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第二十九夜 朝日と夕暮れ。

1


 シンディはまだ少女だ。

 今ならまだ引き返せるかもしれない。

 故郷の港町での娼婦を辞めて、まっとうな仕事で働けるかもしれない。

 少なくとも、港町に蔓延っていたマイヤーレのボスは始末したし、壊滅した。


 今でも手には、人を殺害した感触がこびり付いて離れない……。


 ……マイヤーレのボス、エスコバーレを……動かずベッドの上で呼吸器に繋がれている無抵抗な老人をこの手で殺めた。今でも、この感触が消えそうにない……。


 そして。

 シャワー・ルームの鏡の前に立って、自身の下腹部を見る。

 屈辱的な豚のデザインの刺青が無い。

 ウォーター・ハウスの手によって消して貰ったものだ。


 このマイヤーレの持ち主であるという烙印。

 そのマイヤーレはもう存在しないのだ。


 シンディと、そしてラトゥーラの両親は今はもうこの世にいないが、新たな人生を始められそうだ……。


†


「言っておくが、お前達の人生は以前の不幸から、別の不幸に変わっただけかもしれないぞ」

 暴君ウォーター・ハウスはソファーに腰掛けて、新聞を手にしてくつろいでいた。

 シンディは可愛らしい少女服に身を包みながらも決意を手にして、彼の眼を見据えて頷く。


 窓から、日の光が差し込んでくる。

 空はすっかり澄み渡った青空だ。


 グリーン・ドレスとラトゥーラの二人は、キッチンで朝食を用意していた。

 ドレスは散々、ラトゥーラから料理の作り方がおかしい、だの、卵をちゃんと割れないだの、ソーセージの焼き方がおかしいだの、トマトの切り方を変えてくれだの言われていた。ドレスは……サンドイッチもマトモに作れない……。


「MDの貧困層は暴力と殺人に強く憧れる。凶悪殺人犯、猟奇殺人犯、マフィア、テロリストが英雄視されてヒーローと化している。若いガキにとって、この世界をブチ壊してくれる連中ってのは救いなんだ。強さや力の象徴だしな。この国でも犯罪小説は大人気だし、映画だって、マフィアを美化しまくって上映されるものが多い」

 ウォーターは新聞のとある記事を読みながら、少し苦々しそうな顔をしていた。


 どうやら、それは麻薬ビジネスの記事みたいだった。警察は捜査を進めているが、犯人逮捕に繋がらない。政治家達はこぞって、麻薬中毒者を片っ端から監獄に入れる事ばかりを考えている……。暴力に憧れた者達のなれの果ては、ドラッグに溺れて、人生の大半を監獄で過ごしていく者達が多い。ドラッグの中毒症状のせいで、廃人と化して、マトモに生活を送る事が出来ない者も多いだろう。


 ウォーター・ハウスは新聞を横に置いた。


「まあいい。ラトゥーラ、シンディ。俺とグリーン・ドレスはもう、この街を、この国を離れるつもりでいるが。お前達二人は、その後、どうする?」

 暴君は険しい口調で、シンディに訊ねる。


 四名は港町に戻っていた。

 ラトゥーラとシンディの住んでいた家は、マフィア達に荒らされる事なくそのままになっていた。この港町に戻る為に、列車を使ったが、今の処、報復らしきものは無い。

 シンディは久しぶりに自宅の布団で寝て、何とも言えない懐かしさを感じた。まるで、これまでの旅の全てが夢であったような気分になった。そして、彼女自身、暴君と赤い天使の二人には、随分、魂の底から救われたのだ……。


 ウォーター・ハウスは、ムルド・ヴァンスを探して奪われた腹を取り戻さなければならない。当面の間は、彼はムルドを始末する事に決めていた。


 そして、シンディとラトゥーラ。

 二人は決断をしなければならない。


 平穏で幸福な人生を送りたいと二人は願っている…………、けれども、二人は未だ連合(ファミリー)から賞金を掛けられているし、マイヤーレの残党からも狙われるかもしれない。そもそも、マフィアに抗った時点で、運命は決定されているのだ。


「おい。シンディよおぉ。なんで、ウォーター・ハウスが暴君って渾名(あだな)で呼ばれているか聞いた事あるか?」

 グリーン・ドレスはおおざっぱに材料を切ったサンドイッチの載った皿をテーブルの上に置く。ラトゥーラは四人分のコーヒーの入ったカップを置いた。今日のラトゥーラは水夫としてのセーラー服ではなく、白いパーカーと半ズボンを着けていた。


「なんでですか?」

 シンディは素朴に訊ねる。


「自分のアタマのおかしい正義を徹底的に遂行した結果、一人の弱い人間が多くの自由を得られるって動いた結果、多くの人間を殺す事になるし、助けたかった人間も不幸のどん底に落としちまうからだよ。だから、皮肉で“暴君”で呼ばれてるんだよ。この私も犠牲者の一人だ」

 そう言って、グリーン・ドレスはソファーに座ってサンドイッチを口にして、すぐに吐き出す。どうやら、卵焼きの中に大量の殻が入っていたらしい。


 グリーン・ドレスとウォーター・ハウスの間に、どんな関係があったのかはシンディには分からない。どういう経緯で付き合う事になったのか。だが、……余り、深く聞いても仕方の無い事なのだろう。


 ラトゥーラも席に座って、コーヒーを口にする。

 彼は砂糖を余り入れない嗜好みたいだった。


「これから、どうしましょうか……、みなさん」

 彼は不安げに訊ねた。


「どうするもなあ…………」

 ウォーター・ハウスはサンドイッチを口にしながら、味に顔をしかめていた。


「どうせ、向こうの方から、俺達にアプローチを行ってくるだろ」

 そう言って、暴君は甘ったるいコーヒーを口にすると、天井を見上げて、小さく溜め息を付く。


 …………、今は、束の間の平穏を楽しみたい。

 マイヤーレを壊滅させてから、もう一週間近くが経過していたのだった。

 他のカルテル達の動きは、未だ、何も無い……不気味な程に…………。


2


「私は、そうですねえ…………。かのニュルンベルク裁判で上司からの命令は絶対だから言われるままに、ユダヤ人を薪の山として積み上げたアウシュビッツ収容所の責任者だったアイヒマンでは無いですから。幾ら上からの命令と言われても、余りにも非道な事に協力は致しかねます」

<回りくどいキザったらしい話がウザいんだけどおーおぉ。どうしても駄目ってのぉー? サトちゃんところは護衛したのにぃ?>

「マイヤーレは社会の必要悪でしたよ。けれども、ポロック。貴女は少し……やり方が…………」

 そこまで言って、右手に包帯を巻いたレスターは口籠る。

 十全に動ける状態ではないが、それでも戦えないわけではない。


†


 街中のマフィアの吐息が掛かっていない、何気ない喫茶店の中だった。


 二人の男はそれぞれ紅茶とパフェを注文して会話を交わしていた。


「貴方、甘いモノ好きだったんですね?」

 ゴシック・ロリィタ・ファッションに身を包んだレスターは、自分の席の前に置かれた豪奢なメロンパフェにスプーンを突き立てながら、素朴に訊ねた。


「甘いモノなんて誰だって好きだろ。甘党男子とかって、ファッション雑誌の俗説なんじゃあないのか? 性別関係無く誰だって甘いモノは好きだろ」

 ムルド・ヴァンスはイチゴと板チョコレートのふんだんに盛り付けられたチョコレート・パフェを眺めながら、ブラック・コーヒーを口にしていた。


 そう言いながら、ムルドは煙草に火を点けようとして、此処が禁煙席であった事に気付いて舌打ちする。そして、パフェから板チョコレートを引き抜いて口にした。


 席は窓際で、一般市民が何気なくスマートフォン片手に窓の向こうを通り過ぎていく。


 まさか、こんな場所で、マフィア組織(カルテル)のトップと殺し屋業界のトップが談合を行っているなどと、誰も思わない事だろう……。


「で、レスター。ポロックは動くのか?」

 ムルドは言って、スプーンの上に乗ったイチゴを口にする。


 レスターはメロンを咀嚼しながら、顎に手を置いた。


「今日か……明日中には動くのではないかと。暴君達の動向を追っているみたいですね。……私は彼女からの協力を断りましたが」

「お前は仕事を選ぶからな……。ニスナスの馬鹿野郎もか……。しかし、マイヤーレの生き残った幹部達で次期、ボスを決めているらしいが。俺達のグループの中に残る事は難しいだろうな。他のカルテルに、売春婦斡旋の利権は移るだろう」


 喫茶店の他の客達で、二人の会話に耳を傾ける者はいなかった。むしろ、今日のバスケの試合に関する事や、芸能人の不倫に関してもっぱら盛り上がっているみたいだった。


「人体の売買屋は他のビジネスよりリスクが多いからな。……しかし、ポロックは戦闘員を欲しがっている筈だが……」

「彼女なら単独で行動するかもしれません。何しろ、強い劣等感を抱えている。ハイドラやアルレッキーノに強いコンプレックスを抱いていた」

 レスターは砂糖とミルクの入ったコーヒーを口にする。


†


「帰りには、家で食べるジェラート・アイスを買いたいんだが」

「ホント、甘いモノ好きですね」

 ムルド・ヴァンスは両ポケットに手を突っ込みながら、肩をいからせて歩いていた。

 レスターは帯刀している剣の柄を握り直していた。まだ手の負傷が治っていない。リハビリが必要になるだろう。


「ポロック。……暴走されるなら、俺とお前、どっちが止める? 最悪、市民にも各組織(カルテル)にも被害者が増えるぞ」

「私が……と言いたい処ですが。暴君達との戦いで、この通り、負傷しています」


 ムルド・ヴァンスは眉を顰めていた。

 確か、ポロックはバラした人間の死体を街頭に吊るしたり、生首を川辺に置いて民間人に晒すのが趣味だ。他のマフィア連中も多かれ少なかれ、そういう事はするが、ポロックのそれは極めて過剰だった筈だ。ムルドの縄張りでもあり、故郷でもあるメリュジーヌ国などでやられるのは極めて迷惑だった。聞かずとも、レスターも同意見だろう。


「あの下劣なサイコ・キラーの事だから、犠牲者は増えるだろうな。レスター、奴の能力は知っているか?」

「耳にした事は…………」

 レスターは口元に手を置いて、眉を顰める。


「街が大惨事になるかもしれんな」

 ムルド・ヴァンスは苦々しそうな顔をしていた。

 メリュジーヌは彼の故郷だ。

 ポロックは、間違いなく、メリュジーヌ国を荒らす事も考えている。


 ムルドは故郷の街では、ヤクザの親分として一般市民に嫌われる事を強く嫌がっていた。なので、町内会にも積極的に参加するし、街のゴミ拾いやドブさらいなどもジャージ姿で手伝う。故郷の街の者達は、カタギの顔見知りの友人知人が多い、……臓器売買組織『オルガン』のボスで、異常快楽殺人犯のポロックなんかにグチャグチャにされる事だけは避けなければならない…………。


 マイヤーレのボス亡き今、売春斡旋産業の利権は他のカルテルに移る前に、オルガンが略奪しようとするだろう。彼女はコミッションの利権の配分の考えも理解するつもりも無い。……早急に手を打たなければならない。

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