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第八話 集めるだけでは売れませんわ

 翌朝の倉は、前の日までとは少しだけ違う顔をしていた。


 扉を開けた瞬間に分かる。どこに何があるかが、昨日より先に目へ入ってくるのだ。燕麦の袋には村印と数量の刻み。干し根菜の籠には状態札。羊毛の束も、結び方こそまだ不揃いだが、少なくとも「どこの誰のものか」だけは見失わずに済む。


 整っている。


 完璧ではない。雑だし、木札も粗い。けれど、昨日までの“何となく積まれているだけ”よりは、よほど物として扱われていた。


「昨日より、だいぶいいです」


 エマが札を見上げて、素直に言った。


「いいどころか、倉に見えます」


「昨日は何に見えていたの」


「物置です」


 クラリスは小さく笑いそうになって、やめた。


 たしかに、昨日までのここは倉というより物置だった。置くためだけに置かれ、出すための順番を失ったものの墓場に近い。


 今日は違う。


 少なくとも、出すことを前提に積まれている。


 フィリップが帳面を開きながら言った。


「ルークの村の荷は、そろそろ着く頃です」


「今日は本当に先に見るわよ」


「そのつもりでいなければ、あの若造はまた真正面から噛みついてくるでしょうな」


「いいことだわ」


 クラリスは札を一枚、まっすぐに掛け直した。


「きちんと怒る相手は、約束を守ればきちんと見ている」


 フィリップはそれに、わずかに目を細めるだけで返した。


 ほどなくして、門前に荷車の音がした。


 今日は昨日のような押し合いへし合いにはならない。門前にはすでに仮口と本口の位置が決められていて、ヴァルターが立っている。それだけで、荷車の男たちは妙に素直になるのだった。


 前庭へ出ると、ルークが先頭の荷車から飛び降りた。


 昨日と同じぶっきらぼうな顔。けれど、昨日ほど剥き出しの敵意はない。代わりに、値踏みするような目がある。


「……来たわよ」


「見れば分かるわ」


 クラリスは答えた。


「仮口はあちら。湿りやすい分から先に見る」


 ルークが少しだけ眉を上げる。


「ちゃんと覚えてたんだな」


「約束を覚えるのは得意よ」


「忘れられたら困る」


「忘れていないから、そこへ置いて」


 ルークはそれ以上は何も言わず、荷車の後ろへ回った。言葉は少ないが、昨日のような“どうせまた後回しだろ”という投げやりさは薄れている。


 ベルナ村の薬草も、今日はこちらが先だった。


 女たちが抱えてきた束は、昨日より乾きが良い。たぶん村の方でも、持ってくる順を少し工夫したのだろう。こういう変化は、帳面ではなく顔に出る。


 エマが記録し、フィリップが品目と状態を確認し、クラリスが口を切る。ヴァルターが荷車の動線を捌く。


 流れはまだぎこちない。だが昨日のように、入口で人と荷が喧嘩することはなかった。


 その代わり、今日は別のものが見えた。


 荷を受けた先で、倉の中に“商品らしい山”ができ始めているのだ。


 羊毛は村印つきで束ね直され、干し根菜は状態ごとに分けられ、薬草も湿りを避けて仮棚へ置かれる。少なくとも昨日までのように、上物と下物が無言のうちに混ざり合っていく気配はない。


 エマが小さく息を呑んだ。


「……なんだか、すごいです」


「何が」


「売り物っぽいです」


 クラリスはその言い方に少しだけ満足し、同時に少しだけ引っかかった。


 売り物っぽい。


 たしかに見た目はそうだ。倉の中にあるものは、昨日までよりずっと“買われるもの”に見える。


 けれど、見えるだけで本当に売れるかは別の話だった。


「前よりは、な」


 ルークが横から言った。


 クラリスが見ると、彼は積み下ろしを終えた羊毛の束を腕組みして見ていた。


「少なくとも、どこの毛か分からなくなる気配は減った」


「前はずいぶん嫌だったのね」


「嫌だったよ」


 ルークはあっさり言った。


「うちの毛を、どっかの雑な束とまとめて“辺境の毛”にされるのは」


 その言い方に、クラリスは少しだけ頷いた。


 やはり、この男はいい。怒る理由が明確だ。村の誇りと、売り物への責任が、ちゃんと同じ方向を向いている。


 フィリップが帳面を閉じる。


「ここまでは上々ですな」


「ここまでは、ね」


 クラリスの返しに、フィリップは口元だけで笑った。


「その“ね”が嫌な予感しかしないのですが」


「予感じゃなくて事実よ」


 クラリスは倉の中を見渡す。


「集まり始めた。それはいい」


「ええ」


「でも、集まった先をまだ決めていない」


 フィリップはそこで、ようやく渋い顔をした。


「……左様ですな」


 エマが首を傾げる。


「でも、これだけ揃ったら、あとは売るだけじゃないんですか?」


 クラリスとフィリップが同時にそちらを見た。


 エマは一瞬たじろいだが、それでも言い続ける。


「だって、前は混ざってて分かりにくかったんですよね? 今はちゃんと見分けもつくし、順番もあるし……。これなら、もう商人の人も買いやすいんじゃ」


 フィリップが少しだけ肩を落とした。


「そう思いたいところですがな」


「違うの?」


「違うわけではない。足りないのです」


 クラリスは言った。


「何が」


「買う側が、安心して金を払う理由が」


 その問いの答え合わせをするように、ちょうど門前で別の馬車が止まった。


 ヴァルターが確認に向かい、すぐに戻る。


「買い付け商人が一人。フィリップ殿宛てです」


 フィリップが軽く頷いた。


「呼んでいた者です。見てもらうだけは見てもらおうかと思いまして」


「ずいぶん都合がいいわね」


「都合よく昨日のうちに捕まっただけです。日頃の行いでしょうな」


「あなたの?」


「いいえ。向こうの運です」


 やって来たのは四十がらみの男だった。旅塵を払った外套、よく使い込まれた革鞄、胡散臭さ一歩手前で踏みとどまっている笑顔。地方を回る買い付け商人らしい顔である。


「これはこれは、代官殿。ずいぶん早い呼び出しですな」


「早いのは悪いことではないでしょう」


「早いものほど面倒ごとも早い、というのが私の商売観でして」


 そう言いながら男は倉へ目をやり、クラリスへ視線を移した。


「で、こちらが噂のお方で?」


「クラリス・グランディエルよ」


「へえ」


 男は一礼した。


「地方回りの買い付けをしております。名乗るほどの者ではありませんが、いまはマルコとでもお呼びください」


 名乗るほどではないと言う者に限って、名を覚えさせようとする。商人らしい。


 クラリスは軽く頷くだけに留めた。


「見ていってちょうだい。昨日までよりは、ずいぶんましになっているはずよ」


「昨日を知っていれば、その比較もできるんですがね」


「知らなくても、今日の値くらいはつけられるのでしょう?」


 マルコは口元を上げた。


「ええ。つけられますとも」


 そこから先は、まさに“買う側の目”だった。


 羊毛の束をほどく。脂の残りを見る。毛の長さを指で挟む。干し根菜を二枚ほど折って乾き方を見る。薬草は香りを確かめ、色の抜け具合まで見た。


 時間をかけているようでいて、見るところはきっちり絞っている。


 エマはその様子を固唾を呑んで見守っていたが、やがて耐えきれずに小声で囁いた。


「どうでしょう」


「まだよ」


「まだですか」


「まだ」


 マルコはひと通り見終えると、手を払って振り向いた。


「前よりは、ましなんでしょうな」


 フィリップが眉をひそめる。


「知っておるのですか」


「噂は荷より軽いですからな。どこでも先に届く」


 そして肩をすくめる。


「で、値ですが」


 出てきた額は、安かった。


 安い、というより、きれいに整い始めた現状を“その努力は知りません”という顔で切って捨てる額だった。


 エマが目を丸くする。


「えっ」


 クラリスは口を挟まなかった。先にフィリップが問う。


「それは、ずいぶんと控えめなお値段で」


「控えめではありませんよ。妥当です」


 マルコはさらりと言った。


「たしかに、荷は前より見やすい。混ざりも減った。だが、まだ“揃った荷”というより“揃え始めた荷”でしょう」


 クラリスがようやく口を開く。


「違いを聞かせて」


「簡単です」


 マルコは羊毛の束を軽く持ち上げる。


「今月はこうして見やすく揃えた。では来月も同じ質で、同じ量で、同じように出せますか?」


 クラリスは黙った。


「干し根菜も同じです。今日この一回、たまたま分けたものなら、私には“次も買ってよい理由”にならない。薬草も、保管が安定したと断言するにはまだ早い」


 エマが悔しそうに言う。


「でも、ちゃんと良くなってるじゃないですか」


「ええ。良くはなっています」


 マルコは気軽に頷いた。


「ただ、私は慈善家ではないので。良くなり始めたことと、高く買っていいことは別です」


 フィリップが低く息を吐く。


 反論しづらい。商人の理屈として、正しいからだ。


 クラリスは静かに訊く。


「あなたが買うのは、荷そのものではないのね」


「半分は荷です。半分は安心です」


 マルコは笑う。


「来月も来る。再来月も大きくは崩れない。そういう見込みが値になるんです」


 それが、次の制約だった。


 集まった。

 分けた。

 置き場も少し作った。

 けれど、買う側が欲しいのは“今日の綺麗な山”ではない。

 明日も明後日も、同じように買ってよいと信じられる流れだ。


 ルークが横で低く呟く。


「……言い方はむかつくが、間違ってはねえな」


「ええ」


 クラリスは認めた。


「むかつくけれど、正しいわ」


 マルコが肩をすくめる。


「褒め言葉として受け取っておきます」


「そういうところが気に入らないのよ」


「地方商人は愛嬌が命でして」


「価格に愛嬌を乗せなさい」


「それはまた来月の話です」


 来月。


 その言葉が、今はやけに遠い。


 フィリップが口を開いた。


「つまり、今の段階では雑品扱い、ということですかな」


「そこまで酷くは言いません」


 マルコは答える。


「ただ、“辺境の荷”の札はまだ外れない。外すには、続けるしかないですな」


 商人が帰ったあと、倉の中には何とも言えない沈黙が残った。


 エマが最初に口を開いた。


「……こんなにちゃんとしたのに、まだ安いんですね」


「ええ」


 クラリスは羊毛の束に手を置いた。


「集めただけでは、売れないのよ」


「じゃあ、次は?」


「次は、買う側に“次も買っていい”と思わせること」


 フィリップが頷く。


「継続供給、というやつですな」


「ええ。毎回、帳面の上だけで奇跡を起こすわけにはいかない。来月もその次も、少なくとも大崩れしない形へ寄せる」


 ルークが鼻を鳴らす。


「面倒な話だな」


「面倒でない商売なんてないわ」


「嫌な言い方だ」


「お褒めにあずかりまして」


 ルークがそこで、ほんの少しだけ口の端を上げた。


 今度は、笑ったと言ってよかった。


 その小さな変化に気づいたのは、たぶんクラリスだけではなかっただろう。


 エマが帳面を抱え直しながら言う。


「でも、売れないって分かったの、ちょっと悔しいですけど、悪いことばっかりじゃないですよね」


「どうして」


「だって、“どこまでやれば売れるか”が分かったんですもん」


 クラリスは一瞬だけ黙った。


 それから、少しだけ目を細める。


「……今日も追いついたわね」


「お嬢様にしては褒めすぎです」


「そう?」


「はい。なのでその調子で、もう少し褒めて育ててください」


「調子に乗らない」


 クラリスは微笑みながら、改めて倉の中を見回した。


 昨日までの混ざった荷ではない。

 今日一日で、たしかに“売り物に見えるもの”はでき始めた。

 だが、見えるだけでは足りない。


 買う側にとっては、まだ一度きりの綺麗事にすぎない。


「集めるだけでは売れませんわ」


 エマが顔を上げる。ルークも、フィリップも聞いている。


「買う側が欲しいのは、荷そのものだけではない。明日も、来月も、大きく崩れないという安心よ」


 フィリップが低く頷いた。


「つまり次は、続ける仕組みを見せることですな」


「ええ」


 クラリスは札の一枚をまっすぐに直した。


「揃えるだけでは足りない。続くと証明しなければならない」


 倉の外では、午後の風が前庭を抜けていく。仮置きに回された車庫の戸がきしみ、遠くで荷車の音がした。


 グレイ領はようやく、作るだけでは貧しいままだという当たり前に辿り着いた。

 そしてクラリス・グランディエルは、その当たり前の先にある“売れる理由”を、これから作ろうとしていた。

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