事故の余波は思いがけなく 3
今回ちょっと閑話風で、話主はキアラのままです。
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はっと目を開くと、まばらな木立と離れた場所に小さな池が見えた。
「あ……森の中、なの?」
何か建物の中にいたような気がしたのに……あれは、夢?
でも記憶を探ってみれば、確かに自分が来たのはファルジア王宮の西に広がる森だ。王宮を囲む壁の中にあるので、動物も人も、王宮に出入りできる人間でなければ入って来られない場所。
そこでうとうとしている間に、本当に寝入ってしまったのだろう。
珍しく、幸せな悩みを抱えていた夢を見ていた。
はっきりと思い出せないけれど、ここじゃない場所で色んな人と笑いあったりしていた。
現実の私には、そんな風に話せる人もいないのに。
似たような状況があったのは、教会学校に入れられいてた時だけ。上手く人と話せなくてまごついていた私だったけど、面倒見のいい同級生がいたおかげで、少数の人とだけど打ち解けることもできて……。
「でもみんな、もう話すこともないんだろうな」
つぶやいて立ち上がろうとしたけど、変な場所に座り込んで眠ってしまったせいで、足腰や背中が痛い。まるでおばあさんみたいだと思いながら、私は体を伸ばして痛みが消えるのを待った。
戻るのはゆっくりでいい。
だって子爵が来ると聞いて、思わず逃げてしまったのだから。
王妃の居室がある周辺にいたら、見つけ出されて何をされるかわからない。だからえ自分の居場所がわかっても、遠すぎて探しに来られない森の中へやってきたのだ。
苛立ちを解消するために食物に手をつけてしまう質がある子爵は、胴回りも自分の四倍はある。そのため運動を嫌うので、乗馬するか徒歩でえんえん歩かなければならない場所までは近づいて来ない。
そんな場所だからこそ、つい安心して眠ってしまったのだろう。地面に敷布を置いて木に寄りかかった体勢だったのに。
時間があると思うと、ぼんやりと空を見上げてしまう。
「飛べたら良かったのに……」
そうしたら、一息に子爵の影響が及ばない遠い土地へ逃げてしまうのに。
王妃もこうして勝手に抜けだしたりすることを容認してくれたりするけれど、結局はあの人も私を利用したいから、逃がしてはくれない。門周辺を守る兵士達は、王妃の息がかかっているものが多いと、古参の女官から脅されていた。
だいたい、逃げたところでどうやって生きていけばいいのか。
外の世界のことなどほとんどわからない。
お金を使うことは知っているけれど、それを手にしたことがあるのは、行儀見習いに入れられた教会学校の中だけだ。
魔術師としての力があれば、生きてはいけるだろう。けれど魔術師を雇うのは貴族ぐらいだ。普通の人ではお金がかかりすぎて雇えないだろう。
そして貴族に雇われてしまったら、最初は隠せていてもすぐに身元が発覚してしまう。
――クレディアス子爵の妻だ、と。
前妻に似た雰囲気があるからと、子爵は自分のことを気に入っている。だから一時は頻繁に宴などに同伴させられたのだ。おかげで王都で暮らす貴族や、主要な大貴族達もキアラのことを覚えてしまっただろう。
それでいて、クレディアス子爵は私のことを大事にするわけではない。
むしろ裏切られたという前妻への恨みも重なっているのか、悲鳴を上げ、泣き叫んで嫌がる姿を見たがる。
少し似ているという私が嫌がるから、楽しいのだと笑って。
子爵の館で過ごさなければならなかった数か月は、闇の中に閉じ込められたように辛かったものだ。しかも魔術師にされて、王妃のために働かなければならないのだ。
せめて、王宮にいる間くらいは子爵に触れられずに過ごしたいと願っても、いいと思うのだ。
でも、離れるほど嫌悪感が増すばかりで、姿を見かけただけで吐き気がする。
思い出せばうなされて。でも自害は許されなくて、王妃の女官に何度も止められているうちに、いつしかそれも諦めてしまった。
そこでふっと思った。
今ならできるのではないだろうか、と。
最近の自分は自殺未遂なんてものはしないし、子爵からは逃げ回ってもきちんと部屋に戻っていた。そのおかげなのか、一時は見張りがついていたようだけれど、最近は諦めたと安心されているのかもしれない。
今だって誰もついてこなかった。これは好機だ。
私は立ち上がって、せかせかと池に近づいた。
子爵の館で一度失敗しているけど、池がそれなりに深ければ溺れることができるのはわかっている。ドレスが水を吸って重たくなるから、浮かび上がれなくなるのだ。
近づいて見れば、予想した以上に深い。小さな川が流れ込んでいる場所なので、水もそこそこ澄んでいる。底は大きな岩が転がったその先なので、深さも期待できそうだ。
思いきりいこう。
私はえいっと池に飛び込んだ。
冷たくて悲鳴を上げそうになったけど我慢すると、すぐに衣服が重くなって底へ底へと沈んでいくのがわかる。試しに足をばたつかせてみたが、大丈夫、きっちり浮かばない。
それより息が苦しい。
早く息が止まってくれたら楽になるのにと思った瞬間、誰かに腕を掴まれた。
引っ張り上げられて、空気がある池の上に顔が出る。
思わずむせてしまってせき込んだら、背中を撫でられた。親切なんだろうけど、苦々しい気持ちになる。
しかも呆れたような口調で言われた。
「なぜ池に飛び込んだんだい? しかも随分嬉しそうに」
私としては、嬉しそうだと思ったなら止めないでいてほしかった。おかげでずぶ濡れになっただけで、目的も達成できていない。
「そうです。嬉しかったんですよ。だから止めないで欲しかったんですけ……」
抗議しようと振り返った私は、自分を迷惑にも助けようとした人の顔を見て驚いた。
そう年が変わらない、でもやたらと綺麗な顔の青年だが……どこかで見たことがある。だけど目立つ銀の髪に、王族の血を引く人だというのはすぐわかった。
王族とその親族でなければ、その色を持たないからだ。
年のことを考えれば、彼が誰なのかわかる。
ただ、はっきりと顔を覚えていないのでそう断定していいのか迷った。自分が知らないだけで、王と王姉と王子以外にも貴族で銀の髪を引き継いだ人がいるかもしれない。
そもそも、王宮に来てからも何度か見る機会があったのに、子爵から逃げることや王妃への恐怖で心がいっぱいだった私は、王子や国王の顔を覚えようともしなかったから。
……どんな権力者だって、魔術師になったせいで縛られる私を救えるわけがないのだから。
「レジナルド殿下、ですか?」
だから尋ねたのだけど、その青年は私の返事を面白がってしまったようだ。
「私を知らない人がいるんだ、珍しいね。君の言う通り、私はレジナルドだよ」
穏やかな声で言った彼は、小さく口元に笑みを浮かべた。
……どこかから声が聞こえる。
――私の記憶が流れてしまったのね。忘れて、忘れて、と。
それより、ずぶ濡れのまま立っているところに風が吹いてきたのでひどく寒い。だからこの寒さをなんとかしてほしいと思った私は身震いして……
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