episode.9 もてなし ★
結局杖のプリンセスとの通話は何とも言えぬ空気のまま終わった。
原因ははっきりしている。盾のプリンスとの会話が続かなかったこと、ただそれだけ。当然杖のプリンセスに非はない。もし誰かに非があるとしたら、私にある、で間違いない。私自身それを認めている。もっとも、誰に非があるかなんて話にはなっていないのだが。
「話が繋がらないわね」
「はい……難しいです……」
「フレイヤさんは悪くない! あの男に問題があるの。喋ろうと努力しないから!」
私はただ苦笑することしかできなかった。
その日はそれでお別れとなった。
剣のプリンセスと別れてから、ふと思い立ち、私は森のプリンセスに通信してみた。
これではまるで文通ブームが来た女子ではないか……。
『フレイヤちゃんじゃない! どうしたのー?』
「いきなりすみません」
『いいのよいいのよー。それで? 何かお話?』
「少しお話したいな、と、思いまして……」
『ま! 嬉しい。ぜひぜひ!』
森のプリンセスは一瞬たりとも笑顔を崩さない。片手の手のひらを頬に当て、上半身をくねくねさせている。そんな妙な行動をしていても、それでも美女であることに変わりはない。
『よければ今度わたしのキャッスルへ来ない? おもてなしするわー』
「えっ。そんな……申し訳ないです」
『遠慮しないでー。今度遣いを出すわー』
そんなことで、私は森のキャッスルへ招かれることになった。
約束の日は三日後だ。
三日後というとまだだいぶ先のことだと思っていた。が、その日は案外近くて。気づいた時には約束の日になっていた。
その日は朝からあいにくの雨。
この世界を満たす空気すべてに湿り気を感じる。
いつどんな者が来るのだろう、と不安を抱きつつ、私は家で待っていた。そんな私のもとへやって来たのは、一匹の蝶。羽根を含めても手のひらに収まりそうなサイズの蝶で、その羽根は黒と黄緑、黄緑系の輝きをまとっている。
「貴女がフレイヤ様ですね!」
「あ……はい」
訪ねてきてくれた一匹の蝶は言語を使う。
意思疎通できそうだ。
「森のプリンセスより派遣された者です。キャッスルまで案内致します」
「そうなんですね。ぜひよろしくお願いします」
「はい! お任せください! ではこちらへ!」
「お願いします」
一匹の蝶と共に光に包まれ、次に気がつくと、緑が豊かな場所にいた。
庭園という言葉が相応しいだろうか、整えられた緑に覆われた地だ。緑はかなり多いのだが、きちんと整備されているということは素人が見ても分かる。ところどころに咲く花もまた美しい。
空は真っ青、澄みきっている。
気温もちょうど良くて心地よい。
「こちらが森のキャッスルとなります! プリンセスのところまでお連れします!」
「お願いします」
蝶に案内されながら歩く。
するとやがて、壁を取っ払った小屋のようなものが見えてくる。
「プリンセス様! お連れしました!」
木製の屋根の下に佇む人影に向かって蝶が叫んだ。
するとその人影が振り返る。
美しい——それが第一に思ったことだ。
「フレイヤちゃん!」
「森のプリンセスさん!」
私たちは昔からの友人であったかのように駆け寄る。
「あぁ、こうして会えて! とても嬉しいわ!」
「私もです!」
蝶はふわりと飛び森のプリンセスの指にとまる。
森のプリンセスはそれを見てふっと微笑んでいた。もっとも、それが意識してなのか否かは不明だけれど。
「その蝶、とても綺麗ですね」
「そう? ありがとう。わたしのお気に入りなの」
「蝶なのに会話もできるんですね」
「ふふ。そうなの。賢いでしょう?」
「凄く賢いです!」
私が連絡することなく森のキャッスルへ行っていたと知ったら、剣や杖のプリンセスは驚くだろうか。さすがに怒られはしないだろうが、もしかしたら戸惑った顔をされはするかもしれない。普通は知り合いを通じて話を進めるものだから。
いや、それを言うなら、森のプリンセスだって知り合い。
直接やり取りするのもおかしなことではないはず。
「ありがとうー、嬉しいわ。じゃ、お茶にしましょう。どうぞこちらへ」
そうして案内されたのは、森の中にあるちょっとした広場のようなところ。レースのような模様が描かれたテーブルとイス二つが置かれている。森の奥、というわけではないが、それでも周囲には緑が多い。いろんな木々に囲まれている。
「お待たせ。どうぞ、ゴボウ茶よ」
「え……ご、ゴボウ茶……?」
「何かおかしかったかしら」
「い、いえ……」
出されたティーカップには、黄色寄りな赤茶色の液体が入っていた。
「わたし好きなの、ゴボウ茶」
「そうなんですね」
森のプリンセスは私の向かいの席に腰を下ろす。
「フレイヤちゃん、よければ色々聞かせてほしいわ」
「はい」
それから私は森のプリンセスと共に穏やかかつ幸福な時間を過ごした。
ゴボウ茶の味は最初少し違和感を覚えた。けれど、飲んでいるうちにすっかり慣れて。途中からは美味しく感じられるようになったくらいだった。
会話の中で分かったのは、彼女には二人の遣いがいるらしい。
いや、人ではないから『二人』という表現はおかしいのかもしれないけれど。
蝶の姿をした彼はその遣いの片方。名はウィリーというそうだ。一日のほとんどの時間を蝶の姿で過ごしているが、その気になれば人間に近い容姿にもなれるとのこと。ちなみに、男性だそうだ。
そして、もう一人の遣いは、花の力を秘めた者だそうだ。名はフローラ。今は座のところで見張りをしているとのこと、顔を合わせることはできなかった。ちなみに、彼女の方は女性とのこと。また、妖精の一種であり、ウィリーとは違って日頃から人に近い容姿らしい。
「フレイヤちゃん、今日は話を聞いてくれてありがとう」
「いえいえ」
「よければまた遊びに——」
刹那、森のプリンセスは言葉を切り立ち上がった。
右手を斜め上へ掲げる。
何かと思っていたら、上空から「ちっ!」という舌打ちを言語化したような声が聞こえてきた。
私は一気に視線を動かし、声がした方向へ目を向ける。するとそこにはこの前見た少年の姿があった。ただ、少年の腹部には蔓のようなものが巻きつき、動けない状態になっている。
森のプリンセスは、上空で蔓に巻きつかれている少年へと視線を向ける。
その視線は凍りつくほどに恐ろしく鋭いものであった。
「よくも邪魔をしてくれたわね」
彼女はいつになく恐ろしい目つきをしている。そして、発する声も低い。今の彼女は、睨まれていないと分かっているこちらまでも恐怖心を抱いてしまうような、尋常でない圧を発している。
「幸せな時間の邪魔をする人には、わたし……容赦しないわよ」
蔓は少年を地面に強く叩きつけた。