一話目 ひとりぼっち
これは一柱の神様と人間との縁を守ろうとする神使の話。
人間は神々に祈りや願いを捧げる。
それら様々な祈りや願いをどのように神々へ届けられるのか、考えたことはあるだろうか?
八百万神務庁。
ここは"人間の祈願などを神様と繋げる"という点において天界で最も重要な拠点。神様と人間の縁を繋げる最前線である。
「福井県で豊作の願いです〜。」
そう言って祭祀管理課に書類を持ってきたのは白鷺だった。
「豊作だと稲荷部じゃないか?」
本日の祭祀管理課窓口の担当者の蛇がそう返す。
「いえいえ、我が主"伊奢沙別命様"宛てなのですよ〜。そのまま持っていければ楽だったんですが、書類提出は大事じゃないですか〜。」
というわけで判子くださいな、と白鷺から渡された書類に不備がないことを確認した後、蛇は判子を押して返した。
彼らはただの蛇や白鷺ではない。名のある神々のれっきとした神使である。
人界の季節は秋。様々なところで豊穣への祈りが捧げられていた。人間の祈りや願いの多くは直接神々に届けられるのではなく、一旦八百万神務庁へ送られる。そこで必要に応じて精査され、適切な神々へ届けられているのだ。
日本の神々は八百万と言われているが、それぞれ専門分野があるし、その地に根付く神々も少なくない。つまり八百万の神々にも"専門分野がきちんとあるし、動けない神もいる"ということである。
そんな中この数の神社や祠から寄せられる祈りや願いをきちんと聞くために神々が考え設立されたのが"八百万神務庁"。
八百万神務庁の仕事は多岐に渡り、神々はその仕事を神使たちに割り振った。これにより人間に的確な加護などを授けることができるようになったが……。
「すみません、豊作の願い届けです!」
「同じくなんですけど……。」
「あ、僕の書類も豊作関連です。」
次々と差し出された書類に蛇は目を通す。
「……これ全部稲荷部案件だからそっち行けえ!」
神使たちはとんでもなく忙しくなった。
「八百万神務庁にはそれぞれ役割の異なる課や部があります。今見たところは"祭祀管理課"。主な案件は神社や祠からの願いや祈り、祭礼の報告などを受け付ける総合窓口です。」
そう説明するのは荘厳かつ老齢な男だった。
「知ってるか?あの方はあの天照大御神様の神器、八咫鏡の付喪神らしいぞ。」
「え、本当?!絶対に無礼な真似はしないわ。」
そう話すのは今月から八百万神務庁に配属された様々な姿をした神使たちである。
「次に案内するのは"名称記録課"。主に担当するのは"名"に関することです。最近では神々の同名問題を多く取り扱っていて、ここに配属されるものは記憶能力に長けたものが多いです。」
八咫鏡の付喪神といわれた老齢の男は迷うことなく進みスラスラと説明を続ける。
「次は"荒御魂・災異課"。荒ぶる神様や、人の手に負えぬ祟り、封印、怪異などを扱います。ここに配属されるものは武神様の神使が多く、腕っぷしに自信のあるものが多くいます。」
そう紹介された場所は事務職場と訓練場が同時に存在し、その両方に屈強な男たちがいた。その中の一人が八咫鏡に声をかける。
「八咫鏡公、最近事務仕事しかしていないのだが……。」
八咫鏡はそれに慣れたように返す。
「それは良きことで。何かございましたら境界案件課を尋ねてみては?」
「数日連続で行ってはいるんだがなあ……。」
そういうと屈強な男は部屋を出ていく。それを追いかけるかたちで八咫鏡率いる団体も続いていく。
「今日はどうだろうか?」
その声を後ろに八咫鏡は話し始める。
「ここは"境界案件課"。"神様か、妖怪か、怪異なのか"、それらを調べるのがここであり、ここには八百万神務庁のベテランが勢揃いしています。皆、とても勤勉です。」
そう紹介されただけあるな、と神使たちは思った。
お茶を投げ出して叫ぶもの、何かをブツブツ呟きながら目の下に深く刻まれた隈をもつもの、そんな中普通に仕事をするものもいれば楽しくお喋りしているものもいる。クセが強すぎる。
これらを"勤勉"と呼んだ時点で色々察したのであった。
「この他には人界折衝課もあり、こちらは人間との直接交渉が必要になるため人型をとれる神使のみ配属ができます。」
"あ、なんかそこが一番平和そう……。"
今まで数々の課を見てきた神使たちは満場一致でそう思ったのであった。
「皆さんの配属先は明日張り出しておきますので確認しておくように。では本日は解散。」
その声で帰っていく神使たちを見送ると、老齢の男八咫鏡はある部屋に入っていった。それは彼の配属先、"忘却対策課"だった。自らの席につき現在担当しているものの書類を見やる。
「祠はギリギリの状態。語り部は八十歳の老婆ただ一人……。消滅は免れませんか……。」
八咫鏡はそういうと息を吐いた。
"忘却対策課"。主な役割は神々の信仰などを確認し、神々の消滅を防ぐこと。この八百万神務庁の中でも重要な課である。
「すみませんね、雨降り様。この老婆にはあなた様の祠の屋根を直すこともできず……。」
老婆は皺だらけの手で苔の生えた祠の屋根を撫でる。
「なんのなんの、そなたの気にすることではない。ああ、そなたの手のなんと温かきことか。」
己の声がこの人間の老婆に届かないと知っていても、毎日返事を返す。この老婆に応えるために。
「今日は孫とついた餅を持ってきたんですよ。私の孫も今年で十歳になりましてね、一人で杵を持てるようになって……あまりにも嬉しそうに餅をつくものですから私も張り切ってしまいました。とても美味しい餅ができましてね、ふふ。雨降り様にもぜひ召し上がっていただきたく思いまして今回お持ちしました。」
老婆はしゃがんで手を合わせて祈る。
「おお、これは美味い餅だ!ああ、美味い。馳走になった。」
老婆が祈りを終えるのと同時に雨降り神は笑顔を浮かべた。
「また参ります。今度は孫も連れて来れたら連れてきますね。」
そう頭を下げると、老婆は杖をつきながら祠から遠ざかっていく。雨降り神は手を振って見送った。
「一度で良いからあの者に直に礼を伝えたいものだ、そう思っても仕方ないことだろう?八咫鏡公。」
「そうですね、雨降り様。」
八咫鏡は頭を下げた。
「己はまだここに在れるのか。」
そう言って雨降り神は笑った。
八咫鏡は書類に"雨降り神、縁一件。存続続行。"と書き記す。その顔は複雑そうに歪んでいた。
「八咫鏡公、貴公がそのような顔をする必要はない。己は充分愛された……幸せだったのだ。」
人間からの信仰を失い、名前すら忘れられた神や妖怪の末路は"無"。今までの功績など関係なく存在自体が抹消されるのである。
八咫鏡はそれを知っていた。この優しい神がもうすぐ無に帰すことになることも。
「心残りがあるとすれば……あの者の孫に会えなかったことだろうか。」
雨降り神と呼ばれる神はこの地に昔から祀られてきた神だった。昔は雨降り神のための供物が絶えず置かれ、祭りも開かれていた。雨降り神はそれに応えこの地に望まれたように雨をもたらした。専門外のことも望まれれば無理を承知で行ったこともあった。
しかし時間の流れはかの神と人間の関係を引き裂いていった。近くに村ができた。そのうち町になった。様々なものが増えると同時に信仰は人々の記憶とともに薄くなり、そのうち雨降り神の功績を忘れ、祀っていたことも忘れ、多くの人々から忘れられ……。今や雨降り神に参拝する者はたった一人の老婆だけとなっていた。
雨降り神が老婆の病に気が付いたのはおよそ三年前。その頃老婆に自覚症状はなく、雨降り神にはもう老婆の病を治すほど力は残っていなかった。
老婆に一刻も早く病に気づいてほしかった雨降り神は老婆が参拝に来ようとすると雨を降らせてどうにか"何かがある"ことを伝えようとした。
老婆が病に気が付いた時には全てが遅かった。老婆は病院で延命するより、残りわずかな時間を好きに過ごすことに決めた。
「八咫鏡公、書類を書き直しても良いのだぞ。」
雨降り神はそう笑う。
「貴公も見ただろう。今夜で終わりだ。」
八咫鏡もわかっていた。老婆には濃い死がまとわりついていた。もう長くないだろう。そして雨降り神がいうなら、今夜亡くなるのだろう。
それは雨降り神の信仰者がいなくなるということだった。
「……今年の調査は終わりましたので、これで失礼いたします。」
八咫鏡は"縁一件"と書かれた書類を大切にしまい雨降り神に頭を下げてその場を後にした。
この日この地で老婆が一人亡くなった。
夕方から降り始めた雨は、一晩降り続けた。
ある地に雨曝しになった祠がある。
人足が途絶えてどのくらい経ったのだろうか。その祠に近づくのは人ならざるもの、八百万神務庁忘却対策課所属の八咫鏡だった。
「人の世の流れは早いですね……。あなた様のお声を聞かなくなってどのくらい経ったでしょうか……。」
返事はない。
「この度はあなた様の抹消手続きをしに参りました。」
孫が来る可能性があるから。そう同僚に言い聞かせ先延ばしにさせるのももう限界だった。
どのくらい祠と向かい合っていただろうか。このような別れは慣れない、そう思いながら八咫鏡が書類を出そうとしたときだった。
人間の声が聞こえてきたのだ。
八咫鏡は自分の姿が普通の人間には見えないことはわかっていたが、近くの木の枝にフッと飛び乗った。
「多分、多分こっち……?」
「お前しかわからんことを俺に聞くな。」
声からして若い男、それも二人いるようだ。
「昔ばっちゃんに聞いただけだから……。多分ここをまっすぐいったところだとは思うんだよね。」
「発言に自信持ってもらって良い?」
その声はどんどん祠に近づいてくる。
「むむ、俺の勘がこっちだと言っている!」
「ん、階段あるな。」
祠へと続く階段を上る音がして、音が止まった時には祠の前に二人の若い男がいた。
「あったじゃん!さすが俺じゃん!」
そう一人が声を上げて、祠へ近づいていく。ぎこちなかったが作法は守られていて、二人は祠の前で両手を合わせた。
八咫鏡は祠の中から少し気配を感じた。
「これで良いのか?」
「えっと……ばっちゃんは"お願いを聞いてもらうんだからしっかり名前は呼ばないと"って……。」
「ふーん……ここの神様の名前って何?」
一人は首を傾げ、一人は頭を抱えてしまった。
八咫鏡はここでこの人間たちにここの神の名を教えることはできない。"強制的に神を認知させること"は八咫鏡の立場上禁忌だからだ。
「なんだっけ……。あ、あー……あ?雨なんとかさん……じゃなくて雨なんとか様!」
「そこまで出てきてて何で全部出てこないんだよ……。雨関連でテキトーに言っていくか?」
「いや、それで名前間違えたら失礼だろ?!」
「名前忘れてるお前が失礼だよ。」
名前を思い出せないと言っていた青年がブツブツと呟き始める。
そんな青年を見るもう一人の青年は呆れたように力を抜いた。そこまで出ていて何故出ないのかわからない友人を横目に青年は辺りを見まわす。祠をじっくり見るとボロボロになった祠に何か文字が刻まれているのを見つけた。手で土埃を優しく落とすと文字が出てきた。
天……之神。途中が潰れていて読めないがこれが祠の神の名前ではないだろうか、そう友人に声をかけようとした時、悩んでいた青年の心に響く名前を見つけたのか、その目が輝いた。
「多分名前合ってると思う!俺の後に続いてくれ。」
そう言って青年は改めて柏手を打ち、祠へ祈る。
「雨降り様、雨降り様。ばっちゃ……祖母がお世話になりました!えっと、昔ここに通ってたナカおばあちゃんの孫の誠也です。ずっと挨拶に来たかったんです。ここまで遅くなって本当に本当に申し訳ありませんでした!」
雨降り様?祠に刻まれているものと似つかないその名に疑問を覚え、祠の前で拝んでいる友人に声をかけようとした、その時だった。
晴れているのに霧雨が降った。細いけれど確か雨が降ったのだ。
「マジかよ……。」
「ええ?!ばっちゃ、見た?!神様いるかもしれない!」
そう驚いたのは青年たちだけではなかった。
八咫鏡が枝から降りると祠の後ろに懐かしい気配を感じた。
「そなたとそなたの祖母の餅は本当に美味しかった!もう食べられないのが残念だ。」
そう発したものの姿はまだ見えなかったが、その声はとても響いた。
「八咫鏡公、書類の更新を頼んでも良いだろうか?」
「もちろんです。」
雨降り神が八咫鏡とそんな会話を交わす下では、
「雨降り様、色々と遅くなってごめんなさい!今回は雨降り様に色々とお話ししたいことがありまして……。この一緒にいるコイツは俺の友人で、修行中の大工なんです。それで……雨降り様の祠をぜひ立て直したくて……。」
そんな声を聞きながら八咫鏡は書類にこう書いた。
「では今年はこの結果で……。」
天呼返之神改め雨降り様、縁二件。祠、復興の目処あり。
「八咫鏡公、お疲れ様です。」
「お疲れ様です。」
暗い顔で人間界へ降りた八咫鏡が明るい顔で帰ってきたのを見て、同僚たちも思わず笑顔になる。
ああ、今日もどこかで雨降り様へ祈る声が聞こえる。
「緊急ですーーー!!!」
八百万神務庁の緊急警報が鳴り響いた。
「なんだなんだ!」
「警報の音キツいから早く止めて!」
警報を鳴らした名称記録課へ苦情が飛ぶ。
そんな名称記録課の部屋を見た者は驚きの声を上げた。
「この書類の山は何?!」
そう言われて泣きながら名称記録課は叫んだ。
「"おいしさま"事件なんですーーー!!!」
「はあ?!」
今日も八百万神務庁は忙しいのである。
八百万神務庁に突如鳴り響いた緊急警報?!
警報が鳴っているのに"おいしさま"という言葉に荒御魂・災異課は動くことをやめた。泣きじゃくる神使たちと"おいしさま"……どうなってるんだ八百万神務庁!
次回、"おいしさま"。




