表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
12/13

第十二話 揃えただけでは足りませんわ

 数日後、代官館の倉には、ようやく“見せられる山”ができていた。


 白縄の本束。

 黒縄の別束。

 青縄の湿り毛。


 それぞれが、まだ粗い棚と仮置きの間にきちんと分かれている。完璧とは言いがたい。縄の結び目は不揃いだし、棚板は軋むし、屋根の布は風が強い日に少し鳴る。


 それでも、前とは違った。


 どこの村の、どういう扱いを経た毛か。

 少なくとも、それだけは見て分かる。


 エマが帳面を抱えたまま、倉の入口で誇らしげに胸を張った。


「迷子の毛、今日は一本もありません」


「一本も、は大げさでしょう」


 クラリスが言うと、エマはすぐに唇を尖らせる。


「気持ちの話です」


「気持ちで帳面はつけられないわよ」


「でも気持ちが良いんです!」


 その横で、フィリップがわずかに笑った。


「前よりよほど結構なことですな」


 ルークは相変わらず壁にもたれたまま腕を組んでいたが、今日は露骨な不機嫌さが薄い。薄いだけで、消えてはいない。そこが彼らしい。


「で」


 と、ルークが言う。


「今日は来るんだろ、あの商人」


「来るわ」


 クラリスは即答した。


「来るように伝えてあるもの」


「前より高く見なかったら?」


「その時は、どこがまだ足りないか吐かせるだけよ」


「お嬢様、言い方」


「事実でしょう」


 そこへ、前庭から車輪の軋む音がした。


 ヴァルターがすぐに倉の外へ出る。戻ってくる足取りに無駄はない。


「マルコ殿です」


「結構」


 クラリスは頷いた。


 数拍後、地方回りの買い付け商人マルコが、いつもの胡散臭さ一歩手前の笑顔で現れた。


「これはこれは。前回より、ずいぶんと呼ばれる顔になってきましたな」


「前回より、呼ぶ価値があると思っただけよ」


「それはまた、光栄なことで」


 言いながら、マルコの目はもう倉の中へ向いている。


 その目つきで、クラリスは少し安心した。


 この男は、口は軽いが目は軽くない。

 だからこそ、前回の安値も納得できた。


 マルコは倉の中へ入るなり、歩幅を落とした。


 白縄の本束の前で止まる。

 手を伸ばし、毛の長さを確かめる。

 次に黒縄の別束を見る。

 青縄の束へも目をやる。

 そして、棚の並びと札の位置を見た。


 前回より、長い。


 前回は「見て終わり」だった。

 今日は、見ながら考えている。


 エマが小声で囁く。


「前よりちゃんと見てません?」


「見ているわね」


「いい方ですか?」


「まだ分からないわ」


 やがてマルコは本束を一つ持ち上げ、軽く揺すった。


「……なるほど」


「何が」


 クラリスが問う。


 マルコはすぐには答えなかった。代わりに、ベルナ村の束を見、次にルークの村の束を見比べる。


「前回より、話ができる荷にはなっています」


 その言い方に、ルークの眉がぴくりと動いた。


「前回より、ね」


「ええ。前回より、です」


 マルコはさらりと言った。


「前は“どうにか分け始めた荷”でした。今は“揃えようとしている荷”です。違いは大きい」


 エマの顔がぱっと明るくなる。


「じゃあ!」


「ただし」


 その一言で、また空気が少し締まる。


「それと、“任せてよい荷”とは別です」


 クラリスは頷いた。


 そこは予想していた。


「値は」


「前回より上げます」


 フィリップが腕を組んだまま、静かに息を吐く。

 ルークは壁から背を離した。

 エマはもう、口元を押さえている。


 マルコが出した額は、前回より明確に高かった。


 飛び上がるほどではない。

 だが、誤差でもない。


 改善が、数字になって返ってきた と言ってよかった。


「増えてます!」


 エマが思わず声を上げた。


「ちゃんと、前より増えてます!」


「ええ」


 フィリップも、今度ははっきりと言った。


「増えておりますな」


 ルークは何も言わなかった。


 ただ、本束の方を見たまま、小さく鼻から息を抜く。

 それが彼なりの動揺なのだろうと、クラリスには分かった。


 だがクラリス自身は、そこで浮かれなかった。


「どこがまだ足りないの」


 即座にそう聞くと、マルコが少しだけ目を細めた。


「値が上がったのに、まずそこを聞きますか」


「褒めるだけなら要らないわ」


 クラリスは言う。


「次に上げる場所を言って」


 マルコはそこで初めて、商人らしく笑った。


「なるほど。そういうところが怖いお嬢様だ」


「評価はあとで結構よ」


「では実務の話を」


 彼は白縄の本束を指した。


「まず、混ぜてはいけない毛が減った。これは効いています。前より“雑品の山”ではなくなった」


 次に黒縄の束を見る。


「別束がきちんと別束として見えているのもいい。買う側としては、何が落とされたか分かる方が安心です」


 ルークがそこで低く言う。


「前は、そこも一緒だったからな」


「ええ。前は“一緒にされていた”」


 マルコはあっさり認めた。


「だから前より上げる理由はあります。ありますが、まだ足りない」


「継続性ね」


 クラリスが言うと、マルコは頷いた。


「そうです。来月も同じように分けられるか。雨が続いても、この仕上がりを維持できるか。村ごとの差を、どこまで抑えられるか。そこがまだ見えません」


 フィリップが渋い顔をする。


「やはり、そこへ来ますか」


「商人ですので」


 マルコは肩をすくめた。


「私は感動では買いません。安心で買います」


 その言い方に、エマが少しだけ頬を膨らませた。


「でも、ちゃんと良くなったのは認めるんですね」


「認めますとも」


 マルコはすぐに言った。


「認めるから値を上げたんです。認めないなら前回のままです」


 それは正しい。


 嫌味は混じっているが、理屈はまっとうだ。


 クラリスは小さく頷いた。


「結構。では次は、任せてよい荷へ近づけるだけね」


「そういうことです」


 マルコはそこで、ルークの村印がついた束へ目をやった。


「少なくとも、この束は前回よりずっと話がしやすい」


 ルークが、その一言にだけ反応した。


「……それ、うちか」


「ええ。前回よりは」


「前回より、かよ」


「前回より、です」


 マルコはにやりとした。


「ですが、“辺境の毛”でまとめて雑に積まれるよりは、よほどましでしょう?」


 ルークはしばらく黙っていたが、やがてぼそりと言った。


「……まあな」


 その短い返事だけで、クラリスには十分だった。


 マルコが去ったあと、倉の中には少し変な静けさが残った。


 勝った、というにはまだ早い。

 だが、負けたままではない。

 そんな静けさだ。


 最初に口を開いたのは、やはりエマだった。


「これ、桶になりますよね」


 クラリスが見ると、エマは本気の顔をしていた。


「桶?」


「はい。あと布。あと縄。あと仮置きの棚板も」


 言いながら、指を折る。


「だって前より増えた分、次の改善に回せるんですよね」


 クラリスはそこで、ほんの少しだけ口元を緩めた。


「ええ」


「やった!」


「やりましたな」


 フィリップも低く続ける。


「小さいですが、確かに前へ進んだ」


 クラリスは本束の山を見た。


 白縄で分けられた毛。

 前より少しだけ高く買われた理由。

 そして、その差額。


 たしかに大金ではない。

 だがこの土地では、小さい勝ちほど大きい。


「これが次の桶になる」


 クラリスは静かに言った。


「次の屋根になる。次の縄になる。そうやって、ようやく次の改善へつながるのよ」


 ルークが壁にもたれたまま、ぼそりと漏らす。


「……じゃあ次も分ける意味はある、か」


 クラリスはそちらを見た。


「そういうこと」


「面倒だけどな」


「面倒でない改善なんて、たいてい嘘よ」


 ルークは小さく笑った。


「ほんと、嫌なことを平気で言うな」


「そのように理解していただけて光栄ね」


「まだ褒めてねえ」


 でも、その言い方はもう最初ほど刺々しくない。


 エマが帳面を抱え直しながら、嬉しそうに言う。


「お嬢様、今の、かなりよかったです」


「何が」


「“これが次の桶になる”ってところです」


「事実でしょう」


「でも、ちゃんと暮らしに変わる感じがしました」


 クラリスは少しだけ黙った。


 それから、紅茶の湯気を見た。

 ヴァルターが、きっちり少しだけ冷まして置いている。


「……今日は話が早いわね」


 エマが目を丸くする。


「それ、褒めました?」


「あら、気づいたの」


「やっぱり褒めました!」


「あら、生意気なこと」


 フィリップが咳払いで笑いを隠し、ルークは露骨に呆れた顔をした。


 けれど誰も、前みたいに重い顔はしていなかった。


 クラリスは改めて、白縄の山を見る。


 揃えた。

 分けた。

 動くように削った。

 その結果、前より高く売れた。


 それで終わりではない。

 だが、終わりでないからこそ価値がある。


「揃えただけでは足りませんわ」


 誰にともなく、クラリスは言った。


「けれど、揃えたから次へ進めるのよ」


 倉の外では、午後の風が仮置きの布を鳴らしていた。

 グレイ領では今日、積み上げてきた地味な改善が、初めて“金になる仕事”として姿を見せたのだった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ