのは向陽四季だった。そう言えば放課後話があると呼び出していたのだと思い出した。自分を見てハッとした後、少しだけ安堵の表情を浮かべていた。

気まずそうに目を逸らした後、何かを言いたげに口を開閉させている。仕方がないので腕を組んで彼の言葉を待った。

「俺は──今、あいつと暮らしてる」

「────は?」

思いがけない言葉に素っ頓狂な声が出る。彼が指すのは美都のことのはずだ。一瞬理解が追いつかず目を瞬かせた。

「は? 一緒に暮らしてるって……美都と?」

「……あぁ」

「…………なんで?」

確かに春頃に他所へ引っ越したと聞いている。美都の伯母である円佳が了承したのなら仕方ないと思って口は出さなかった。確かに親戚の家とは言っていたがまさかそれが彼と同居しているなどとは到底思わないだろう。突然現れた遠縁に愛理は不信感を抱いていた。彼の言うことが本当だった場合、理由によっては鉄拳を喰らわそうと考えて目の前に佇む少年に訊ねた。

「事情がある。詳しくは言えない。それと──……親戚でもない」

「はぁ⁉︎ どういうこと? やっぱり美都を騙してるってわけ⁉︎」

言葉を詰まらせながらも、四季は正直に美都との関係性を愛理に伝えた。その事実を受け止めることが出来ず彼女は声を荒げる。親戚ならまだしも、と思っていたがよもや血縁関係もなく同居しているとは。何か美都の弱みでも握っているのではないかと激昂しそうになりながらも愛理は重ねて四季に問い質した。

「違う! あいつも承知の上だ。じゃなきゃ俺となんか暮らさないだろ……」

自分の質問を力強く否定した後、四季は苦虫を噛み潰したような表情を浮かべた。意外とナイーブなところがあるらしい。

だがなぜ今それを自分に伝えたのだろうか。何か後ろ暗いところがあったのではないかと疑っていると、少年が小さく溜め息を吐いて理由を話し始めた。

「……あいつに伝えられないのはその為だ。同じ家で暮らしている以上、今の関係性を崩したくない。あいつにも迷惑がかかるしな」

まるで自分に言い聞かせるような口調だ。今までもきっとそう納得させてきたのだろう。彼の言い分ももっともだ。もし美都が同じ気持ちでなかった場合、恐らくだが彼女は相当気を遣うことになるはずだ。

愛理はようやく成る程と理解した。今まで四季が想いを口に出さなかった理由はそういうことだったのかと。もちろん納得はしていない。親戚でもない男女が一つ屋根の下で暮らしているのだ。急な展開に頭が痛くなりながらも必死に情報を整理する。

「事情があるのはわかったけど、それってあんたがめちゃくちゃ不健康なんじゃない?」

愛理の言葉に四季がグッと喉を詰まらせる。どうやら核心を衝いてしまったようだ。

(まぁ……そうなるか)

いくら意固地になったところで想いは膨らむだけだ。そうなると辛いのは我慢をしている方になる。その状態でこれからも暮らしていくのだとしたら、恋愛感情ではなくそれこそ肉親のような愛情で見ないといけなくなるだろう。今の彼には到底出来るとは思えない。

「あんたって意外とバカなのね」

「悪かったな」

口惜しそうに彼が呟く。見ればその眉間にはしわが寄っていた。愛理ははぁと小さく息を吐いて頭を抱える。美都も鈍感だがこの男も同類だなと思った。

「……こういう役回りは柄じゃないんだけどな」

独り言のようにポツリと呟いた。だが仕方がない。自分が振り回したという責任もある。そもそも彼の本気具合を知る上で必要だったことだが。愛理は呆れながら頭の後ろを掻いた。

「あのさぁ、美都が好きなら言うべきだと思うんだけど」

「今事情を話しただろ」

「そりゃわかったけど、じゃあずっとそのままでいるつもり? 無理でしょ。その間に誰かに取られるわよ」

誰か、と口にしたがもしその誰かが現れたとしても彼女を扱えるとは到底思えないが。少年はその言葉を聞いて更に苦い顔を浮かべている。

「あの子鈍感なんだから。言わなきゃ絶対伝わらないわよ」

「わかってる」

「じゃあ早めに伝えなさいよ。あたしがまだこっちにいる前に」

「なんでお前に報告しなきゃなんないんだ」

煽ったつもりが素っ気なく返されて思わずピキッと顔面に青筋を立てそうになる。

「──あんたがどうなろうと知らないけど、あたしは美都を慰めてあげられるもの」

売り言葉に買い言葉、というよりもこれは憎まれ口だ。これくらいはしないと気が済まない。否、美都を想ってのことだ。今までずっと見守ってきた自分の特権だ。

ほとほと目の前の少年とは気性が合わないようだ。恋敵に近いものもあるから仕方ないとは思うが。だがこのまま引かれても困る。そう思って更に焚きつけることにした。

「あとあの子とんでもない勘違いしてるわよ」

「何を?」

「あたしがあんたに気があると思ってる。まったくどうトチ狂ったらそう見えるのかしらね」

「────は?」

四季は驚いて目を見開いている。妥当な反応だ。自分も全く同じ反応になる。

昼間、美都と話をしていて気付いた。大切だと思うあまり、彼女のことを試してしまったのだ。彼女には自分の気持ちに気付いて欲しかった。大切にして欲しかった。これ以上、彼女に本心から目を背けて欲しくなかった。

彼女自身の中にある気持ちと向き合わせなければ。そうでないと、彼女はずっと前に進めない。変わりたくないと叫ぶ声を無視しても、彼女はもっと他人の感情に触れるべきだ。自分で思っているよりも周りから愛されているということに。

愛理はそう考えながら、ふぅと息を吐いた。

「だから早いとこ誤解を解いた方がいいんじゃない? この話し合いにしたって変な風に思われてそうだし」

心当たりがあったのか四季はハッと口元を押さえた。やれやれと肩を落とし愛理は追い払うように手で合図を送る。するとすぐに彼が自分の荷物を取りに窓際まで駆けた。

「ねぇ」

鞄を手に取り早々に教室から立ち去ろうとしている四季を一旦引き留める。

「美都は優しいから──全部自分のことは後回し。他人のことばっかり優先してるから自分のことに無頓着なの。あの子、危なっかしいから──……ちゃんと見ててあげてよね」

「────わかってる」

そう言うと四季は足早に教室を後にした。愛理はそれを見送った後再びゆっくりと息を吐く。

焚きつけたはいいが本当にあの男で良かったのか、とも思う。でもまあ仕方がない。現状、美都を支えられるのは彼しかいないのだから。

広い教室にただ一人、取り残されてしまった。愛理はおもむろにいつも美都が座っている席へと足を動かす。机に触れると彼女の笑顔が思い出された。彼女にはなるべくなら笑っていて欲しい。心からの笑顔で。

それがたった一つの自分の願いだ。





幼馴染みを見送った後も和真はしばらくエントランスで佇んでいた。

あんな表情をした彼女は初めてだ。唇を噛み締めて何かを我慢するような。さすがに動揺してしまった。

だが同時にいい傾向だとも思う。今はただ感じたことない感情に戸惑っているだけだろう。だとしたらもう間も無く答えは出る。出てくれないと困る。彼女はもともと物に対しても人に対しても執着がなかった。あの表情から察するにあれは譲れないものを抱えているような顔だ。昔から頑固で意固地な性格なのは知っている。その癖自分よりも他人を優先しがちなのは彼女の欠点だなと感じるところだ。

さてどうするかと考えていたところ廊下の方からパタパタと急くような足音が聞こえた。それが誰なのか判明するのに時間はかからなかった。

「お、四季」

「! 和真か」

友人だとわかって互いに名を口にする。尚も四季は急ぐようにしながら、靴箱に到着するとすぐに上履きを脱いだ。急いでいるのにわざわざ訊くのも悪いかと思っていたところ、彼がおもむろに口を開いた。

「坂下なら7組にいるぞ」

「……おー。なんか言ってた?」

なぜ自分が愛理を探していると気付いたのだろうか。それはともかくとして、四季は自分の質問を受けて苦い顔を浮かべていた。

「いろいろな。詳しくは本人に聞け」

「まぁそれが一番早そうだな、りょーかい。────なぁ四季」

靴に履き替えていた四季が、和真の声に応じるように顔を上げる。いつもと違う声色を察知して正面に向かい合った。

「俺も一応あいつの幼馴染みとしてな、色々心配なことがある。でもお前なら任せられると思ってっから──頼むな」

これは性分だ。ずっと昔から彼女を見てきたせいで兄妹のような情が湧いている。だからこそ愛理の気持ちは痛いほどわかる。だが自分は彼らの関係を間近で見てきた。それゆえに彼が信頼に足る人物だと把握している。あのお転婆を側で支えられる技量はあるはずだと。

「──ほんとに美都は、保護者が多いんだな」

四季が肩を竦めて苦笑した。彼の言葉には大いに納得する。もちろん自分もその一人ではあるが美都を気にかける者は多い。一度関わると放っておけないと思わせるのだろう。当の本人がそれをわかっていないため、知らないところで拗れるのだが。

「ま、あいつってそういうところがあるんだよ。なんとなくわかるだろ」

「……そうだな」

「俺はお前を信頼してるからな。あんまり心配させてやるなよ」

「? あいつなんか言ってたのか?」

和真の言葉に、四季は怪訝そうな表情を浮かべる。なるほど、あの時の美都の顔を知らないのか。彼女は四季に悟られない前に立ち去ったんだなと考えが及んだ。

「いや。まぁそれこそ二人で話し合った方が早ぇだろ」

四季はいまいち納得していなさそうに首を傾げていたが、和真の言葉にさもありなんと同意するようにして小さく頷いた。

「じゃあ俺、先に帰るな。坂下のことは頼んだ」

「おー。報告楽しみに待ってっからな」

「余計なお世話だ」

そう言うと四季は足早に昇降口から出て駆けて行った。その姿を見送った後、やれやれと息を吐いて靴を脱ぐ。

なんとなくだが今日中に決着がつきそうだなと思った。これは勘でしかないがこういう時の勘は意外と外れないものだ。とにかくこっちはこっちでまだもう一人の幼馴染みの相手をしなければならないのだ。二人の情報をもとに、小一時間前までいた自分の教室までの廊下を引き返す。

間も無く日が暮れる。校舎内にはほとんど生徒は残っていない。下校時刻を告げるチャイムが鳴るのも時間の問題だ。そう思いながら雨上がりの空を廊下の窓越しで眺めているとあっという間に7組に辿り着いた。

ポツンと一人、少女が机に突っ伏している姿が見て取れる。和真は小さく息を吐いてその少女の元へ向かった。

「愛理ー。帰るぞー」

「…………」

コンコン、と二度指の甲で彼女の頭を小突いたが反応はない。これはもしや、と思い一応訊いてみることにした。

「……泣いてんのか?」

「泣いてないわよバカ!」

思い切り自分の言葉を否定してガバッと愛理が起き上がった。泣いていないと言う割には目が赤くなっている。だがそれを突っ込んだところで余計反感を買うだけだろう。

和真は肩を竦めた後、いつもの自分の席に座るため回り込んだ。なぜなら愛理が美都の席に座っているからだ。彼女は口を真一文字に結んで当分椅子から立ち上がる気配がなさそうだった。

「──で、四季のことは許したのか」

「許してない! むしろ余計許せなくなったわあの男」

「でも結果的に引き止めなかったんだろ?」

話し合いの中で愛理にも答えが出たのだろうと思った。だから愛理が四季を解放したのだろうと。しかしやはり一筋縄ではいかなかったようだ。その理由はわからないが愛理は奥歯を噛み締めて悔しそうにしている。元々四季とは相性が良くなさそうだったがやはり何かあったらしい。しかし引き止めなかったことにも理由はあるはずだ。そう思って訊いてみたところ愛理は苦い顔を浮かべ小さく息を吐いた。和真は机に肘をついて頭を支えると、彼女が喋り出すのを待った。

「……美都が、苦しそうだったから。あの子にあんな顔させるつもりじゃなかったのに」

愛理は眉間にしわを寄せて頭を抱えた。

最近の美都は努めて空元気だった。些細な変化だ。ほとんどのクラスメイトは気づいていない。愛理はそれを懸念してか今日の昼休みに美都と話をしていた。その時だ。美都が珍しく声を荒げていたのは。彼女が感情を表に出すことは滅多にない。その相手が愛理だったので心配はしていなかったが只事では無さそうに見えた。

「美都を守れるのはあたししかいないって……思ってたんだけどな」

「そろそろ妹離れする時期だろ」

「そうよ。だから手離したんじゃない……姉として、あの子の背中を押してあげなきゃって」

苦笑いを浮かべてポツリと呟く。愛理は精神的な姉として、妹である美都のことをずっと想っていた。

「そうでないとあの子は──ずっと囚われたままになっちゃうから……」

互いに、美都のことは幼い頃から見てきた。同級生の誰よりも近い場所で。だからこそ愛理が心配する理由もわかる。そして今後変わっていかなければいけないと言う彼女の想いもまた。ずっと側で見守ることは出来ないのだから。

愛理にとって苦渋の決断だったに違いない。肉親のような愛情をもって支えてきた大切な友人だ。彼女は海外にいるときもずっと美都のことを考えていた。

「……いつの間にか、美都が知らないところに行っちゃう気がして怖かった」

「大袈裟だな。何か変わってたか?」

「変わってたわよ。あんたはずっと近くにいるから気付かなかったでしょうけど、あんな女らしい表情するあの子初めて見たもの」

はぁ、と溜め息を吐く愛理は今度は母親のような顔になっていた。言われて記憶を遡るが和真には思い当たるものはなかった。自分の前ではほとんどすることのなかった表情を愛理には見せたということか。だいたいその表情をする相手には察しがついているが。

「あいつだって成長してるってこったな」

「そうだけど──その相手がまた奴だってことが許せないとこね」

「ただの嫉妬じゃねーか」

「……あんた何も聞いてないの?」

「何を?」

訝しげに自分に問いかける様に首を傾げる。愛理はそのまま言葉を続けた。

「美都が引っ越した理由とか。どこに引っ越しただとか」

「理由は知らねーけど親戚の家だろ?」

その答えを聞くと愛理は先ほどよりも深い溜め息を吐いた。その様にまた眉間にしわを寄せる。

「……違うわよ。あの子いま──向陽四季と暮らしてるって」

「──は? まじかよ」

「あいつが言ってたんだから本当なんでしょ。理由までは話さなかったけどね」

愛理が話した情報に目を丸くした。それが本当なのだとしたら引っ越してから向こう2ヶ月、四季と美都は同じ家で生活をしていたことになる。何がどうなってそういう状況になったのかは知らないがそう考えると二人の距離感にも納得がいく。

初めは互いにただの親戚として接していたはずだ。だが次第に四季が美都のペースに乱され始めた。最初に意識した方の負けだ。自覚してから今まで相当な生殺しだっただろうと容易に想像は付く。そりゃやきもきもするはずだと彼に同情した。

「ってか俺に話していいのか、それ」

「別に口止めされてないし。あんたが周りに広めなきゃここで終わる話よ」

それもそうかと納得して腕を組んだ。今まで自分に伝えてこなかったということは何かしらの事情があるのだろう。円佳は当然知っているはずだ。ならばやはり他人が口を挟むことではない。そう思って和真は一人、考えを胸に落とし込んだ。

「──和真」

横から小さく自分の名を呼ぶ声がしてふと視線を動かした。愛理は何かを考えながら目を伏せている。

「あの子は──……美都は、これから大丈夫かな……?」

彼女がポツリと呟いた。愛理の心が伝わってくるようだ。そのせいでつい思い出してしまう。幼馴染みとして三人一緒に育ってきた在りし日々を。

元々愛理とは同じ保育園で共に遊ぶことは多々あった。5歳になる年の晩夏、突然隣の家にやってきたのが美都だったのだ。母と円佳は仲が良く、彼女をよろしくと言われたため面倒を見ることとなった。

突然の環境の変化に戸惑っていたのか、登園初日美都はずっと自分の後ろに隠れたままだった。それを引っ張りだしたのが愛理だ。

『なまえは?』

『……みと』

『みと、ね。あたしあいり!』

『あいりちゃん?』

幼い彼女の行動にきょとんとしながら美都が初めて愛理の名を呼んだときのことだ。

『あいり! ちゃんはいらないの! よろしくね、みと』

『う、うん。えっと……──あ、あいり』

半ば強引に愛理が美都に呼び捨てを強要すると、戸惑いながらも彼女がそう口にした。その瞬間から始まったのだ。自分たちのこの関係は。

面倒見のいい愛理はまるで姉のようで。少しだけ臆病な美都を妹のように見ていたに違いない。それ程彼女たちは仲睦まじかった。

愛理が不安に思う気持ちは、おそらくまた彼女が日本を離れなければならなくなるだろう。親の仕事の都合で彼女は海外を転々としている。まだ子どもである自分たちは自由が利かない。彼女はそれを歯がゆく思っている。

側で見守ってやることが出来ないから。だから愛理は誰かに託したかったのだ。自分も彼女の想いには賛同する。

「心配のしすぎも、良くないだろ?」

「わかってるけど……!」

自分たちは美都の家庭の事情を知っているだけに、少しだけ深入りしてしまっている立場にある。だがそうは言っても結局は他人なのだ。幼馴染みには何の権限も無い。

「あの子にはこれ以上何も背負って欲しく無い……」

愛理の眼差しはその先の未来を見つめているようだ。彼女の言うように美都は人より抱えているものが多い。環境のせいももちろんあるが、彼女の人柄ゆえ面倒ごとを巻き込む性質なのだろう。

だが先に言った通りだ。心配のしすぎは良くない。これまでも自分は過干渉にならない位置で見守ってきた。今後もそうするだけだ。

「お前がいない間はちゃんと見ててやるよ、安心しろ」

そう言って愛理を宥めるため彼女の頭に手を伸ばした。尚も愛理は口惜しそうに唇を噛み締めている。やがて吹っ切れたようにキッと自分を睨みつけバッと払うようにして身体の向きを自分の方に変えた。

「もう! 子ども扱いしないで!」

「ああ? 俺にとってはお前も妹みたいなもんだぞ」

「誕生日一番遅いくせに」

「どうせ同い年なんだから関係ねーだろ」

憎まれ口を叩く愛理に言葉を重ねた。この少女こそなかなか素直に物を語らない。捻くれていると思う。特に自分に対しては。それが一つに拠り所となるならそれも有りかと最近は思えている。

「……和真」

先程までしっかり合っていた目線が逸れる。そのまま俯きながら愛理が呟いた。

「あんたは、ずっと変わらないでいてくれる?」

その言葉に目を見開いた。これは一体どう言う意味だろうと一瞬考える。否、他意は無いのかもしれない。彼女こそ変わっていくことが怖いと思っているのだ。そうだとしたら自分が言えるのは一つだろう。

「お前が望むなら、変わったりしねーよ」

和真は愛理の質問に呆れるようにして微笑んだ。

たったこれだけで彼女を安心させられるなら安いものだ。それにこの言葉に偽りは無い。

「……外見は随分変わったけどね」

「うっせ。それくらいはいいだろ」

外見のことを指摘され、途端に気恥ずかしくなる。この格好でいるのは自分の好きなように生きたいからだ。学生の本分さえしっかりしていれば他者は口出ししない。一種の牽制のつもりでもある。他人から自由を束縛されたく無いと言うわがままだ。だから周りからどう思われようが自分的には気にしていない。理解してくれる人間がいさえすればいいのだ。

そんなことを考えていたら、愛理がクスクスと笑い始めた。ようやく彼女に笑みが戻ったな、と自分も顔の筋肉を緩ませる。愛理はひとしきり笑い終えると息を吐いてすくっと立ち上がった。

「帰ろっか」

「だな」

彼女の表情は晴れ晴れとしている。何か吹っ切れたようだ。もう心配することもなさそうだ。

本当に、世話の焼ける幼馴染みを二人も持つと大変だと改めて思う。美都のことはもう大丈夫だろう。問題はこっちだ。早くこちらにベクトルを向けなければ。

(──……ったく)

そう、最初に意識した方が負けなのだ。四季も相当やきもきしただろうが彼の期間に比べれば自分の方が随分長い。長期戦なのは覚悟の上だ。自分も厄介な相手を好きになったものだと思う。

今はただ、唯一の安心材料が自分であるだけでいい。それ以上は何も望まない。彼女の側に何のしがらみもなく居られるのが、自分の特権なのだから。




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