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第二十五夜 北の国ファハン。マイヤーレの本拠地へ。


 空が紺碧に晴れ渡っている。

 乳白の雲がたゆたっていた。


「メリュジーヌから四日か」

 ウォーター・ハウスは、ファハンに辿り着く。


「お前達と出会って、十日程なんだな。しかし、長いようで短い旅だったな」

 ウォーター・ハウスは、ラトゥーラとシンディに告げる。


「この国の渓谷にマイヤーレの本拠地がある。今日中に迎えそうだな」


 この四日の間、何名かの敵が襲撃してきた。だが、ウォーター・ハウスが難なく始末したのだった。グリーン・ドレスは余りにも呆気ないと言っていた。


 ……呆気なさ過ぎる…………。

 敵側に、もう戦力らしい戦力は残っていないのだろうか。


 少なくとも、オロボンで襲撃してきた対象を子供へと変えていく老人ザゴルムや、魔女ラジス。それからウォーター・ハウスの腹を奪い取ったムルド・ヴァンスや狡猾極まりないヴァシーレに比べて、敵がヤケに弱い。


 マイヤーレ本拠地の位置は調べてある。

 今は朝の八時頃だが、車で向かって、午後には渓谷に到着するだろう。暗殺者達に待ち伏せされているかもしれないが、まずシンディの能力で警戒態勢を取り、ウォーター・ハウスかグリーン・ドレスが難なく始末している。この四日の間に、車で幾つかの国を超えて、ホテルにも泊まった。レストランで食事も取った。敵は襲ってきたが、難なく始末する事が出来た。……難なく、だ。


「しかし、妙だな…………。どうにも、捨て駒にしているようにさえ思える…………。メリュジーヌを出た後に襲撃した敵は俺達の油断を誘っているとさえ思える。あのガローム・ボイスを解き放った時でさえ、別の敵の別の思惑があった」

 ウォーター・ハウスは顎に手を置く。


「考え過ぎじゃねぇーの? 私達がメチャクチャ強いから、奴ら、雑魚く感じるんだよおぉ」

 グリーン・ドレスは眼を擦って、大欠伸をしながら言う。


「だと良いんだがな…………。それにしても、マイヤーレを潰したら……。ムルド・ヴァンスの奴をどうにか始末しないとな。ずっと、俺の腹の能力が封じられ続けているっていうのは、気分が良いものじゃあないな」


 ラトゥーラはしばし考え込む。

 ……自分は、一体、この旅で何を得たのだろう?

 暴君と赤い天使。

 彼らに、ただ助けて貰うだけが、この旅じゃ無かった筈だ。

 自分は一体、この旅で何を学んだのか。


「マイヤーレのボス。私に殺させて下さい」

 そう言ったのは、ラトゥーラの姉のシンディだった。

 彼女は唇を震わせながら告げる。


「私は元々、タダの街娼だった……。そして、あの組織に拉致されて、屈辱的な刺青を入れられた……檻の中に……。私がボスはこの手で殺したい……っ!」

 シンディの瞳は強い憎悪に燃えていた。

 グリーン・ドレスは彼女の肩を叩く。


「ああ。やれよな。見届けてやる」

 赤い天使とシンディ。

 二人はこの十日間の旅で、かなり仲良くなっていた。


 ラトゥーラにもシンディにも、もう失う家族なんていない。


 ウォーター・ハウスは最初に会った時から、敢えて深くは訊ねなかった。

 それに、会った時の顔色から、何となく気付いていた。

 だが、ラトゥーラとシンディの口から聞きたかったからだ。

 二人共、暴君と炎の天使と打ち解けていた。……そして、トラウマのショックを説明するのに、充分に心が回復しつつあった。


 この四日の間に、ラトゥーラとシンディは二人に打ち明けたのだった。


 自分達の両親はマフィアによって、殺害された事に。

 そして、二人を大切にしてくれたファッション・ブランドの制作に携わっていた母親を残虐に殺害したのは、他でも無いマイヤーレの構成員だった。暴君は彼らから詳しくは何も聞かなかったし、そもそも、彼らが言わなくても察していた。二人のマイヤーレという組織に対する強い復讐心。それを感じていたから。わざわざ、彼らからの言葉を引き出す必要が無かったのだった。…………。


 マイヤーレ専属の売春婦になる事を強要されていたシンディを母親は庇っていたのだが、見せしめにこの姉弟の母親は拷問死したのだった。二人は母親の残酷な死に様に強いPTSDの症状を発症していた。二人を虐待していて、縁が切れていた父親の方も既に始末されていて、身体の部品がラトゥーラの下へと送り付けられたのだった。ラトゥーラはこの世界を絶望し呪ったし、シンディは人生の全てを諦めていた。


 この姉弟にとって、暴君と赤い天使との旅路は、両親を失った心の傷を回復させる為の旅でもあったのだ。


 結局の処、この姉弟の目的は、マフィアからの報復から逃げる事ではなく、明確な復讐だった。姉弟二人共、それを自ら口にしなかったのは、……他人に頼るしかない自分達の弱さを赦せなかったからだろう……。


 だが、メリュジーヌからファハンへと向かう四日の間に、ラトゥーラもシンディも、殺人鬼カップルである二人を心から信頼して話してくれた。


 ウォーター・ハウスは言った。

 必ず、仇を取らせてやる、と。



 ……時間は半日程前に遡る。


 レスターは夜のメリュジーヌを歩いていた。

 ゴシック・ドレスが一目を引くが、彼はそれを気にも留めない。それに、大抵の者達は彼の事を美しい女性だと思い、男だとは思わないだろう。彼は歩くだけで優美な存在だ。まるで絵画の中の人物が歩き出しているような印象を、周りに与える。


「『ザ・ブック・オブ・ジェネシス』。それが彼の能力だと聞かされましたが」

 レスターは今日、白を基調としたゴシック・ロリィタ・ファッションを着ていた。

 純白のフリルが夜風に靡く。


 レスターは、その男の家の玄関へと辿り着いたのだった。メリュジーヌの街の北部の辺りに、男はひっそりと住んでいた。この辺りは多少の田舎街になっており、繁華街から離れている。街中の本屋には童話などが並んでいる。この辺りには独自の民話などが多い。メリュジーヌの歴史ある都市だ。


「もしくは。『最初の本』と呼ばれる能力者ですか」

 レスターは玄関の扉をノックした。

 確か、此処は借家だった筈だ。

 中の男は、貧しい暮らしだと聞かされている。


「開いている…………。勝手に中に入れ……」

 アパートの中から、低い男の声が聞こえた。


 レスターは散らかった部屋の中を見渡す。神経質な彼は少しだけ不快な顔になる。大量のスケッチブックに人体デッサンの絵が転がっている。バラバラに破壊された石膏像が転がっている。

 部屋にはキャンバスや石膏像が並んでいた。


「彫刻って、生計を立てられるものですか?」

「いや。似顔絵屋もやっている。あんたのも描くか? 安くしておく」

「遠慮しておきます」


 キャンバスに向かう男は、未だレスターの方へと振り向こうともしない。

 レスターは砂埃が舞う部屋で、自慢のドレスが汚れる事に対して不快感を示していた。


「貴方、本当に殺し屋なんですか? ボス会の皆様からのご紹介で、貴方も、私と共に動くように言われているのですが」

 レスターは正直、自分一人でも充分だと考えていた。

 こんな売れない彫刻家なぞに、どんな仕事が出来るのだろう、と。


 だが、……『最初の本』。

 この男の超能力の名前だけは、あるいはこの男のコード・ネームだけは、連合(ファミリー)の中で伝説的に広がっていた。能力の正体は不明だが、とにかく、とてつもなく凶悪な能力者なのだ、と。


「とにかく。私は貴方を迎えに来ました。今から共に、北の国ファハンへと向かって貰いますよ。専用の小型飛行機を用意しておりますから、貴方も乗って貰います」

「後、二十分程、待ってくれないか? この絵を仕上げておきたい」

 男は熱心にキャンバスに向かっていた。


 レスターは一体、何を描いているのか覗こうとする。

 男は手を伸ばして遮る。


「完成画以外は見るな」


 そう言われて、レスターは渋々、台所の方へと向かった。


「紅茶の茶葉とかありますか? 貴方を待つ時間が惜しい。貴方の作品を完成させる時間も」

「冷蔵庫の近くの戸棚にあった筈だ。レディグレイで良かったか?」

「別に良いですけど。ジャムはあります?」

「ハチミツならある。満足か?」

 レスターは戸棚を開く。

 埃が舞う。

 ゴシック・ドレスに埃が掛かり、柔和なレスターの頬が引き攣る。


「あの……。この紅茶の缶、開けたの、いつでしょうか?」

「…………。半年……いや、十ヶ月前か?」

「賞味期限が二年前だと記載されているのですが…………」

「俺は気にならない」


 レスターは台所の椅子に座って、脚を組む。


 この家の主は絵筆の動きが素早くなる。

 まるで、レイピアでも振るっているかのようだった。


 ……超能力者なのか? この男は、本当に? ……暗殺者集団の頂点にいる、私でさえ、この男の事は分からない。……なんなんだ?


 レスターは胡乱げに、この家の主の背中を眺めていた。


「完成した」

 男は立ち上がる。

 身長は180センチ以上はある。長身だ。たくましい筋肉をしていた。前髪は白く、長い。


 男は振り返る。精悍な美形だと言ってもいい。


「紹介が遅れた。俺の名はニスナス。『ザ・ブック・オブ・ジェネシス』、あるいは『最初の本』と呼ばれる能力名とコード・ネームを持つ男だ」


 レスターはキャンバスの方を眺めていた。

 宗教画だ。

 美しいマリア像が描かれている。

 レスターは美しいモノが大好きだった。


「終わりましたか。では、私と共に来て戴けますね? 北東の国ファハンへ」

「ああ。ムルド・ヴァンス様から電話で話は聞かされている。俺はムルド様に大恩があるからな。よく生活の援助をしてくださっている…………」

「そうですか…………」

 レスターは、部屋の隅にぽつん、と置かれている煤けた黒電話を眺めていた。かなりの年代モノだ。アンティークだと言ってもいい。


「ニスナス。私の名はレスターと申します……。処で、もしかして、貴方、スマートフォン、持っていない、とか…………?」

「普通の携帯電話も持った事が無い。この俺には不要だ」

 彫刻家であり、画家の男は真顔で言った。

 …………、浮世離れし過ぎている…………。


 レスターは唇を小さく震わせて、小型飛行機の中に、通信機があったかどうかを思い出そうとしていた。……最悪、ファハンに到着後、携帯ショップに向かわなければならない……。

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