第二話 魔術師の資質 ⑧
部屋に戻るとアランが椅子に座って本を読んでいた。
「ただいま」
「おかえり」
パタンと本を閉じて私を見る。
「パンを買ってきたよ」
パンをテーブルの上に置く。
「切るね」
カバンからナイフを取り出して大雑把に切り分けてパンを口に運ぶ。
焼きたてのパンの良い匂いがした。私たち魔術師は主に食事によって魔力を補っている。食べ物の魔素を身体に取り入れているのだ。反対に言えば、魔力が十分にあるうちは食事を抜くことができる。アランは私の魔力で生きているし、私は膨大な魔力があるのだから食事を多少抜いたままでも活動ができる。これが私が自分で百年近く封印されていた間、食べ物を食べなくても生きていけた理由だ。
「美味しいね」
「ああ」
食べなくてもいい、とそれでも食べることは別だ。お腹は空くし、心が空っぽになってしまう感覚がある。それに必須ではないものだからこそ、魔術師はそこに大きな意味を見出している。
「どこまで買いに?」
「西側の隅っこ」
「なるほど、それくらいなら私は普通に過ごせるようだ。もう少し距離を取るとどうだろう。いざというときのために試しておかないといけないね」
「いざ?」
アランが顎に手を当てる。
「たとえば、君だけが誰かに連れ去られてしまったときとか、そういう不測の事態に備えて」
「うん」
「それで?」
「え?」
「何か言いたそうにしているね」
「ああ、うん、ケイオンに会ったよ」
「エミーリア、君は」
「ううん、言っていない」
「そうか」
「私が言うべきことじゃない、だよね?」
アランがふっと笑う。
「私はそう思うけど、君が伝えるかどうかは君が決めることだよ。これからも君は選択をし続けることになる。君はただその結果を引き受ければいい。それが魔術師であることに繋がる」
私はアランにケイオンの話をした。アランはケイオンのことよりも、ケーリュが物体移動の魔術を使ったことに関心があるようだった。
それから私たちは街を散歩し、タラントの店で保存食を調達した。カバンを私しか持っていないので、アラン用に古いカバンを用意してもらった。アランが別な本を読みたいというのでケーリュの家に行き、彼と少し雑談をして本を借りた。アランは宿でもずっと本を読み続けている。アランが言うには、ケーリュの言う通り、この百年で魔術が大きく変わったものはないという。強いていえば、より実践的な魔術が増えている、ということだった。このあたりは私もよくわからないが、アランは少し残念そうだった。彼の思う魔術師の姿とは違っている、ということなのだろう。
「確認したいことがあります」
ケーリュにアランが言った。
「なんだ?」
「あなたは国家魔術師ですね」
「なんだいきなり」
「本棚の隙間に合格証がありました」
アランが本に折り畳まれて挟まれていた紙を広げる。
「どこに行ったのかと思っていたらそんなところにあったのか」
ケーリュが苦々しい顔をした。
「あなたは中央都市から派遣されたのですか?」
「いいや違うよ。こんな辺鄙なところにわざわざ魔術師協会が派遣すると思うか?」
魔術師協会は国中の魔術師、特に国家魔術師を束ねている組織だ。
「それでは、なぜ……」
「俺は逃げ出したんだ。塔にも数年しかいなかった。嫌気が差したってわけだ。だが国の外に出るわけにはいかないしな」
「どうして?」
私の質問にはアランが答えた。
「国家魔術師は一度認定されれば自分の意思で国外に出ることは許されない。身分が保障されるのと引き換えに私たちは移動の制限を受ける。国家魔術師はその存在そのものが国の所有物になるからだ。これを嫌がって試験を受けない魔術師もいる」
「そうなの……」
「私は当時は失うものもなかったからね」
「俺なんかは期間も短かったし、うるさくは言われなかったがな。それで生まれ故郷のこの街にまで戻ってきた。あとはだらだら過ごしているだけだ」
「それなりに実力があったのではないですか? 物体移動の魔術を使ったと」
「ケイオンが言ったのか。実力? ああ、まあ、あったのかもしれないが、俺の興味は国家魔術師の本分とうまくいかなかったんだ。あんたら国家魔術師は、研究者だ。この世界がどうなっているか、それを探っている。魔術を使うのもそのためだ。確かに長期的に見れば、そこから得られる成果は人々の役に立つだろう。ただ、俺たちが暮らす中央都市といえども全員が裕福じゃない。日々の糧に苦労している人間もいる。親のいない子供もいる。そういう人間を、国家魔術師は『今』助けることができない。大きな目標のために目を瞑ればいいのかもしれないが、目の前にいる人間を見捨てることになるんじゃないか、その意識の違いが、俺にはどうしてもうまくすりあわせることができなかった、ってことだ。まあ、言い訳かもしれないがな」
「そういう意見があるのはわかっている。しかし……」
「あんたがこれから言おうとしていることが間違っているとは思わないよ。一人二人を直接的に助けるよりも、いつか数千人を助ける方法を見つけ出すことができた方がいいって言うんだろ? それは正しいんだろう。それが俺には合わなかった、それだけだ。俺には小さな街で雑用をして、手の届く範囲で世話をして、たまに転送門を開いてやって、終わったら酒を飲む、それくらいでいいんだ。今の大半の魔術師はそうやって暮らしている。もちろん俺が正しいと言うつもりもない。どうせ逃げた人間の戯れ言だ」
実践的な魔術というのは、ケーリュが言う、直接的に誰かを助けるような魔術ということなのだろう。だとしたら、私はそれが悪いとは言えない。
「弟子だって取りたくはなかった、逃げ出したヤツがやることじゃないだろ。あいつが熱心すぎるから付き合ってやってるだけだ」






