神子は願いを口にする
深くて白い霧の中。
わたしはたった一人で立っていた。
視界は、あまりにも真っ白すぎて、数メートル先もまともに見えない。
「ここは……?」
周りを見渡すが、やはり白い世界だった。
でも、定期報告で、何度か来たことがある場所……のような気がする。
最近はほとんど書類提出だけで終わっていたから、どこか懐かしい気がした。
『二人目か……』
姿は見えないが、声がした。
その声は男にも女にも、老人にも子供にも聞こえる不思議な声だった。
でも……、それ以上に……、今の言葉、前にもどこかで聞いたことがある気がする。
そして……、二人目ってことは、わたしの前に既に誰かが来たということかな?
『風の神子『ラシアレス』よ。よくぞ、ここまで来た』
声だけの存在は仰々しくそう言った。
なんだろう?
このラスボス感溢れる台詞は……。
そして、わたしは勇者ではない。
何が起きても、その対抗手段を持たないのだ。
いや、そうじゃない。
わたしは自分の意思でここに来たというよりも……、誰かの声によって、案内された気がする。
『長きに亘る神子としての務め、ご苦労だった』
神子としての務め……、その言葉でわたしの頭に過ったものがある。
「申し訳ありません」
わたしは深々と礼をする。
「わたしは神子としての務めを果たしておりません」
相手は恐らく、神だろう。
それが創造神かは分からないけれど、そこだけは、はっきりしておかなければいけないことだった。
わたしたち神子の役目は表向き人間たちの世界の人口を増加させ、滅びから救うこと。
でも……、本当に必要だったのは、「闇陽の日」に神様と交わる存在だったのだと思う。
考えてみれば、魔法の世界だと言うのに、魔法が全く使えない「神子」を遣わすこと自体がおかしい話だ。
傍に仕える使用人は魔法使いだった。
それは魔法を使えない神子をサポートするために付けられたという。
つまり……、もともと「神子」は、魔法が使えない存在を選んだのではないだろうか?
魔法が使えたら……、あの「闇陽の日」に、激しく抵抗される確率が上がってしまうから……。
誰もが、神子の使命感を持って、アレを受け入れるとは思われてなかったということでもある。
わたしたちの行動はある程度、想定されていたのではないか?
だが……、声だけの存在は……。
『風の大陸を救済した「ラシアレス」は二位だ。十分、務めを果たしている』
そんなことを言った。
二位?
何の話?
『尤も、以降の神子たちは途中より務めを忘れたようだがな……』
その言葉には何の感情も込められていない気がした。
だからこそ、思い出す。
導きの女神より告げられた創造神よりの願い……。それは、「人類滅亡の救済」であって、「神との交わり」ではなかったことに。
そうなると……、確かにわたしは務めを果たしている。
この声が「二位」と言うのは、恐らく、人口の話だ。
それなら、わたしの上に火の神子「アルズヴェール」が存在するのみだった。
悔しいが……、わたしは最後まで、彼に勝つことはできなかったのだ。
『「闇陽の日」のことを言っているなら、それは別の話だ。アレが、大陸神たちが名神に課した『遊戯』でしかない』
「………………『遊戯』?」
『この世界は、退屈だからな』
あの日に、わたしは怖い思いをした。
あの日に、アルズヴェールは、本来、男性として知らなくても良い痛みを知った。
あの日に、マルカンデは泣くほど辛い思いをした。
それが……、ただの「暇を持て余した神々の遊戯」でしかなかった、と?
どれだけ、神という存在は傲慢なのか?
『本より、人類や精霊は神の退屈を紛らわせるために生まれた……、創り出された存在に過ぎぬ』
だから、何をしても良い……、と?
『少なくとも人類を生み出した『名神』たちはそう思っているな』
……あれ?
もしかして……、この声は……、わたしの心を読んでいる?
先ほどから、なんとなくそんな気がしている。
『それより、本題だ。ラシアレスは風の神子として、その務めを全うした。望みを一つだけ叶えよう』
「望み……?」
急な話題転換。
でも……、始めからそんな契約だった。
選ばれた神子と神様の関係。
そこに別の思惑が紛れ込んだだけの話。
ただ……、それでも……、この先の未来で風の神子「ラシアレス」の子が生まれないことを考えると、ここで「宮本陽菜」の望みを言っても良いものかと考えてしまう。
『ああ……、先に言っておくが……、魂はこのまま還すことになる。だから、「元の世界」に戻る……、は言う必要はない』
魂は……、このまま還す?
『「ラシアレス」の身体は残り、「宮本陽菜」は元の世界に戻るのだ』
その言葉で……、この声の主が、全てを承知だったことが分かる。
「このまま、還すとは……、願いを言った後は……、そのまま元の世界に……?」
このまま……、誰ともお別れもせずに?
お別れも言えずに?
『そうなるな』
それは……嫌だった。
ここで願ったとしても、元の世界であの人に会えるとは思えない。
それならば、せめて、お世話になった人たちにお別れぐらいは言いたい。
わたしに仕えてくれたアイルや、神官……。
そして……、他の神子たちにも挨拶もできないのはちょっと嫌だった。
『魂が元の世界に戻っても、その身体は残るのだぞ?』
わたしの心が読めるその声は、そんなことを言った。
願いを無駄にするなと言うことなのかもしれない。
確かに、わたしが一瞬でも考えたことは、無駄な願いになるだろう。
それでも、身体がこのまま残ったとしても、それは今の「ラシアレス」ではなく、別の存在だ。
そこに違和感を覚える人がいないとも言いきれない。
特に、ずっとわたしの傍にいてくれたアイルは、「ラシアレス」の違いは分かってしまうと思う。
……そうであって欲しいという、願望も入っているとは思うけど。
それならば……、わたしの願い事は一つだけ。
「関わった人たちとのお別れの時間をください」
わたしはそう口にした。
迷いがないとは言わない。
わたしは「聖人」ではないから。
頭をずっとちらついている人もいる。
元の世界に戻って彼と会えるならば……という願いがなくはない。
でも……、彼とは本来、出会うはずはなかった。
元の世界に戻れば、彼もわたしのことなど忘れて、以前と同じ生活に戻るだろう。
わたしが、「理想の女」の身体に入っていなければ、彼は、わたしに興味を持ったかも分からないのに、「元の世界に戻ってもあの人に会いたい」なんて願うことなんてできない。
『「導き」の素養を持つ人類は、どうして、こうも面倒なのか』
「へ?」
思わず、素の反応になってしまった。
なんか、今、かなり変なことを言われたような気がする。「面倒」とかなんとか?
いや、自分が面倒な種類の人間である自覚はあるのだけど……。
『まあ、良い。それが真なる願いなら、約定通り叶えてやろう』
「ありがとうございます」
わたしは一礼をする。
本来なら、西洋文化のカーテシーというお辞儀をするべきなのだろうけど、わたしは日本人だ。
だから、普通に深々とお辞儀をした。
『但し、猶予は一日だ。良いな?』
一日……。
アイルと話して……、人間たちの世界の神官は呼びかけに応じてくれるだろうか?
いつも会う日ではないのに……。
それに、結果として他の神子たちも、一日、余計に拘束することにはなるけど。
それでも、せめて……、あの人だけには別れを伝えたかった。
『それでは……、風の神子「ラシアレス」……。いや……、「宮本陽菜」よ』
「え……?」
『改めて言う。長きに亘る務め、ごくろうであった』
目の前に仄かに光が差し……。
『これからのお前の人生に幸あれ』
そこに、白く大きな羽を広げた銀色の髪、銀色の瞳を持った神々しい誰かの姿を……、わたしは見た気がしたのだった。
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