原作の知識
一部、品のない表現に見える箇所があります。
ご注意ください。
「もし、本当にオレが考えていることが原因なら……、原因は『発情期』だ」
今、乙女ゲームから少しばかりかけ離れた単語を聞いた気がする。
「は、『発情期』?」
「ハルナのその反応を見る限り、『すくみこ! 』の方にはないイベントみたいだな」
アルズヴェールは苦虫を嚙み潰したような顔でそう言った。
いやいや、「発情期」って言葉が関係ある乙女ゲームってあまり乙女ゲームじゃないと思うのよ?
下手すると……、獣人が出てくるような話になっちゃうし、さらに乙女ゲームよりも年齢制限が高卒以上のゲームになりませんかね?
「なんで、『発情期』が原因なの?」
気を取り直して、わたしは確認する。
通常、ゲームに関係なく、日常で「発情期」と言う単語を聞けば、動物の繁殖期のイメージが強い。
毎年、春先に、犬や猫の声を聞いては「恋の季節だねぇ」と思っていた。
ゲームに結び付けようとするから、余計な方向に考えてしまうのだ。……多分。
「ハルナは『発情期』って聞いてどんな印象がある?」
「『恋の季節』」
先ほど考えたことをそのまま口にする。
もしくは、実家の近所で飼われていた猫の鳴き声が本当にうるさくて、去勢して欲しいと何度も思った印象?
「原作にも『発情期』って言葉が鬱陶しいぐらい何度も登場する時期があるんだが……、それは、そんな可愛らしい表現では使われていなかった」
その時点で嫌な予感しかしませんよ?
確かに「恋の季節」って言葉自体は可愛らしいと思うけどね。
「ハルナは実年齢、オレより上だったよな?」
「……そうだね」
彼のその言葉に思わず遠い目をしたくなる。
25歳でこの世界に呼ばれ、さらにここで4年過ごしたということは、実年齢は29歳ということだろう。
「Welcome to 三十路の一丁目」、「三十路刑執行猶予1年」、「三十路マイナス1歳」、「二十路も9年過ぎればもう三十路」、「いつまでも若いと思うなアラサーが」という謎の横断幕の数々が、わたしの脳内に張り巡らされた。
「それで、わたしの実年齢がどうかした?」
彼の年齢はここに来た当時が20歳。
つまり……、わたしとは5歳差である。
それは分かり切っていると言うのに、今更、何の確認だろう?
「原作において、この世界における『発情期』と呼ばれる言葉は、動物に使われるものじゃない。人間に対して使われるものだ」
「人間に?」
嫌な予感は一段と強さを増した気がする。
発情期……、通常は、動物の繁殖期のことだ。
それの言葉を人間に対してわざわざ使う理由が分からない。
人間は季節に関係なく、年中繁殖できる生物だ。
ある程度人数が揃った小学校なら、一学年辺り、全ての月に誕生日の児童がいることも珍しくない。
「彼氏がいない歴イコール年齢のハルナでも、性に対する知識はあるよな?」
「いろいろ突っ込みたいことばかりだけど、最低限の知識はあるつもりだよ。ただ年齢制限系ゲームに出てくるような、マニアックな知識に対しては、そこまで知らないと思う」
あの辺りは、人の欲望に満ち溢れたものばかりだという。
そんなものは見たくなくて、手が出せない世界だった。
「いや、女に突っ込むのは男の方だろ?」
「ちょぃ、ちょっと待て!」
とりようによっては、とんでもないことを口にされて、思わず声が揺れた。
それも、乙女ゲームのヒロインの顔をした男に。
「ハルナ、顔、赤いぞ? いろいろ考えすぎじゃねえか?」
「うっさい!!」
そう言われても、彼から言われるとちょっといろいろ深読みしてしまうのだ。
見た目美女、中身、中年のオッサンみたいな青年だって知っているから余計にいろいろと想像させられてしまう。
「いや、今はそんな問答でハルナをからかっている時じゃねえ。『発情期』の話だ」
彼は、するっと切り替えた。
やはり揶揄われていたようだ。
彼は時々、会話に過激な下ネタを挟む時がある。
わたしに通じなかった時はご丁寧に解説までしてくれるのだ。
おかげで……、ここに来る前に知らなかったような変な方向の知識がガッツリ身に付いてしまった。
これも……、ある意味、穢されたってことになるのかな?
少なくとも、何も知らなかった時にはもう戻れない。
「もし、原作設定のとおりなら、今、大陸ではとんでもないことになっているはずだ」
「とんでもないこと?」
また何を言われるかは分からないので、思わず、警戒してしまう。
「ハルナは知らないようだから、原作設定にある『発情期』の話をする」
そう言って、彼は真顔となったが……。
「オレの方の知識が役に立つなんてあまりないから、ちょっと嬉しいな」
何故か破顔した。
眩しい笑顔となったアルズヴェールのその後ろに、照れたような青年の顔が目に映る。
細い黒縁眼鏡に阻まれて、その瞳に浮かぶ感情までは分からないけれど、背後の彼もアルズヴェールと同じような表情をしている気がした。
「ヒカルは十分、役に立っているよ」
わたしはその眩しさを見ていられなくて、顔を背けながらもそう答える。
実際、彼の存在にどれだけ救われたことだろう。
身内どころか顔見知り程度の繋がりがある人間が誰もいない世界で、最初に声を掛けてくれた人。
素直に応えないわたしに、何度も手を差し伸べてくれた人。
利用しようと思っていたわたしに、何の黒さもなく笑ってくれた人。
だけど……、欲しがってはいけない人。
彼が見ているのは「ラシアレス」で「宮本陽菜」ではない。
確かに「ハルナ」とくすぐったくなるような声で呼んでくれるが、それは便宜上の言葉で、彼が「陽菜」と呼んでくれるわけでもないのだ。
「そうか」
アルズヴェールは、鼻の頭を掻きながら、さらに笑った。
現実の彼もよく笑うのだろう。
実際、「すくみこ! 」のアルズヴェールは微笑むことが多いが、ここまで満面の笑みを見せない。
「じゃあ、ヒカルの話を聞かせてくれる?」
「おう!」
わたしの問いかけに元気よく応えたが……。
「但し、ハルナにとっては面白くない話だと思う」
不意に声の調子が少し沈んだ。
「わたしにとって?」
「原作でも賛否両論って言っただろ? 作者がこれまでの路線を転向したかのように見えたからだ」
「路線変更したってこと?」
人気を伸ばすために必要なことだと思うけど。
「いや、作者の頭にはずっとあったらしい。その後で確認したら、さり気なく伏線もいっぱいあったんだ」
「じゃあ、既定路線ってやつだね」
ちゃんと伏線があったなら、そういうことなのだろう。
「だけど……、それまで、ゆっくりと育まれていた感情が、強制的に引き裂かれるような状況に、読者が付いてこれると思うか?」
「伏線に気付けば……、なんとか?」
わたしはごく普通にそう反応したが……。
「気付くかよ! その後の展開で、それが必要不可欠なことだったってことは分かるんだ。それで、主人公が考え方を変えていくからな。だけど……、オレは、あの展開は今でも許せない」
どうやら、彼にとっては、相当なことがあったらしい。
でも、主人公も……、「ラシアレス」……だっけ?
わたしもチラリと読んだけど、名前を憶えていないんだよね。
近年の少女漫画の主人公にしては、普通過ぎて憶えていられなかったような気がする。
可愛くなくはないのだけど、どこにでもいるような主人公だった。
「ああ、悪い」
熱くなったことに気付いた彼が口元を拳で押さえながらわたしから顔を逸らした。
「別に良いよ。好きな作品で熱くなるのは悪いことじゃないからね」
わたしはそう言って笑う。
好きなものに対して、熱くなるのは悪いことではない。
それだけ、好きになれるものに出会えるのは幸せなことでもある。
勿論、他者に迷惑をかけないことが前提条件ではあるのだけどね。
「続きを話してくれる?」
わたしはそう声をかけ、彼に続きを促した。
このことがきっかけで、いろいろなことが動き出すこともまだ知らずに。
ここまでお読みいただきありがとうございました。




