ミスター・ミハイロフの事情
セレーナ争奪戦のひとり、遠い国の貴族令息は、セレーナのビジネスパートナーです。名乗りを上げたというよりは……。
二年前――。
「ここで画商を開業したいのですが」
透き通るような金色の髪と青い瞳をした青年が、ある屋敷を尋ねてきた。
ハンソン子爵家は芸術家を多数サポートしているパトロン一家で、数々の事業も首都で展開している、領地を持たない名ばかり貴族だ。
元々資本家だったのだが、没落貴族と縁続きになり、半ば乗っ取るようにして貴族家を名乗るようになった。パトロンをしていた子爵は最近亡くなり、現在は息子と未亡人がその役割を担っている。
「母からの紹介状があるということでお会いしましたが、なにしろいきなりなお話で……」
ハンソン子爵家の当主――当主といってもまだ若く、二十歳半ばくらい――が、とまどいながら返事をした。
「奥様からの紹介状と私自身の経歴、資本金、事業内容などを記した書類を持参しましたので、ご検討くだされば。すでに懇意にしております貴族家もございますから、すぐにでも利益を出すことができるかと思います」
そう言って青年は一束の書類を差し出した。
「では母と相談して検討したのち返事をしましょう。それまでしばらくお待ちいただけますか」
「よろしくお願いいたします」
青年は極めて礼儀正しく若き当主に返事をした。
「まあ、ミスター・ミハイロフ。もう来ちゃったの?」
「あぁ奥様、お屋敷にいらしていたのですか。事業は早めにと思いまして、さっそく参りました」
「よろしくてよ。では内容について詳しく話し合いましょう。ファビアン、この方の書類を精査して早めに事業登録の手続きをしてもらえるかしら」
「母上、このように大切な話は前もって知らせていただかないと」
「次から気を付けるから」
「もう、お願いしますよ」
ハンソン子爵家当主ファビアンは、やや諦め気味な表情で苦言した。
父に請われて結婚したはずの美しき未亡人は、父が亡くなる前もあとも勝手気ままで自由奔放、誰の助言も聞こうとしない。
父もそれで苦労していた。
(自分は母に似なくてよかった……結婚するなら、ある程度事業を任せられる優秀な女性にしよう。愛だの恋だのは仕事の邪魔にしかならないから)と、若き当主はつくづく思うのであった。
母上と呼ばれる華やかで魅惑的なレディー――カリーナ・ハンソン――は、来訪者である青年の左腕に両手を回し、今にもキスしそうな勢いで見上げた。
「お仕事は順調なんですの?」
「順調でございます。では、いつもの場所へ行きましょうか、麗しのレディー」
二人はハンソン子爵家の馬車に乗り、屋敷から消えた。
(やれやれ……子爵家が出資する事業がまた増えるんだな。母にも困ったものだ)
若き当主は、いくつもの事業を一括管理できる優秀な家令を雇うしかない、と思うのであった。
※ ※ ※
ノルデン国から国二つ離れたセーヴェラ国伯爵家の三男である僕――イリヤ・ミハイロフは、長子でもスペアでもないので、実家を出て自由に世渡りをするつもりだ。実家にいたら領地管理の手伝いをさせられそうだからね。
「冗談じゃないよ、あんな寒い領地。土地は広くても作物の収穫量が少ないからすぐ飢饉に陥るし。それに三男の僕なんて政治家か官吏か神職に就くしかないじゃないか。ましてや軍人なんて真っ平御免だね。僕は自由に生きるんだ」
家出同然でノルデン国にたどり着いたとき思いついたのが、貴族相手に商売できる画商。アートギャラリーのオーナー。手っ取り早くお小遣い稼ぎができるのならいいかと思って。
伯爵家の子息だが、表向きは上流階級の平民に見せている。
仕事は従業員に任せればいい。
僕は貴族相手の『営業』へ行こう。
そんな風に軽く考えていた。
だから、実家から『結婚相手を用意した、すぐ帰れ』という迷惑な手紙が来たときは、『ジャマスンナ』という電報で返した。
そのあと『あなたの婚約者よ!』という、媚薬系の香水を振りかけた女がタウンハウスに押しかけて来たときは、本気でどうしようかと思った。
その後彼女がどうなったかは知らない。
ここでとんでもないレディーに出会ってしまった。『ギフトブック』の作者に。
ノルデン国では珍しい漆黒の髪に濃紺の瞳。儚げな雰囲気を醸しながらも堂々とした立ち居振る舞い。
「まだ十六歳の少女が、こんな小説と挿絵を描くとはね。なかなか興味深い子だ」
☞イリヤ・ミハイロフがセレーナに出会ったのはセレーナが十六歳のときです。十歳以上年の離れたビジネスパートナーです。恋愛に発展するかは?
☞成り上がり貴族のカリーナ・ハンソンと息子はモブです。息子のファビアンは実益しか考えていない商売人です。政略結婚大歓迎、商売の邪魔をする愛などというものは不要なので、優秀な女性なら上流階級の平民でもウエルカムです。




