第6話 それぞれの想い
第6話では、登場人物たちの想いを描くために、複数の場面が切り替わります。読み進める際に、場面の移り変わりにご留意ください。
春の陽が差し込む庭園で、お茶会が開かれていた。色とりどりの花々が咲き誇り、庭全体を華やかに彩っている。テーブルには季節の焼き菓子と果実のコンポート、銀のポットからは香り高い紅茶が注がれる。
ミレイユは、南辺境伯の娘として、穏やかな笑みを浮かべながら招いた客たちをもてなしていた。
うすい水色のドレスに身を包んだリリアは、庭の奥から姿を現し、礼儀正しくカーテシーをする。
「本日はお招きいただき、ありがとうございます。ミレイユ様の庭園は、訪れるたびに心が洗われるようですわ」
ミレイユは微笑みながら応える。
「こちらこそ、来てくださって嬉しいわ。……リリア様こそ祭りの踊り、まるで光を纏っているみたいで素敵でしたわ」
リリアは顔を赤らめ、少し照れたように笑った。
「恐縮です。港の皆さまに喜んでいただけるよう、毎年少しずつ工夫しているんですの」
ミレイユはその笑顔を見つめながら、胸の奥にふと小さな波が立つのを感じていた。
「そういえば、祭りの会場でミレイユさまをお見かけしましたの」
ひとりの令嬢が、紅茶を口にしながらふと口を開いた。
「私も! 広場で踊っていらして、とても楽しそうでしたわ」
「お相手の方、とても背の高い騎士様でしたけれど……もしかして婚約者様ですか?」
ミレイユは一瞬だけ手を止めた。
カップの中の紅茶が、静かに揺れる。
「……騎士団の者よ。初めてだったから、少し案内しただけ」
ミレイユは胸の奥がふとざわつきながらも、微笑みを崩さなかった。
「なんだ、そうでしたのね」
「でも、あの方素敵だったわよねぇ。背が高くて、端正なお顔立ちで」
「お話してみたいわ。リリア様も、そう思われません?」
その言葉に、視線がリリアへと集まる。
リリアは少しだけ目を伏せ、あの日のことを思い出していた。港の喧騒の中、男につかまっていた自分を、巡回中のレイニードが助け、馬車で送ってくれた時のことを――
馬車が走り出し、リリアはレイニードのほうへ顔を向けた。
「騎士様って、ミレイユ様の護衛の方ですよね?」
「どうしてそれを?」
「ミレイユ様とご一緒にいるところを、以前、孤児院の前でお見かけしたんです。私の家は運搬業を営んでおりまして、その日は港に届いた物資を病院や協会へ届ける手配をしておりましたの。ちょうど孤児院の隣が病院で、現場の確認に同行していたんです」
「そうでしたか。ご立派ですね。領民のために尽力されている方を見ると、頭が下がる思いです」
リリアは驚いたように目を見開き、そして控えめに微笑んだ。
「そんな……お恥ずかしいですわ。ただ、できることをしているだけですもの」
言葉は控えめでも、その頬にはほんのりと赤みが差していた。
「エルゼン嬢のご実家は、運搬業をされているんですよね」
レイニードは少し言葉を選ぶように続けた。
「孤児院に届けたい物があるのですが、自分では頻繁に通えなくて……。もし、何か方法があれば教えていただけますか?」
リリアは一瞬考え、微笑んだ。
「港に出張所がございますので、そちらでお預かりできますわ。ご希望でしたら、ご案内いたします」
「それは助かります。……ご迷惑をおかけしてしまい、申し訳ありません」
「いえ、それくらいはお安い御用ですわ」
リリアは柔らかく微笑んだ。
レイニードは口元をわずかに緩めた。
「ありがとうございます」
港町の中心に立つ大時計は、潮風に吹かれながら静かに時を刻んでいた。その下で、レイニードは大きな箱を持って待っていた。淡い灰色のシャツに、黒のすっきりとしたズボンという簡素な装いだ。剣は持たず、今日は非番。姿勢は変わらず凛としているが、どこか柔らかな空気をまとっていた。
そこへ、リリアが現れた。
淡い花柄のワンピースに、白いショールを肩にかけている。港の風に髪が揺れ、落ち着いた雰囲気を纏っていた。
「お待たせしました。出張所、すぐ近くですのでご案内しますね」
リリアは笑顔で言い、レイニードは一度頷き、
「よろしくお願いします」と言葉を添えた。
出張所に着くと、リリアは手際よく荷物の預け方を説明し始めた。
「匿名での配達も可能です。品名と行き先だけ記入していただければ結構です」
手続きが終わると、レイニードが改まった口調で言った。
「本日は、ありがとうございました。……ささやかですが、お礼をさせていただけませんか。何か、奢らせてください」
リリアは少し驚いたように目を見開き、すぐに笑みを浮かべた。
「では、最近できたカフェがあるんです。港を見渡せるテラス席があって、評判なんですよ」
「ご案内いただけますか」
「もちろんですわ」
カフェのテラス席には、潮風が心地よく吹き抜けていた。港を見渡せるその場所で、ふたりは向かい合って紅茶を口にしていた。
リリアは、カップを置いて問いかけた。
「そういえば、領主館から直接お届けすることもできますのに。なぜ、わざわざ匿名で?」
「……個人名を出すのは、ちょっと。できれば、私の名は伏せておきたいのです」
リリアは驚いたように目を見開いた。
「ミレイユ様にも……ですか?」
「はい。彼女にも、伝えるつもりはありません」
レイニードは静かに答えた。
しばらくして、レイニードがふと思い出したように口を開いた。
「先日の祭りでの踊り、拝見しました。とても美しく、印象に残りました」
リリアは目を見開き、頬に赤みを差した。
「ご覧になっていたのですね……」
声には驚きと照れが混ざり、自然と微笑みがこぼれた。
「皆が見に来るのも納得です、あの踊りはすばらしかった」
リリアはカップを両手で包みながら、そっと目を伏せる。心の中で、誰にも聞かれない声がそっとつぶやかれた。(……うれしい)
「お祭りの踊りは、毎年少しずつ変えているんです。衣装も、振りも。港の風に合うように」
「風に合わせて踊りを変えるというのは、素敵な工夫ですね。港町ならではの感性だと感じます」
リリアは少し首を傾けて、彼に問いかけた。
「レイニード様のご出身のところでは、どんなお祭りがあるんですの?」
「一度だけ行ったことがありますが……あまり、よく覚えていません」
窓の外に目を向けながら、静かにそう言った。
レイニードの「よく覚えてない」という言葉に、リリアはそれ以上踏み込んではいけないと察した。
彼の横顔には、静かな影が差していた。
リリアは話題を変える。
「そういえば、ミレイユ様のお誕生日って、ご存じですか?」
レイニードは少し驚いたように眉を動かした。
「知りません。いつでしょうか?」
「二か月後の一日ですよ。春の終わり頃ですわ」
カップを手にしながら、彼女は続ける。
「ミレイユ様って、普段はあまりおしゃれをなさらない方なのですが、誕生パーティのときだけは別なんですの。とても素敵に着飾られて……それはもう、お姫様のようですわ」
リリアがそう言ったとき、レイニードはふっと笑った。
「……彼女がお姫様とは、少々意外ですね。いつも率直なお言葉ばかりで、そうした姿はなかなか想像がつきません」
そう言いながらも、口元にはやさしい笑みが浮かんでいた。どこか、親しみと敬意そして何かもっと深いものがにじんでいた。
リリアはその笑顔を見て、そっと心の中でつぶやいた。
(ああ、そうなのね。やっぱり……)
彼の笑顔がやさしいほど、胸の奥が静かに痛んだ。
その感情を胸の奥に沈めて、リリアは目の前の現実へと意識を戻した。お茶会の席で、令嬢の一人が問いかける。
「リリア様は、どう思われます?」
リリアはカップを手にしながら、穏やかに微笑んだ。
「実は、レイニード様とは何度かお話させていただいたことがありますの。とても誠実な方ですよね、ミレイユ様」
その言葉は、飾り気がなく、まっすぐだった。
「ええ、そうね」
ミレイユは笑みを保ったまま、胸の奥が静かに波打つのを感じていた。
(誠実……そうね。だからこそ、気になるのよ)
お茶会のあったその夜も、レイニードは自室で木工作業に没頭していた。
静かな刃の音だけが部屋に響いている。
ときどき贈り物を渡したときの、嬉しそうな顔を想像しながら。
(楽しく作業をする時が来るなんてな)
そんなことを考えていた時、廊下からあわただしい足音が近づいてくるのが聞こえた。扉がノックされ、伝令が息を切らして告げる。
「レイニード殿、至急執務室へ。領主より指示がございます」
工具を置いて立ち上がったレイニードは、空気の変化を感じながら部屋を後にした。
執務室に入ると、空気が張り詰めていた。バルトの前には報告書を手にした副官が立っており、低い声で告げる。
「村はずれの地域で、山賊による襲撃があったようです」
「けが人は?」バルトが問うと、副官は首を振った。
「幸い、レイニード殿の情報によりパトロールを強化していたため、人的被害はありませんでした。ただ、物資の損失は大きく、民の生活にも影響が出る恐れがあります」
レイニードは港で会ったカシウスから得た情報をもとに、警備強化の必要性を進言していたのだった。
バルトはすぐに命令を下した。
「早急に山賊討伐隊を編成しろ。二日後に出発だ」
そして、隣に立つレイニードに目を向ける。
「君の報せがなければ、被害はもっと深刻だっただろう。よく知らせてくれた。討伐隊には君も加わってくれるか?君の判断力と行動の速さは、現場でも必要になる」
レイニードは右拳を左胸にあて、言った。
「承知しました」
廊下に出ると、待機していた兵士たちがざわめき始めた。伝令が走り、武具庫が開かれ、地図が広げられる。書記官は日程表をめくりながら騎士団の動員可能な人員を確認し、鍛冶場では剣の刃を研ぐ音が急に高くなった。
出発の朝、港の空はまだ薄曇りだった。領主館の前庭には、同じ革鎧に身を包んだ兵たちが静かに整列していた。
討伐隊、総勢およそ50名――。
山賊を打ち取るべく、急遽編成された精鋭部隊だった。
バルトは、石段の上から全員を見渡し、声を張り上げた。
「この地を守るのは、我らの責務だ。
誇りを胸に、堂々と進め。
だが、無茶はするな――
命を捨てる戦ではない。
必ず戻れ。我らはここで、皆の帰りを待っている」
その言葉に、兵たちは拳を胸に当てて応えた。空気は張り詰めていたが、誰もが前を向いていた。
バルトの隣に立つミレイユは、整列する隊員たちの顔をひとりひとり見つめながら、静かに言葉を紡いだ。
「皆さまの帰還を信じて待っております。ご武運を」
背筋を伸ばし、視線をまっすぐに向けて――その姿は、凛としていた。
レイニードが彼女の前に立つと、目を細めて言った。
「そんな顔するな。俺たちは、ちゃんと帰ってくる」
その言葉は短く、けれど確かだった。
そして、彼はミレイユの頭にそっと手を伸ばし、軽くポンポンと叩いた。
ミレイユは驚いたように目を見開いたが、レイニードは笑みを浮かべていた。その笑顔は、ほんの少しだけ、揺れる心を落ち着かせてくれた。
「……気をつけて」
レイニードは頷き、隊列へと戻っていった。
馬にまたがり、剣を腰に、背筋を伸ばして前を見据える。号令がかかり、討伐隊が動き出す。
蹄の音が地を鳴らし、旗が風に揺れる。
ミレイユはその背を見送りながら、胸の奥でそっと祈った。
(どうか、無事に帰ってきて)




