episode.8 離れていても言葉は交わせる
私は一旦家へ帰った。元々そんなに長期間帰らない気ではいなかったから。自宅に帰ると緊張が解け、急激に眠くなる。その日はそのままろくに何もせず寝てしまった。
それから数日は特に何もなかった。
あれは夢だったのだろうか? なんて時折考えてしまう。
それほどに何もなかった。
私は夢をみていたのだろうか。幻か何かを見ていたのか、一時的に正気を失っていたのか、そんなことを思いつつ平凡な日々を一人過ごす。穏やかで平和暮らし、それはとてもありがたいもので。けれども何か物足りなさを感じる。
また一人だ。
どことなく寂しい。
そんなことを思いつつ暮らしていた、ある日の午後。
「お久しぶり!」
「あ! 剣のプリンセスさん!」
訪問してきたのは剣のプリンセスだった。
意外な再会に、胸の内で喜びと驚きが炸裂。
「お久しぶりです! 会いたかったです!」
こらえきれず、ついに抱き着いてしまった。
感情の高まりが行動を起こす、も事実だが、当然その逆もあるわけで。行動を起こしたことによって、より一層感情の波が大きくなる。
「そう言ってもらえると嬉しいわ」
「私知り合いほとんどいなくて! だから嬉しいです!」
「そう? それは光栄ねっ」
その頃になってようやく抱き着くことをやめた。
「それで、何かご用でしたか?」
気を取り直し、落ち着いて尋ねてみた。
「あのコンパクトはある?」
「え。あ、はい。あります。ここに」
胸もとを示すと、剣のプリンセスは「少し触っていい?」と質問してくる。その問いの意味はよく分からなくて。けれどもべつに触られたくないということはないので頷いておいた。
すると彼女は私の首にかかった状態のままコンパクトを開く。
何が目的なのだろう、と不思議に思いつつも、一応じっとしておく。すると彼女は鏡面に片方の手のひらをかざした。謎は深まるばかり。
「はいっ。これでよし!」
「……何ですか?」
「これで通話できるようになったから! 試してみて」
「どうすれば?」
「繋げたい相手を想って、繋ごうとしてみて」
何だその曖昧かつ妙な方法は。
内心突っ込みを入れつつ、一応試してみる。
取り敢えず目の前にいる剣のプリンセスで試してみよう。それなら驚かせずに済むだろう。そう考えて剣のプリンセスをイメージした瞬間、彼女の前にパネルが出現した。
「わっ!」
剣のプリンセスは驚いて数歩後退する。
「あたしに繋いだの!? びっくりしたー!」
「問題でしたか」
「う、ううん! そんなことないわ! でもてっきり盾のプリンスかと……」
なぜゆえ。
「でもちゃんと繋がったね!」
「はい!」
「これで皆と話せるようになるから。これを伝えたくって」
「そうだったんですか! わざわざありがとうございます、すみませんでした」
「気にしないで」
今はただこうして彼女と話せることが嬉しい。
一人でないことが嬉しい。
そして、すべてが夢や幻ではなかったのだという事実が、何より喜ばしい。
「そうだ! せっかくですし、お茶淹れますよ。少し話しません?」
「そのコンパクトを使えばこれからはどこでも話せるわよ」
「そうでしたね……」
「あ。でもせっかくだから少しお邪魔しようかなー? なんて」
「本当ですか! ありがとうございます!」
それから私は剣のプリンセスを家に招き入れた。そしてお茶を出した。お茶を淹れることに関して私は素人だ、それゆえ、特別美味しいということはないだろう。だがそれでも剣のプリンセスは喜んでくれた。そして私は、その優しさ、温かさに癒やされた。
彼女から聞いた話によると、現在、盾と剣のキャッスルは敵に占領されているらしい。
だから彼女は戻る場所がないそうだ。
ちなみに盾のプリンスは杖のキャッスルに滞在しているとのこと。何でも、先日の傷に毒素が混じっていたらしく、その手当てを杖のプリンセスにしてもらっているそうだ。
「はぁー、癒やされるぅー」
「気に入っていただけて良かったです」
「えっへへ。ありがと!」
「いえいえ」
出すものはほとんど何もない。出せるものはお茶くらいのものだ。けれどもそれで喜んでもらえたから、純粋に嬉しかった。
「通話? 通信? のことなんですけど。もう一度試してみても構いませんか?」
「もちろんよ」
「ありがとうございます。試してみます」
誰で試してみるか考え、杖のプリンセスに決めた。
彼女を思い浮かべながら繋ごうと試みる。
『いきなり何なのですか!? ……って、あら? フレイヤさん?』
鏡面に映し出される杖のプリンセスの顔面には驚きの色が濃く滲んでいた。
さすがに唐突過ぎたかもしれない。
『何かご用でしたでしょうか?』
杖のプリンセスは丁寧に接してくれる。それを見たら申し訳ない気持ちになった。特に用があるわけでもないのにこんな真面目に対応させてしまった、という事実が申し訳なさを生み、この胸を痛める。
「い、いえ。実は……そうじゃないんです。通信の練習で……」
『そうでしたか。そういえば剣のプリンセスが伝えると言っていました。ということは、剣のプリンセスは無事貴女に会えたのですね』
どうやら剣のプリンセスはこの件を杖の彼女に伝えていたようだ。
話がスムーズに進む。
「は、はい! そうなんです!」
『良かった。安心しました』
「それではこれで……」
『待ってください』
まだ話は終わっていなかったのかもしれない。
「え?」
『少し待っていてください。盾のプリンスがこちらにいますので、ついでと言っては何ですが、彼とも話してみては?』
「え……」
『少し待っていてください』
「はい」
待つことしばらく、杖のプリンセスが盾のプリンスを連れてきた。
『どうも』
「お久しぶりです」
盾のプリンスの言葉にこちらは短く返す。だが次の言葉は出てこない。会話が止まってしまった。重苦しい沈黙に包まれる。互いの姿は視認できているのだが、お互い、なかなか話を続けられない。
「お元気ですか?」
『あぁ』
何か言ってくれーっ!
話を広げてくれーっ!
「えっと……こちらも健康です」
『そうか』
「先日の傷に毒素がうんぬんと聞きましたが、大丈夫なのですか?」
『治療は順調進んでいる』
「そ、そうですか……なら良かった……」
何とも言えぬ沈黙がのしかかってくるばかり。
剣のプリンセスと喋る時とも杖のプリンセスと話す時とも違う。