1、荷解き
前途揚々と燦然たる未来を、漫然と君が夢見ているとしたら。
君は広大無辺な大器の持ち主か底抜けの阿呆のどちらかだ。
君がどのような志を抱いているか私には知る由もないが、新たな天地を拓かんとする君にはこれまで添い歩いてきた自己をこの部屋の隅にでも蹴り捨てておくことをお勧めする。
月日はまさに百代の過客であり、凝り固まった自己は過ぎ往く時代を見るに相応しくないのだから。
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こんな書き出しから始まる、手記のようなものを押入れの奥から発見したのは、本当に偶然だったのだろう。
それは原稿用紙に書かれ、枚数にして数十枚程度。しっかりと紐で綴じてあり表紙や題はなく誰が何の為に書いたものなのかも分からない。しかもこのご時世に手書きである。
「何だろう、これ」
この春から大学へと通う、女子大生の肩書きを手に入れる身の上としては、この不可解な紙束が自分へと向けられたもののような気がしてしまうのも無理からぬ話である。
六畳一間を引越しの荷物で敷き詰め、まだそれぞれの陣取りも終わっていない状況で、とりあえずしばらく使わないような冬物は収納してしまおうと開いた押し入れに、存在感たっぷりに置き捨ててあったのがこの紙束だった。
引越しの荷解きは意外と面倒なもので、なぜ詰め込んだ荷物を再び解く必要があるのだろうかと益の無い自問自答をしてしまうのも、ひとえに私の性格からくるものなのだろうと自覚はしている。
引越しをするのだから、荷物をまとめるのは当然だと誰しもが思うだろう。私だってそう思う。それでも、現実として荷物の山は私の目の前にあり、それを解くのが面倒だと溜息を吐きたくなる気持ちがあるのも、厳然たる事実なのである。
髪の毛が邪魔だと、ざあっとかきあげて後ろにまとめる。これでも、大学入学を機に腰まで伸びていたものを肩の下辺りまで切ったのだ。これ以上短くすると、髪を括ることができず逆にむずがゆい思いをすることを私は知っている。
そんな、小さな小さな生きる知恵を、これまで着実に積み重ねてきた自己と共に私は生きてきたのだ。
それなのに、押入れから見つけた紙束はその自己を捨て置けと言う。
随分と横暴であるこの不可思議な紙束に対する考察は尽きない。終わらない荷解きからの現実逃避に紙束を眺める自由はあっても良いはずだ。自由とは、万人に与えられるべくして与えられるものであると世は言うではないか。
私は紙束を手に取り、埃っぽい空気を追い出すために窓を開けた。木製の窓枠はがたがたと賑やかに鳴り、開け放った先から春の風がさらりと吹き込んできた。
窓から外を眺めてみればハイツの庭が見え、共用スペースであるその場所には、おそらく建物の名前の由来になったであろうハナミズキの木が一つ植えられている。
ハイツ華瑞希。ここが自らの新たな生活の居城だ。六畳一間の安下宿ではあるが、それを考慮に入れても大学からの距離の近さが魅力的である。
春の風を身に受けながら、私は畳の上に腰を降ろす。ダンボールを背もたれ代わりにして、ぺらりぺらりと癖のある字で書かれた原稿を読み進めていった。
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手記の一枚目、先ほど見た序文の次には、ある男性が世間のしがらみを捨てて世界を旅することを決意した旨が記されていた。どうしてそのような境地に至ったのか、私にはまるで分からない。
さらに小一時間ほど読み進めてみても、この男性がどのような人柄であったのか、そして旅に出るに至った理由が何なのか、未だ見えないのだ。
エンターテイメント性が重視される昨今の小説事情の中で、一時間をかけても話の筋が見えてこないなどそうそうあることではない。まるで昭和の文学のような重厚な気配のする紙束である。
これはどうやら、このまま読み進めても益になりそうな気配がしない。本来の責務である引越しの荷解きを進めるべきかも知れぬと、私の理性が警鐘を鳴らすが、私は読み進める手を止めなかった。ここでこの手記を放り出してしまうことを、私は良しとしない。
私は、引越しの荷解きを放り出している。これは事実だ。事実は認めなければならない。
しかしながら、私は逃げているのである。荷解きという現実から逃げて紙束を読み始めたのだ。逃げた先からまた逃げる。これは私にとって最も忌避すべき行為である。
嘘に嘘を重ねて取り返しがつかなくなるように、逃げに逃げを重ねれば戻るべき道が分からず惑いの内に人生を歩んでしまうことだろう。人生は一度きり。逃げを打つのも、一度きり。そして逃げた後にはまた戻るのが肝要なのである。元の道に戻れば、また逃げることができるのだから。
だから私は読まねばならないのだ。
そして欠伸を噛み殺しながら読むうち、これはどうやら紙束を書いた人物の自伝のようなものであることが分かってきた。どこの生まれであるとか、学歴であるとかそういったものは今のところ書かれていないが、出会った人物と共に過ごした日々が綴られている。
「かずい荘……」
それが、男性が過ごしていた場所の名だった。木造二階建て、風呂なし、トイレ共用の三畳の下宿。随分と前時代的な物件である。
いや、実際にかなり前の時代の話なのだろう。いまどき、そんな条件の建物があるはずがない。
一階部分に大家が住み、二階部分を六部屋に分けたその下宿を舞台に描かれていたのは、どうしようもなく阿呆な暮らしぶりだった。押入れに生えたキノコで糊口をしのぎ、煙草をふかして下宿にいる面々と何事も起こらぬ日々をただ過ごすだけの無益な生活が描かれていたのだ。
これが、本当に実在した人物の自伝であるのか、それとも自伝の体裁をとって書かれた物語の一種なのか、私には分かりようもないし、また分かる必要も無い。
ようやく、面白くなってきたのだ。それを前にして、フィクションかノンフィクションかなど、些細な問題でしかない。
「……あれ」
だがして自伝は唐突に終わりを告げた。いや、終わりを告げたのではない。続きがないのだ。
かずい荘に、新たな住人である笹川という人物が越してきた所で途切れている。了の文字に括られているわけでもなさそうなので、紙が足りなかったか、そもそもここまでしか書かれていないのか、それを判ずることもできない。
ただ、私の胸中にある思いは一つだった。完結しない物語など、言葉の、文の不法投棄ではないか。打ち捨てられた文を読んだ私の身にもなってほしいものである。
何かに八つ当たりをする必要がある。それも、早急に。幸い、八つ当たるに値する段ボールは視界に山ほどある。荷解きを進めれば、円滑に私の思いの丈を固く握り締めた拳に込めて放つことができるだろう。
そうと決まれば、荷解きの続きである。
逃げた道から戻ってきた私はとても立派であろう。動機はどうでもいいのだ。結果として私は戻ってきたのだから。
その時、不意に扉を叩く音と開く音が同時に聞こえ、至って平凡な顔がぬうっと部屋に入り込んできた。扉を開きながらノックをしたところで、それはノックの持つ意味を軽んじる行為なのではないか。そう苦情を申し立てようとするよりも早く、侵入者は言った。
「やあ。綾見。手伝いにきた。とりあえず近所への挨拶は済ませてきたよ。亀の子束子はやはり挨拶の定番だね」
そう言って、私の友人である彼女は何事もなかったかのようにまだ開いていない段ボールの一つに腰掛けた。
ああ、私はこの新天地たるハイツ華瑞希で、 "タワシの人" なる新たな勇名奇名を賜ることになるらしい。
家主よりも先に勝手に挨拶周りにいく友人ではあるが、私の唯一といって差し支えない友人である。友は大切にせよと先人は言った。
故に、私は友である彼女を大切にせねばならない。
ぺちりと彼女の額を叩く。彼女は「くふふ」とイタズラが上手くいった少女のような笑みを浮かべている。
「挨拶に行ってくる。やはり、挨拶は部屋の主がするべきものだろう。それに買った洗剤セットが無駄になるのは嫌だ」
「ああ、無駄はいけない。無駄はいけないね」
「代わりに部屋の片付けを頼むよ」
「幸い、亀の子束子はまだ残っている。適任だよ」
タワシをひらひら振りながら見送る友人を背に、私は洗剤セットを両手に抱えて自らの部屋を後にした。
あわよくば、春に相応しい素敵な出会いの片鱗でも転がってはいないものだろうかと期待して。




