閑話~祭の痕~
普通の恋物語なら、死をも決意して訴えれば恋する人の心を動かせる。
エイダもそうなることを夢見ていた。
なのにどうしてあの方の心は動かせないのか。
魔術師くずれを作り出す契約の石の粉を見せ、エイダはその決意を見せたというのに、王子は剣に手をかけたのだ。
それを目にした瞬間、エイダは目の前が真っ暗になるかと思った。
レジナルド王子に見限られた。
そう感じたけれど、どうしていいかわからない。せめて魔術師になったということにして、側に置いてもらうことしか思いつかなかった。
そして戦場で、彼を抱きしめて自分も灰になるのだ。
王子を永遠に私のものにするために。
この方法を教えてくれたのは、エイダが王子に恋をしたと知ったマリアンネ王妃だ。
――恋しい人が、自分の状況や相手の状況のせいで手に入らない辛さはわかるわ。
美しい王妃は、その顔に妖艶な笑みを浮かべていた。
そうして赤く塗られた唇から、エイダの心に火をともす言葉を紡ぎ出す。
――私も手に入れられなかった。
手に入れなければと気づく前に、彼の命はファルジアに奪われたの。
だからあなたは失敗してはいけないわ。
心から思うのなら、誰にも……命を誰にも奪われないようにしなくては。
自分自身で奪った命でなければ、自分のものになったと言えないもの。
恋する相手を、王妃は亡くしたという。ルアインとファルジアはずっと戦っていたから、そういうことが起こっていてもおかしくはない。
しかも負けたために恋人の命を奪ったファルジアへ嫁ぎ、敵国の王のものとなったのだ。
話を聞いたエイダは、だからか、と納得した。
ずっとルアインの衣装しか着ない王妃。
それがファルジアに染まりたくないという意思だと誰もが察していたけれど、もう一つ理由があったのだ。
恋する人と結ばれなかった王妃に同情し、嫌悪する相手と結婚せざるをえなかった状況に、エイダはマリアンネ王妃に深く共感した。
――既に結婚してしまったあなたが、思い人と結ばれるために使える手段は二つだけよ。
この国を私と共に作り変え、王子を救うことで結ばれること。
もしくは死をもって永遠に自分だけのものにすること。
私にはできなかったからこそ、あなたに選択を間違えてほしくないの。
よく考えて、決めるのよ?
王妃からそう言われてから、エイダはずっと一つの選択肢を目指していた。
優しい王子に恋してもらって、そんな彼を自分が守ることで幸せになるのだと。
そのために魔術師の能力は役に立つ。
新生ファルジアの貴族達も、ルアインの貴族達も、利用価値がある魔術師のことを無視できない。魔術師である以上、エイダのことを尊重するだろう。そして王子を夫に持つことも容認せざるをえない。
けれど王子自身に拒否されることを、エイダは想定していなかった。
再会した王子はエイダのことなど忘れていて、必死の訴えにも視線を揺るがすことはない。
大丈夫。そんな真似をしなくてもいいんだ。君のことは私が守るからと言ってほしかった。
……こんなにも、王子を守ろうと潜入までしたエイダに報いるように。
いつも厳しい目をエイダに向けていた騎士フェリックスでさえ「早まるんじゃない」と止めようとしてくれている。だからこそ悲しくなった。
だから絶望しかけた時……欲しい言葉をくれたのは、キアラだった。
「自分をそんなにいじめないでください。我慢してたんでしょう。苦しいなら、少し休みましょうエイダさん」
そう、エイダはずっと我慢していた。
結婚相手に逃げられても、両親は自分を慰めるどころか面目がつぶれたことを嘆くばかり。
悲しくて逃げだしただけなのに、わけのわからない男と結婚させられて。
あげくなりたくもない魔術師にされて。
辛くても我慢し、それを利用しようと思えたのは、王子がいたからだ。
彼を手に入れるために、訳が分からないながらも戦場まで行ったし、命じられる通りに人を殺して歩いた。
いつ自分が殺されるかわからない戦場でも我慢し続けたのは、全部王子のためだったのに。
でも一番エイダのことをわかってくれたのが、エイダ自身が蔑んで、そうして見下していた女だったなんて。
そのことに衝撃を受けて、エイダは呆然としてしまった。
けれど柔らかく抱きしめてくれる腕と優しい言葉を、突き放すことなんてできなかった。
ずっと欲しかったものを、何も考えずに受け入れるのはとても楽で。
ふと視線に気づいて見れば、もうエイダとは違う者と話を始めた王子とは違い、フェリックスという騎士は珍しく安堵したような表情でエイダを見ていた。
……これで、もう迷惑をかけられずに済むと思ったのかしら。
エイダは、少しだけイラッとしたが、キアラの腕の温かさに逆らえずに、どこかの部屋に連れていかれてしまう。
ソファに座ってからも、キアラはしっかりとエイダを抱きしめたまま離さなかった。
今までのエイダの態度から考えると、どうしてキアラがそんなにも自分を気遣うのかわからない。
それほど自分のことが嫌ではなかった、ということではないだろうか。
話してみると、やはりキアラはそれほど自分を嫌っている様子はなく、むしろ王子に冷たくされたエイダに同情的だった。
あんなに、キアラを見知らぬ人々の前で罵ったことを知らないから、そんな風にできるんだと思うと……キアラに、自分がしてきたことやしようとしていたことを知られたら、と少し怖くなる。
そんな気持ちがあるからか、先ほどの状況から遠ざけてくれたキアラに礼を言えないうちに、エメラインがやってきてよくわからない仮装に参加させられそうになった。
正直、全くやる気が無かったので逃げだしたかった。
その時、なぜかイロモノにしかならないような着ぐるみを着てキアラが逃亡した。
変なものを着ていても、顔が見えなければいいと思ったらしい。
そんなキアラを追いかけて捕まえた瞬間を、王子に見られた。
大笑いする王子を見て、初めて彼の素の姿を見たとエイダは感じ、同時に、気軽に会話をしていた男の友人達のことを思い出した。
とんでもない男と結婚して、魔術師になった以上会う勇気がなくて避けていたけれど、彼らと会話をした時の楽しさを思い出したエイダは、どうにかもう一度、そんな風に王子と話してみたいと思ったのだ。
あんな風に笑わせることができたら、もっと気軽に話せるかもしれない、と。
しかし城の中を駆けまわっても、王子が見つからない。
途中で会う兵士達も引き気味だし、本当に失礼してしまう、とエイダは内心憤慨していた。
キアラの師匠に驚かされて、偽装に使われたらしいキアラにまで驚かされ、エイダはそれでもあきらめずに城の中を走っていたのだけど。
階段を下りて角を曲がったところで、人にぶつかりそうになった。
「おっと」
反動で後ろに倒れそうになったエイダの腰を支えてくれたのは、よく見知った人だ。
最近よく関わるレジーの防波堤、砂色の髪の騎士フェリックス。
彼だと分かった瞬間、王子を笑わせようと思ってした恰好だったけれど、こんな姿を見られて笑われるかと思ったエイダは、恥ずかしさに逃げたくなった。
ニヤリと笑みを浮かべたので「何をバカな真似をしているんだ」と言われるかもしれないと思ったのだが。
けれど腰から手を離してくれたフェリックスが口にしたのは、別の言葉だった。
「いつもそうしていればいいのに」
「え……?」
意外すぎて、エイダは呆然としてしまう。バカにされなかったから。
「へ、変でしょう……?」
驚き過ぎたからだろう。そんなことを聞き返してしまったエイダに、フェリックスはさらりと告げた。
「そういう格好も、かわいいんじゃないですか? まぁ多少イロモノ系ですが、いつもの鬼気迫る様子で突撃されるよりは、ずっと見ていて楽しいですし」
見ていて楽しい、というのは褒め言葉ではないとは思う。だけど、非難されているわけではない。そんな反応は初めてだった。
「そ、そう……」
「まぁその姿なら、殿下を追いかけても皆笑って許してくれるでしょう。それでは」
と、フェリックスはエイダを止めもせずに立ち去ってしまった。
王子を追いかけ続けてもいい。そう言われたエイダだったけれど……なぜか、その気力が無くなってしまった。
「とりあえず、脱ごうかしら」
もうこの格好をしなくてもいいような気がしてきた。とりあえず着替えのために部屋に戻ろうとしたエイダは、階段を上がって廊下への角を曲がろうとした。
しかしちょうど部屋の扉が一つ開いて、キアラが飛び出してきた。
彼女はまっすぐ自分の部屋に飛び込んでしまう。
一体何だろうと思ったが、今度は同じ部屋からレジナルド王子が出てくるのを見て、エイダは目を見開いた。
これは、二人で同じ部屋にいたということだろう。
ショックを受けているエイダの視線の先で、王子はキアラの部屋の扉にそっと手を触れてうつむいた。
「もう少し待ったら、君は気づいてくれるのかな。それともあくまで見ないふりをするのか……」
つぶやいて、王子はエイダがいるのとは反対の方向にある通常の階段を降りて行った。
「……まさか」
エイダはつぶやく。
信じたくない。でも親しそうだった。自分とは話もあまりしてくれないのに、キアラが相手だと、王子は表情が変わる。
「今日も、キアラの時は笑ったのに……」
エイダの姿を見ても笑うどころか、驚いて逃げ出す始末だったのだ。
しかも翌日、キアラを見たエイダは、右手中指に水色の石の指輪をしていることに気づいた。
結婚を約束するために、指輪を身に着ける場所とは違う。
けれど石の色が、王子の瞳の色のように思えて……。
エイダの辛さを唯一気づいてくれたはずのキアラが憎くて、その指輪を持っていることが胸をかきむしりたくなるほど辛くて、今すぐ首を絞めて責めたてたくなる。
なんであなたは逃げたのに、わたしが欲しかったものを手に入れられるの。
どうしてこんなに我慢をしているわたしが、手に入れられないの。
辛さをぶつけるように、夜になってからエイダは書き物机の上に蝋燭の明かりを引き寄せ、紙の上に必要な事項を綴っていった。
そろそろ連絡をしなくてはならないのだ。
「もう、どうなったっていいじゃない……」
王子の心が手に入らない。
それを認めたくなくても、目の前にその理由が積み上げられて行くのがつらい。もう、恋し恋される幸せなど夢見られるはずもない。
ならばエイダは、他の人のものにならないようにするしかない。
それにキアラ。
彼女が逃げたせいでと思っていたし、恨んでいた。今だって彼女さえいなければ、もしかして自分を振り向いてくれるかもしれないと思ってしまう。
だから紙に、小さな文字でびっしりとキアラの能力についてや、ファルジア軍の指揮系統。そしてトリスフィードへ向かう際の予想などを書いていく。
ファルジア軍は、エイダのもたらすこの情報のせいで崩壊するのだ。
エイダは小さく笑い声をたてた。
「みんな滅びてしまえばいいのよ」
けれど笑い声が、やがて湿ったものになっていく。
レジナルド王子を殺そうとしたら、笑って褒めてくれたフェリックスはエイダを恨むだろう。剣を向けられたら彼を殺さなくてはならない。
そしてキアラを殺したら、もう、誰もエイダの辛さに同情してくれないだろう。
もう一度慰めてほしい。けれど憎い気持ちは消せなくて。
頬をすべる涙を拭い、唇をかみしめたエイダは、思わず書いたばかりの手紙をにぎりつぶしそうになる。
それをこらえて、エイダは紙を小さく折りたたんだ。




