第二十八夜 実態の存在しない悪。
1
「そうか。ボスであるエスコバーレ、NO2であるサトクリフ含むメンバー全員が死亡…………、マイヤーレが壊滅したか。非常にマズイ事態になったな」
ムルド・ヴァンスはスマートフォン片手に予想していた最悪の事態を頭の中で思い描いていた。
「“コミッション”が崩壊する危機だけは防がなくちゃあならないな。……暴君達が、何処までヤル気かは知らないが。あのガキ共の目的はマイヤーレだって事は調べてある。……レスターは生死不明……、ニスナスはふざけた事に奴の美感に反すると敵前逃亡、と……。しかし、暴君よ……ムチャクチャに引っ掻き回してくれやがって…………」
挙句の果てには、殺し屋チームのヴァシーレの裏切りも頭を抱えなくてはいけない問題だ。
ムルドの組織であるヘルツォークの諜報員からの電報だった。
マイヤーレが壊滅したという事は、MD中の売春斡旋組織の利権が別の組織の者達によっての争奪戦が行われる、という事になる。ケイト辺りがボス会などと言って、仲良しグループ扱いしているマフィア・カルテルのボス同士の会合は、正式な“コミッション”と呼ぶものであり、それぞれの利権争いによる抗争を広げない為の、言わば、ボス同士の協定としての会議なのだ。
既に、カルテルは一つの国家ないし準国家と化していると言ってもいい。
・株、土地、原子力経済などを巡るケイトの『ゴースト・カンパニー』。
・麻薬ビジネス全般に関与する残月の『ハイドラ』。
・カジノビジネスに関わるメテオラの『アルレッキーノ』。
・臓器売買ビジネス、児童ポルノの利権を手にするポロックの『オルガン』。
・武器製造、武器輸出に関わるムルド・ヴァンスの『ヘルツォーク』。
……そして、MDという国家の連合において、売春斡旋産業全般を取り締まる、エスコバーレの『マイヤーレ』……それが壊滅した事になる。
この六大勢力の利権を狙う中小組織は数多く存在している。
「鉄火場になるな…………。どこかの組織が伸し上がって、マイヤーレの後釜になるだろうが……。どの組織が俺達のコミッションに入る事になるのか……」
ボス会……コミッションを作成したのは、ケイトと残月と、今は無い、当時のマフィア組織のボス達だと聞いた事がある。
ムルドやメテオラなどは、後から六大利権の一つを手に入れて六大組織に参入した形だ。利権争いが混沌としていた為に、ケイトや残月達は、コミッション……ボス会と仲良しグループ風に言っているものを作り上げた。
ムルドの組織、ヘルツォークは弱小組織に過ぎないが、他の者達から一目置かれる事によって、彼の組織は支えられている。六大利権の手にしているコミッションでさえも、MD中のマフィア、あるいは金融グループとでも言える“連合”の全貌が一体、何なのか分からない。マフィアや政治家、企業家達は問題が起こるとその始末の為に標的などに賞金を掛ける、それらの集まりを“連合”と言っているに過ぎない。連合とは、実態のある人間や組織が統治しているというよりも、つまりは“資本主義そのもの”と言い換えてもいいのかもしれない。
†
六大組織のボス達全員は強力な超能力者だ。
ムルド・ヴァンスは自分の能力が一番、弱い、と考えている。
エスコバーレが病床に伏せり、意識不明であるという事実をサトクリフは必死で隠していたのはよく分かる。サトクリフは大した超能力者では無い。
ムルドだってそうだ。
いつ、自分が誰かに根首を掻かれるか分からない。それは台等している他の中小組織の者であるかもしれないし、もしかすると自らの部下である可能性だってある。
メテオラ、残月辺りは絶大的な力を持っている。
ケイトに至っては、誰もが彼の能力をまるで知らない。調停者であるレスターでさえも知らないと聞かされている。
2
「マイヤーレが壊滅したらしいわ。メテオラ」
残月はスマートフォンでムルド・ヴァンスからのメールを読んで呟いた。
「ねえ、残月。正直、俺はこういう事は好きじゃない」
道化師メテオラは人間大のルーレットに磔にされている男に向かって、そう言った。ルーレットの隣では道化の格好でマスクを付けた女性二人組が、ルーレットの台を回していた。男はTシャツと下着姿に服をひん剥かれていた。
メテオラはダーツを男に向かって投げる。
男の太股の辺りをダーツがかすめる。男の太股から血が流れる。マスクを付けた女性二人組はルーレットを回転させる。
「何か言いたい事は?」
「……、メ、メテオラ様、……………、貴方様のカジノで5千万のお金を横領していた事は、み、認めますっ! しかし、しかし、たったの5千万じゃあないですかあ…………っ! どうか、どうか、わたくしめに御慈悲を……………っ!」
男は泣き喚いていた。
あらゆる液体を垂れ流していた。
「ええっと。君の名はなんだっけ? 新しく俺の『アルレッキーノ』の幹部に成り上がったんだっけ? 正直、言うと、俺だって、快楽殺人とか、拷問とか好きじゃないし……。マイヤーレは部下の粛清に徹底していたらしいけど……、俺はどっかの警視総監サマとか、臓器密売組織の異常者のクソババアとかみたいな変態じゃないからさあ。……でも、君さあ。俺の事、舐めていたから、横領したんだよねえ? ……一応、組織のボスとしての面子があるから、手打ちしておかないといけないし…………」
メテオラはダーツをもう一本、投げる。
今度は、男の股間下にダーツが突き刺さる。
「さっさと、沈めるか、埋めれば?」
メテオラの背後には、カジノに遊びに来た『ハイドラ』の残月が煙草を吸いながら、倦怠混じりの声で提案する。彼女はまがまがしい蛇の柄の着物を纏っていた。
「いや。俺、これでも、マフィア組織の中では、優しいボスで通しているし。それにね。この男、体重とか体脂肪とか図らせたんだけど。剣闘試合にも向いていない。猛獣と戦わせても良かったんだけど。……罰はギャンブルのショーに使うのが一番なんだけどねえ……出来れば、この男の命運もギャンブルで決めたい。余り、俺は好きじゃないけど、たとえば、人体の一部を賭け合ったギャンブルも一応、考案しているし……」
メテオラは三本目のダーツを握り締めながら、腕組みをする。
そして、彼自身、自分が残酷で残虐なアイデアでしか人々から金を巻き上げられない人間でしかない事に、少しの苛立ちを覚えていた。
「い、命だけは、お、お助け…………」
「死んだ方がマシな場合もあると思うけどおー? たとえば、腕が無い人生とか。脊髄折って、首から下、動かなくするとか。マイヤーレでは、そうしていたらしいけど?」
「や、やめてくださいっ!」
磔にされた男は泣いて、助けを乞うていた。
「まあ、やらないけど…………。趣味じゃないし…………」
メテオラは小さく溜め息を吐いた。
ふと、道化師は、何かを閃いたみたいだった。
三本目のダーツを投げ付ける。
男の額の上にダーツが突き刺さる。ダーツが突き刺さった場所は、追放、と書かれていた。
「そうだ。臓器売買屋のクソババアの処に行きなよ、君。それで赦して上げる。……アルレッキーノは追放だけど、俺の計らいで、あのクソババアの下で働けるようにして上げるからさあ」
メテオラは満面の笑顔になった。
「……うわ、知らないわよ…………」
残月は顔を歪める。
「それこそ、ギャンブルじゃん? あの変態異常者に命を任せるって。ねえ、君、自分の人生をポーカーやダイスのように勝負してみなよ? 俺はクソババアに引き渡すけど。それが落とし所でいいよね? それで赦すからさあ?」
ルーレットは止まる。
男は泣きながら、頷いていた。
「メテオラ、連合を上から総括している“中枢”なるものが存在するわねぇ。ポロックのアホが中枢に近付こうとしているらしいわよ」
普通、マフィアは一組織をファミリーと呼び、組織同士の会議を指してコミッションと呼ばれる。だが、MDマフィアの事情は少々、違った。
一組織=カルテル。
マフィア組織とその協力者達の連合=ファミリー。
そして、更にマフィア組織及びその協力者達の上に存在する“何か”を、彼らを納めている巨大な何かを“中枢”なるものが存在する。
中枢の全貌は、連合の中にいる、巨大組織のボスであるメテオラや残月でさえ分からない。最近では殺し屋の裏切り者であるヴァシーレが中枢に近付いたと聞かされている。
自分達をまとめているのではなく、MDを裏から統治している中枢として君臨する何者かがいるのだろう、と。それはMDの経済を操っている何者かなのかもしれないし、この世界の統治者なのかもしれない。少なくとも、メテオラや残月のような一組織の統治者でしかない者達にとっては、理解の外側にいる存在だ。
「ヴァシーレともう一度、接触してみてぇな。尋問して、口割るかな? イカれている事に、奴は“中枢”の事をかなり調べまくっているらしぃーぜぇ。中枢を調べ続けている奴は、消される運命にあるって聞いた事がある。俺達の組織が出来る前から中枢は存在していたらしいが。……一体、どんな存在なんだろうな?」
「少なくとも、あたし達が調べるべきでは無い“何か”なのよね。世界の経済を裏側から回している連中なのかもしれないし、もしかすると、この世界を創造した化け物かもしれない。とにかく、近付いてはいけない存在ねえ…………」
メテオラの知る限り“中枢”を調べようとした者は死体も残らず消されると聞かされる。勿論、マフィアの通常の制裁だってそうだ。死体など、決して残さずに始末する。……だが何と言うか、そもそも、始末のされ方が“この世界からそのまま痕跡も残さずに消される”といったような感じなのだ。……噂によれば、中枢を調べようとした者は、何度かの警告を受けると聞く。だが、警告を受けた者は、どのような警告を受けたのか口を開く事は無いとも……。
「ポロのアホ。やっぱ、イカれてやがったか……。ヴァシーレと先にどっちが消えるか、賭けねぇか?」
「別にいいけど……。あんたも、まさか“中枢”を調べたいの?」
「いいや。単にポロが嫌いなだけだぜぇ」
「……へえ、それは実に気が合うわねえぇ」
残月はシニカルに笑った。
メテオラと残月。
コミッション(ボス会議)の中で、二人は頻繁に喧嘩しているように見えるが、実は二人はかなり仲が極めて良い。何故か、二人は妙に気が合う。
みな、それぞれの立場がある以上、利害関係でしか通じ合っていないが、プライベートの関係では少なくともメテオラと残月は仲が良かった。だが、表向き『アルレッキーノ』と『ハイドラ』は険悪である、という印象付けをする必要がある。その方がかえって他のコミッションのメンバーに示しが付くし、私情よりも利益や利権を重視する為の取り引きが出来ると考えているからだ。
そして。
何よりも、メテオラと残月は、実はかなりの穏健派だった。
過激派であるオルガンと、強欲極まりないマイヤーレの二つの組織。
そして、何よりも得体の知れないゴースト・カンパニーに対して牽制する必要があった。……利益関係無しに、プライベートで仲が良い、という事は、他組織にとって弱点になりえる。そのような思惑が二人にはあった。
「何にしても、ボス会、また緊急に開こうぜ。時間がどれくらいあるか分からねぇ。ヴァシーレの始末。暴君一味の今後。ポロック及びオルガンの暴走の危惧。そして……、マイヤーレの後釜の組織の選別。少なくとも、四つは決めなくちゃあならねぇからな」
メテオラは頭の大きな道化の帽子をくるくると回す。
残月は大きく溜め息を吐いた。
…………。暴君ウォーター・ハウスは彼なりの“正義”で、彼なりの“正義を行った”のかもしれないが、……愚か過ぎる……。コミッション……、そして、連合、そんなものは、このドス黒い金のゲームによって支配された資本主義社会が生んだ闇そのものだ。この社会の構造、人間の在り方自体を変えなければ、誰かがこの下らない奪い合いとマネー・ゲームが終わりを告げる事なんてあり得ない。




