イベント発生
「は?」
わたしは、アルズヴェールの提案に思わず聞き返していた。
いや、だって……、部屋への招待ですよ?
「自分で、部屋に戻れないんだろ? しかも、書物庫は先客がいる。ハルナは行き場がなくないか?」
「いや……でも……」
アルズヴェールは見た目、すっごい美少女だが、中身は男性だ。
それも、躊躇なく、初対面の女性の唇を奪えるほどの性格。
アレ以来、手を出されたことはないが、外見が好みだと言われているのは事実だ。
いや……、わたしはアルズヴェールの中の人のことが好きになっているっぽいのだから、寧ろ、好都合?
でも、中身は「宮本陽菜」だけど、身体はラシアレスだ。
元々の持ち主を考えれば……、何かされるのは申し訳ない。
「どうした?」
「オオカミの巣穴に飛び込む勇気がなくて……」
わたしがそう返答すると……。
「待てこら」
「はい?」
何故か凄まれた。
「ハルナ……、お前、オレがいくらなんでも行き場所がなくて、困っている女に手を出すような男に見えるのか?」
「困っていると言っても……、たった数時間のことだよ?」
それに先客たちも飽きれば出てくるだろう。
イベントなら……、半日や一日潰れることも珍しくもないが、いずれにしても、お昼頃には、アイルもわたしを迎えにやってきてくれるはずだ。
時間を無駄にするのは痛いが、それまで辛抱すれば良いだけである。
「単純にオレが嫌なの」
「勝手だなあ……」
「良いから、来い」
強引に腕を引かれた。
柔らかくて温かい手がわたしを掴む。
掴まれている左腕が、酷く熱く感じた。
だけど、それが……、彼、本来の手ではないことが少しだけ残念に思えてしまう。
―――― 彼の本当の手はどんな感触なんだろう?
そんな思考を抱いてしまう程度には、枯れていると思っていたわたしの中にも、「乙女心」と呼ばれるものは存在していたらしい。
「どうした?」
苦笑したわたしの様子が気になったのか、アルズヴェールが問いかけてきた。
「いえいえ、お供しましょう、アルズヴェール」
これは下心ではなくて、本当に善意なのだろう。
だから、わたしはそう返事した。
彼が根っからの悪人ではないことぐらい、もう二年以上の付き合いで知っているのだ。
もし、これが男性特有の罠であったとしても、わたしの部屋にアイルがいるように、彼の部屋にも部屋付きの傍仕えはいる。
簡単に二人きりになることはないだろう。
それに……、悪さをしようと思えば、あまり人気がない書物庫に通ってわたしに会っている彼はいつだってできるのだ。
それなのに、軽い悪戯はあるけれど、本格的に手を出されたことはない。
いや、何を持って本格的と言うのかは分からないけれど、少なくともまともにキスをされたのは、初対面時だけであって、それ以上のことはこれまでにない。
……いや、この基準がどこかおかしいことも分かっているのだけど。
そもそも、わたしはこれまで異性にほとんど縁がなかった。
そのために、男女の距離感とかそういった感覚がよく分かっていない面はある。
だから、彼のこの行動が異性として適切な距離なのかは、正直、よく分からない。
わたし自身、不快には思わない。
寧ろ、嬉しいぐらいだ。
これは、わたしの方に、彼に対しての好意があるためだと思う。
では、彼の方はどうだろう?
中身はともかく、外見が好みの女性なのだから、「役得」ぐらいには思っていてくれているだろう。
だけど、世間一般的に見て、「彼女持ちの男性が彼女ではない他の異性の手を引いて自分の部屋に向かう」と言うのは、いかがなものだろうか?
行先も……だけど、身体的接触がある時点でアウトじゃない?
ん?
手を握るくらいなら友達でもする気がする。
まあ、深く考えても仕方ないか。
わたしは、そう結論付けた。
彼は元の世界に彼女さんがいると言うことは始めから聞いていたことだ。
だけど、わたしはその人に会ったこともない。
だからと言って、いない隙に……とは一切、考えていない。
彼に対して好意を抱いていることは間違いないが、それでも、じゃあ、知らない誰かから奪おうとは考えられなかった。
元の世界に戻れば、互いに住んでいる場所も、本当の姿しか知らない程度の関係である。
それならば、元の世界へ戻るまでは、知り合いもいなかったこの世界で、ちょっとした心の拠り所とするぐらいは、見たことも彼の彼女さんに許してもらいたかった。
****
「……おかしい」
「へ?」
不意に、アルズヴェールの発した言葉の意味が分からずに短く聞き返してしまう。
「部屋の場所が……分からない」
「へ?」
彼は一人で書物庫へ来て、一人で部屋に戻れる人間だ。
だから、わたしと違って、誰かに案内される必要はないぐらいなのに……。
そう思った時、握られたままの腕に気付く。
「と、とりあえず、腕……」
「あ? ああ、悪い……」
握っていたことも忘れていたのか、彼は慌てるように掴んでいた腕を放してくれた。
あっさり離されたことは少しだけ名残惜しくもあったが、今は、そんなよく分からない感情に振り回されている場合ではない。
「部屋が分からなくなった?」
「…………いや……、これは……?」
どこか呆然とする様子のアルズヴェール。
よく分からないけど、彼の表情から、何か戸惑っていることは分かる。
「ハルナ、確認するけど、現実のお前はここまで方向音痴だったか?」
「いや、全然」
わたしは即答する。
少なくとも、何度も通ったはずの道を忘れるほどの記憶障害は抱えていなかった。
ここまで酷いと、会社に通勤もままならないだろう。
「ゲーム内のラシアレスは?」
「極度の方向音痴設定」
またも即答すると、アルズヴェールは軽く舌打ちをした。
美少女はそんな仕草すら綺麗だと場違いな感想を抱く。
「つまり、お前にはゲーム補正が働いているってことだ」
「ゲーム補正?」
「ゲームのラシアレス設定に引っ張られているってことだな」
「そうだろうね」
そんな結論、わたしは二年も前に通過しましたが、何か?
「そうなると……、この世界は、ゲームの……? いや……、でも……」
アルズヴェールが考え込んでしまった。
「ゲーム補正が働いていると何かあるの?」
「ある」
今度は彼が即答する。
「お前の手を握っている間、オレの方向感覚も狂っていた」
「へ?」
「頭の中に靄がかかっているようで、どうも部屋の場所がはっきり思い出せなくなっていたんだよ」
そんな状態で、腕を引かれていたのか。
でも、その症状は常に、わたしの頭にもある。
正しくはこの世界に来てからのわたしの頭の中に。
どこかに一人で行こうとすれば、その靄が邪魔をするのだ。
だが、それ以外にそんな症状はなかったから、これはゲーム設定だと割り切ることにしたのだ。
だけど……、それが、わたしに触れた人まで影響を与えてしまうほどのものだとすれば、単純なゲーム設定だと割り切ることは出来ない気もする。
「で、離せば、元通りだ」
「……今は、分かる?」
「ああ、変な方向に来ているけどな」
それも凄い。
わたしは、この場所に見覚えすらないのに。
「もう一つ確認」
「ん?」
「ゲーム内のラシアレスは『迷子』に関するイベントはあったか?」
「あった」
ラシアレスはドジっ娘設定からのイベント発生が多かったが、プレイヤーとして操作している時、書物庫へ向かう途中で迷子になって、好感度が一番高い神様が助けてくれるというイベントが不定期に発生していたはずだ。
あまりにも多いから、スキップで飛ばしていたけど……。
いつもアイルに案内されていたため、そのイベントは一度も発生していなかったため、忘れていた。
でも、今回は書物庫へ向かうわけではないが、確かに状況が似ている気がする。
わたしが、彼にそう説明すると、再びアルズヴェールは考え込んで……。
「……なるほど……。じゃあ、この場に相方が現れる可能性があるな」
「へ?」
部屋以外で会うことはほとんどないズィード様が?
「その間、オレは少し隠れている」
「はい?」
前後の繋がりが分からず、わたしは聞き返す。
「邪魔をするなら、効果的な手段をとる」
「はい!?」
何の「邪魔」でしょうか!?
だが、わたしの言葉を気にせず、彼は姿を消してしまった。
いや、方向音痴を知らない場所で一人にしないで欲しい。
彼が言ったようにズィード様が現れなければ……、わたしは「迷宮入り」という言葉をある意味、正しく使用することになってしまうではないか。
だけど……。
『おや?』
聞き覚えのある声が背中から聞こえた。
その言葉に何故か寒気がする。
本来、出歩くはずのない神様が、自分の見知らぬところに現れる。
わたしが本物の「ラシアレス」なら、こんな心細い心境で現れた人に対して、地獄に仏……、いや、迷宮に神? と喜ぶことだろう。
好感度だって、鰻上りになってもおかしくはない。
でも、わたしは「宮本陽菜」だ。
だから……、この仕組まれたような偶然に、戦慄を覚えるしかなかったのだった。
ここまでお読みいただきありがとうございました。




