闇の中で神子は想いを告げる
暗闇の中。
彼に抱き締められた状態で、わたしの耳に響いた言葉があった。
これほどの至近距離で、伝えられた声を聞き逃すことはないだろう。
それでも、わたしは彼から何を言われたのか分からなかった。
わたしの聞き間違えでなければ……、アルズヴェールの口から、「好き」という言葉が飛び出した気がする。
アルズヴェールが……、わたしを?
「ハルナ?」
わたしの様子がおかしいことに気付いたアルズヴェールが……、呼びかける。
周囲が暗すぎて、お互いの顔すら見えないため、その反応や声で判断するしかない。
先ほどまで、キスされていた時は、この上なく幸福を感じていたと思う。
それなのに……、彼から「好き」と言われた時、嬉しいと思うより、出てきた言葉は純粋な疑問だった。
何故……、彼はわたしのことを「好き」だと言ったのか?
外見については、初めて会った時からずっと好みだと言われていた。
小柄で可愛らしい「救いの神子」。
でも、この誰からも愛されそうな外見の少女と、現実のわたしとは似ても似つかない姿だということは、彼ももう知っている。
だから、彼がわたしに優しくしてくれるのも、毎日のように一緒に過ごしてくれるのも、彼の好みであるこの外見をより近くで見ていたいという願望と、互いの知識と情報を共有して協力し合うという利害関係の一致だけで、それ以上の感情を「宮本陽菜」自身に向けることはないと思っていたのだ。
だけど……、わたしを助けに来るためだけに、「アルズヴェール」が犠牲にしたものは、決して小さなものではない。
中身は確かに男性で、その身体は自身のものでなくても。
その時に感じた痛みやそれに伴う感情は、全て彼自身のものだったのだから。
そこまでのことをしてくれた彼の気持ちを疑っているわけではないのだ。
でも……。
「ヒカル……、ありがとう」
わたしは素直にお礼を言う。
その言葉を彼が告げるのに、どれだけの勇気が必要だったことだろうか?
わたしには、言えなかった。
同じ気持ちを抱いていたのに。
彼が口にしてくれたのは、これまでの人生の中で、一度も、誰からも「宮本陽菜」自身は、言われたことがなかった言葉だった。
それも……、今まで出会った男性の中で、一番、好きになった人からなのだ。
女として、嬉しくないはずがない。
だから……。
「わたしも……、あなたのことが好きだよ」
これだけは伝えたておこう。
わたしを好きだと言ってくれた彼のために。
「ハル……」
「でも! これ以上はダメ」
動こうとした彼を慌てて制止させる。
「この身体が……、自分のものじゃないからか?」
戸惑うようなアルズヴェールの声に……。
「……それもある」
と、わたしは答えた。
わたしたちのこの身体は仮初のものだ。
この世界で、「救いの神子」と呼ばれている「アルズヴェール」と「ラシアレス」の身体。
今も尚、本来の意識がどこにあるのか分からないままだし、既に5年近くもこの身体の中に収まっているが、いずれ、当人たちに返すことになるとは思っている。
だけど……、問題はそれだけじゃない。
いや、それ以上の大きな問題がある。
「それも……?」
どこか訝し気なアルズヴェールの声。
彼は気付いていないのだろうか?
「ヒカル……」
わたしが、この先を口にしてしまえば、彼は止まってくれるだろう。
先ほどの言葉も恐らくはなかったことにされてしまう。
そして……、わたしへの想いも。
それでも、わたしは、告げなければいけない。
目を逸らしてはいけない。
いずれ、あの世界に戻れると信じているのなら。
これだけは、はっきりさせておく必要があるのだ。
「あなたには、元の世界に彼女がいるのでしょう?」
「――――っ!?」
わたしの言葉に、彼の身体が固まった気がした。
顔が見えないから、その表情は勿論、分からないままなのだけど。
わたしたちはこの世界で出会った。
ずっと一緒にいた。
いろいろなことを話した。
様々な部分で協力し合った。
出来る限りこの世界を創り上げた。
だけど……、それでも、わたしは決して、元の世界を捨てたわけではないのだ。
「それは……」
アルズヴェールは言い淀む。
彼にだって分かっているのだ。
わたしたちはずっと一緒にいられるわけではないことを。
だからこそ……、その部分を有耶無耶にしたまま、彼の想いを受け入れることなんかできなかった。
自分でも頭が固いって分かっている。
この世界にいる間だけだと割り切って、受け入れれば良いのに。
今のこの時間は、ただ夢を見ているだけだと。
それでも、この数年間は、「ラシアレス」にとって、必死で生きる現実だった。
10年前に元の世界で何度も繰り返しプレーした乙女ゲームにとてもよく似たこの世界。
あの頃は、この世界に入りたいと願ったこともあった。
でも、現実にこの世界に入った後は、少女たちが憧れるような綺麗な夢や素敵な恋に溢れる楽しいことばかりではなかったのだ。
「ハルナ……、オレは……」
耳を擽る高い声。
それは、本来の彼の声ではない。
「ヒカル……」
わたしの口から出てきた声。
それもわたしの本来の声ではない。
「わたしたちは、いつか、元の世界に戻ると思う」
それはずっと考えていたことだ。
この不自然な状態はずっと続かない。
「乙女ゲーム」に混入された「異物」は……、いずれ、あるべき形に戻るだろう。
少なくとも、わたしはそう信じていた。
「だから、元の世界に戻ったら……、その時にもう一度、考えて」
「考える?」
「うん。それでも……、『宮本陽菜』を好きだと言えるかと」
それはとんでもなく小さな可能性の話。
産まれた場所も育った場所も違う2人が再び出会うことなどないだろう。
仮に、互いの住所を交換した所で、それを覚えていられる保証もない。
何より、元の世界に戻れば様々な現実が待っている。
それは、姿形だけの問題ではない。
これまで同じ「救いの神子」として対等だった関係も、年齢や背負っている肩書きなどによって、確実に変わってしまうだろう。
そして……、彼には手を伸ばせば触れられる位置にいる「恋人」だって、傍にいるのだ。
そんな彼が、5歳も年上のごく普通のOLでしかない、「宮本陽菜」を選んでくれるとは、どうしても思えないのだ。
だけど……、どこかで信じたかった。
もしかしたら……、彼はそれでも……、応えてくれるんじゃないかって自惚れたかった。
「それが……ハルナの出した答えか?」
「……うん」
「元の世界……で……?」
「うん」
彼の声も身体も震えていた。
わたしは……、震えずに返事ができているだろうか?
「分かった……」
そう言って……、彼は、わたしを解放する。
ずっと傍にあった温もりが……、離れて行くことが淋しかった。
「ただ……、一つだけ言わせてくれ」
「……何?」
それはとても真剣な声で……、わたしは思わず身構える。
「もし、会うことができたら……、オレは滅茶苦茶、抱くからな」
「………………は?」
今……、何と言いましたか?
よく知った声で、とんでもない言葉が耳に届いた。
「ここで、お預けさせたことを後悔するぐらいに、抱きまくるからな」
「ちょっと待って? ヒカルさん」
表情は見えないけど、その口調でなんとなく予測ができる気がする。
いや、部屋が真っ暗で、何も見えないから、脳内で、時々アルズヴェールの背後に浮かぶ男性の姿でしっかり再生されている。
「当たり前だろ? こちとら、健康的な二十代の男性だ。十代の少年ほどサルじゃないが、精力は有り余ってる」
「いや、そこじゃないよね?」
なんか、彼の考え方がどこかズレている気がするのは……、わたしの気のせいでしょうか?
「どういうことだ?」
「あなた……、彼女がいませんでしたっけ?」
「お前な~、5年も離れてんだぞ? もう、下手すると顔も思い出せん」
「酷いっ!!」
「その辺り、ハルナは本当に純粋だよな~」
「嬉しくない。そして、褒められている気もしない」
そうだった。
彼はもともと、こんな男だった。
最近、このノリが隠れていたけど、チャラかったのだ。
だけど……。
「でもそんな所も、オレは好きだぞ、ハルナ」
そんな言葉で全て許したくなるのは……、わたしが甘いからだろうか?
「ただ一つ……、困ったことがあるんだが、聞いてくれるか?」
「一つで済むならね」
わたしは現在進行形であなたの発言に困りまくっているわけですが……。
だけど、彼はわたしの発想の斜め上を、全力疾走する人だということをわたしは忘れていた。
「もしかしたら、オレは、歴史を変えてしまったかもしれん」
これまでの発言から一転して、彼はそんなことを言ったのだった。
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