1.婚約破棄と追放
貴族学園の創立記念パーティーは、煌びやかな学園ホールで盛大に行われていた。
その中で、私だけが違和感を覚えていた。
「リリテア・ポーター。お前との婚約は解消させてもらう。それに伴い、学園生徒会会計職を解く。後任はミーナ・カリストル伯爵令嬢だ」
(……こういうこと、か)
私の目の前には、婚約者で学園生徒会長のエドワルドが悠然と立ち、その隣には伯爵令嬢のミーナが寄り添うように立っていた。
今日エスコート相手のエドワルドは迎えに来ず、贈られるはずだった新しいドレスも、とうとう届かないままだった。その違和感の正体は、これだった。
「そんな、どうして……」
「父上の恩人だか何だか知らんが、幼い頃の約束ごときで小賢しい女と結婚するなど反吐が出る。ミーナのように可愛げのある女こそ俺にふさわしい。俺の運命の相手は彼女だ」
「それならそうと、正式に申し出ていただければ……何もこのような場で」
私とエドワルドの関係は、確かに恋仲のようなものではなかった。幼い頃から当たり前のように婚約者だったけれど、それだけだ。彼に想う人ができたと言うなら、私もそれを尊重するつもりだった。
(それなのに、こんな人前で……)
周囲の生徒たちの視線が突き刺さってくる。
ここはヴェルザード王国の貴族子女が通う、貴族学園。貴族が公衆の面前で婚約破棄されるなど、あってはならない事態だ。
ミーナは周囲を見回し、不敵な笑みを浮かべた。
「令嬢としての嗜みのないリリテアさんは、こうでもしないとお分かりにならないでしょう?」
「ミーナの言う通りだ。お前は立場が分かっていない。所詮、平民の女だと」
目の前で繰り広げられる地獄のような光景に、何故か私は、半月前の出来事を思い出していた。
◇
胸元で揺れる細いチェーンに手が伸びたのは、たぶん無意識だった。
「リリテア、お客様がいらっしゃる前に上着を」
廊下を急ぎながら養母が声をかけてくる。私はネックレスに通した指輪を服の下に押し込み、手渡された上着に袖を通した。
私はリリテア・ポーター。三歳の時に辺境の街で迷子になっていた所を、生物学者で名誉男爵のカルセリウス・ポーターに拾われ、養女になった。
三年前に拾われた街を訪れ、周辺の村を調査した。けれど、記憶の中にある場所は廃村になっていて、実の両親に関わる情報を得ることはできなかった。
実の両親の記憶は朧げで、唯一の手がかりは、拾われた時に背負っていた鞄の底にあった、この指輪だけだ。複雑な紋様の細工が施されており、似たものは二つとして見たことがない。
顔すら曖昧な母がよく身につけていたことだけは、覚えていた。
私は上着を羽織り、玄関へと向かう。
「ありがとう、お母様。どのようなお客様なの?」
「軍のお方よ」
(軍、か……)
十年前に終結したリュディール大戦以来、勝利を収めたヴェルザード王国は農業や物資の研究に多くの予算を割いている。生物学者である養父のカルセリウスのもとへ、軍の人間が訪れることも珍しくない。
だが、玄関の扉を開けた瞬間、私の予想はあっさりと外れた。
扉の前には護衛も侍らせず、ただひとりの男が立っていた。
長身に、落ち着いた軍服。深い色の瞳が、こちらを静かに見下ろしている。年齢は二十代後半くらいだろうか。
その人物が誰であるか、私はすぐにわかった。
ヴェルザード王国の公爵、ルヴィアス・アスキー。先の大戦を大勝利に導いた先代大将軍の後継者として、現在は自らが大将軍の地位に就く人物だ。
「君は、ポーター男爵の養女か」
「はい。リリテアと申します。公爵閣下のお越しを歓迎いたします」
「……物怖じしないのだな」
「失礼がないよう努めておりますが、もし至らない点があればお許しください」
公爵の表情は動かなかったが、冷たい色をした瞳が、一瞬だけ変わった気がした。
「男爵はいるか」
「応接室でお待ちしております。ご案内いたします」
◇
私が案内した応接室で、養父とルヴィアス公爵の話し合いが始まった。主に、軍が使う馬の飼育環境と体力の関係について、養父の研究成果を聞きたいということだった。
養父はもともと外向きの話が得意ではない。資料を取り出す手が小刻みに震えているのを見て、私は静かに傍らに腰かけた。
「こちらの資料が、直近五年間の数値をまとめたものです。気候ごとの差については、この表をご覧いただくとわかりやすいかと存じます」
養父の代わりに資料を整理して差し出すと、公爵は受け取りながらこちらを見た。
「よく把握しているな」
「養父の研究は長年手伝っておりますので」
「君は学生では? しかも主席だとか。研究にも興味があるのか」
「はい。父とは違って、生物に関しては明るくないのですが」
公爵は短く、「なるほど」とだけ言った。
話し合いは一時間ほどで区切りがついた。帰り際、玄関で公爵が振り返った。
「次回また伺う。男爵に伝えてほしい」
「承知いたしました」
あの深い色の瞳が、少しだけ頭に残っていた。
◇
周囲の嘲笑の乗った視線と囁き声に、私はハッと顔を上げた。
「婚約を解消したいというお気持ちはよく分かりました。ですが、どうして会計職を解かれなければならないのですか。私はこれまで、この学園のために職務を遂行してまいりました」
私は会計として、生徒会を含め学生団体ごとの予算編成、生徒主体の学校行事に必要な物品の発注だけでなく、本来ならば生徒会長がすべき行事の段取りや細かな雑用をしてきた。
エドワルドはいつも「生徒会長として視察が忙しい」「侯爵令息だから専用の教育があるんだ」と、いつも理由をつけては私に仕事を押し付けていた。
「黙れ! お前が生徒会に所属できたのは俺の婚約者だったからだ。そうでなければ、お前のような無能な平民は、生徒会に近づくことすらできない身分だということを自覚しろ!」
「やはり、ご自覚が足らないようですわね」
ミーナが一際大きな声を上げた。
一年ほど前。エドワルドが生徒会の庶務にミーナを引き入れた。突然の生徒会加入には相応の理由があるはずだが、説明を受けたことは一度もない。
「で、でしたらせめて引き継ぎだけでも……」
「まだ言うか! 本日よりリリテア・ポーターは生徒会室を出入り禁止とする。二度と話しかけるんじゃない」
エドワルドとミーナは踵を返し、去って行く。
私は学園ホールの中央で、一人取り残されていた。




