想いを隠して
その日は突然、やってきた。
何の前触れもなく、予兆すらなく。
自分には事前予告のようなものがあったから、まだマシだったかもしれない。
少なくとも、心の準備だけはできたから。
だけど、それすらなかった者たちもいたはずだ。
幸せな夢に包まれたまま、その日を迎えた者たちは、それを素直に受け入れることができたのだろうか?
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朔月宮11日。
その日は、いつもと変わらない朝だった。
目覚めた後、身嗜みを整え、アイルが準備してくれた朝食を堪能する。
食事後に必要資料を纏め、出かける準備をした。
いつものようにアルズヴェールと書物庫で会って、他愛ない会話をする。
彼とは、予定が合う限り、毎日のように会って話しているというのに、会話は尽きることなく、寧ろ、話し足りないとすら思ってしまう。
全てはいつもと変わらない。
違うのは……、自分の心だけだった。
酷く落ち着かずに胸の奥がずっとざわざわしている。
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今日は、わたしの相方であるズィード様から告げられた言葉に返答する約束の日だった。
そのせいで落ち着かないのだと思っていた。
だけど……、何か、違う気がする。
もし……、神官から告げられた日の可能性があるとすれば……、その意味合いは大きく変わってしまうから。
約束した時間は正午より少し前。
その時間すら、何かの意味がある気がしてしまう。
何故、正午ではないのか?
一度、疑心暗鬼が生じた頭は簡単に方向の修正などができるはずもない。
「どうした? ハルナ……」
アルズヴェールがわたしを気遣ってくれる。
だけど……、彼には話すことができなかった。
だから、いつものように「なんでもない」と言って笑う。
「ちょっと寝不足のせいかな?」
「ああ、目の下、酷いな」
クマができていることは知っていたので、朝、化粧で誤魔化したつもりだった。
しかし、どうやら隠しきれていなかったようだ。
これはちょっと恥ずかしい。
好きな人の前でみっともない姿を晒すなんて……。
そう。
自分の好きな人は、目の前にいる金髪美女……、の中にいる人だ。
別の人間を想っている以上、相手が神様であっても、その心に応えようとするのは不誠実である。
でも……、わたしの身体は神子である「ラシアレス」のものだ。
彼女は、衰退に向かう人類を救い、そして繁栄へと導く「救いの神子」。
それを考えれば、本来ならば……、もともとの設定どおり、相方ある神様の手をとるべきだとも思ってしまう。
わたしたちはこの世界……、いや、本体である「救いの神子」にとっても、ただの「異物」でしかないのだから。
この世界の住人ではないわたしたちはいずれ、還されるだろう。
その時に……、この歪で不毛な片想いの心ごと持って帰ることになる。
そうなれば、残された「ラシアレス」はどうすれば良いのか?
「何を悩んでいるのかしらんが、元気出せ」
「え?」
「ハルナは……、笑っている方が良い」
アルズヴェールはそう言って微笑む。
「そうだね。『ラシアレス』は天真爛漫が売りだもの。笑っていなくちゃね」
どんな逆境にもめげない強くて逞しい天然ドジっ娘。
それがわたしの「身体」だ。
だけど、アルズヴェールは美女にあるまじき珍妙な顔をしている。
……どうしたというのだろうか?
****
ズィード様が部屋に来ると約束をしていたので、いつもより早めに、書物庫から部屋に戻った。
やや早いが、正午前に訪問予定と言うこともあったため、先に昼食をとって、部屋で待つことにする。
使用人であるアイルには、お茶の準備をした後に下がるよう、お願いしている。
そして――――、ズィード様がやってきた。
相変わらず、全身くまなく橙色で溢れている。
髪の毛の色も、瞳の色も、実に綺麗な風の神。
『待たせたか?』
「いいえ」
寧ろ、指定の時間より早かったぐらいです。
早めに準備をしていたのは、正解だったと思う。
アイルは手早くお茶とお菓子の準備をして、すぐに下がってしまった。
そう指示したのはわたしだけど……、心細くなってしまう。
いや、告白の返答をするのに、関係のない他の人間が同じ部屋にいるのは困るだろうから下がらせたのだけど。
『ラシアレス』
「は、はい!」
思わず声が上ずった。
元の世界でもなかったのだ。
経験値が足りていない。
『あの時の返事を……、聞かせてくれるか?』
綺麗な橙の瞳がわたしを捉えている。
ああ、なんで、わたしはこの人ではダメなのだろう?
生まれて初めて、愛を告げられたと言うのに……。
嫌いな相手ではないのだ。
それでも……、やはり、わたしの心には先に棲み付いてしまった存在があった。
どうしても、それを無視して、他の人なんて選べない。
「申し訳ございません、ズィード様」
わたしは深々と謝罪をする。
怖くて顔が上げられない。
「わたしには想う人がおります。その方への想いに蓋をして、あなたを選ぶことなど……、わたしにはどうしてもできませんでした」
それは、神子としても失格の答え。
もしかしたら、向かう先はバッドエンドかもしれない。
だけど……、わたしに対して誠実なこの方に、不実な返答をしたくはなかった。
『そうか……、ならば仕方ない』
そんな声が聞こえてきた。
「誠に申し訳ございません」
わたしは、再度、謝罪の言葉を口にする。
理由は一度、ちゃんと告げた。
後は、それ以上の言い訳をせずに、ひたすら謝り倒すだけだ。
『貴女が謝ることではない。人の想いだけは神にだってどうすることもできないのは知っている』
その言葉に胸が少し痛んだ。
それでも……、わたしは頭を下げることしかできないのだ。
『顔を上げてくれ、ラシアレス』
ズィード様の優しい言葉にほっとして、顔を上げる。
だけど……。
「――っ!? 」
いきなり唇を重ねられた。
「ズィ、ズィード様!?」
わたしは、慌てて逃げようとするが……。
『私は、ジエルブと違ってこのような手段は好まないのだが……、致し方あるまい』
腕を取られ、強引に抱き寄せられた。
まさか、こんな強引な手段に出るなんて、思ってもいなかった。
よく考えれば、好意を持たれている異性と密室で二人きりになること自体が良くないのに、その状況に慣れてしまっていたのだ。
これは、わたしの油断だと言える。
―――― アイルを下がらせたのは、失敗だった!?
尤も、アイルはわたしに仕えてはいるが、相手は神だ。
彼女だって、逆らうことなどできるはずもないのだけど……。
「お、お放しください!!」
わたしは抗議するが、聞き入れられない。
小柄なこの身体は、いとも簡単に抱き抱えられた。
そして、ズィード様が進む方向と、その意味に気付いてゾッとする。
この先にあるのは、わたしの寝室だった。
「すくみこ! 」内では同じ部屋にあったベッドは、この世界では隣室にあった。
それは……、こういった時のため……だったと思うのは考えすぎだろうか?
わたしには確かにそう言った経験は元の世界を含めてない。
何しろファーストキスですら、この世界に来て初めて会ったばかりのアルズヴェールに奪われたというぐらいだ。
それでも、そういった方面の知識が全くないわけではなかった。
寝室に連れ込まれた時点で、完全に逃げられなくなる!
なんとか逃げようとするが、しっかりズィード様の身体と両腕に固定された身体は動かせなかった。
両手足をジタバタさせようにも両腕、両足の関節も固定されているため、可動範囲がほとんどない。
『暴れないでくれ、ラシアレス』
ほとんど動かない手足でも、抵抗されているのが分かるのか。
ズィード様はそう言って、諭そうとする。
『手荒な真似はしたくない』
「嫌です!!」
それでも、わたしはそう言うしかなかった。
冗談じゃない!!
確かにこの身体は「救いの神子」だが、その中身は「ただの人間」だ。
想いに応えられないのは申し訳ないけど……、それでも、こんなやり方は受け入れられない!
『強い瞳だ』
ポツリとズィード様が呟いた。
『暫くの間、それを見れなくなるのは……、辛いな』
そんな言葉と同時に……。
―――― この世界は闇に包まれたのだった。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。




