第7話 山賊討伐
※戦いのシーンがあります。怪我をする場面が出てきますので、苦手な方はご遠慮ください。
討伐隊が出発してから一週間が過ぎた。
ミレイユの日々は、以前と変わらぬはずだった。書類に目を通し、孤児院や病院にも顔を出す。けれど、心はどこか落ち着かなかった。ペンを握る手が、ふと止まる。(レイニード……どうしているかしら)
「戦いが始まった」という報告は、まだ届かない。それが安堵なのか、逆に不安なのか、ミレイユ自身にもわからなかった。ただ、願うことしかできなかった。
(どうか、無事でいて)
討伐隊が村に到着したのは、出発から3日目の夕刻だった。すでに村民は避難済みで、広場は静まり返っていた。焼け焦げた倉庫、壊された門、散乱する木箱――山賊の爪痕が、そこかしこに残っていた。
隊長のガルヴァ・ロッシュは、40代半ばの壮年の騎士。かつて辺境の防衛戦で名を上げた人物で、鋼のような意志と実戦経験を持つ指揮官だ。灰色の髪を後ろで束ね、鋭い眼差しで街の地形を見渡していた。
「ここを拠点にする。防衛線を張り、物資の管理を徹底しろ。レイニード、副隊長として斥候の編成と初動の警戒配置を任せる」
「了解しました」
レイニードは即座に応え、兵士たちに指示を飛ばした。
焼けた倉庫の跡地に指令所を設け、地図班と連携して周辺の地形を洗い出す。南の峡谷、東の林道、北の断崖――山賊の潜伏に適した場所を優先的に調査対象とした。
「斥候班は3組に分けて、夜明け前に出発。接触は避け、動きだけを探れ。報告は午前中に戻すように」
兵たちは無言で頷き、馬に装備を積み始めた。
鍛冶班は武具の点検を進め、医療班は避難民の残した物資を整理していた。
「油断するなよ。卑劣極まりない奴らだ。何をしてくるかはわからんぞ」
レイニードは頷き、遠くの山影に目を向けた。夜の風が、拠点の旗を静かに揺らしていた。
拠点を築いてから5日が過ぎた。斥候は何度も周辺を巡ったが、山賊の姿は見えなかった。峡谷も林道も、痕跡はあるものの、決定的な手がかりにはならない。
ガルヴァは地図を睨みながら、低く唸った。
「動きがないのが、逆に不気味だ。奴ら、こちらの出方を見ているな」
何か手掛かりがないかと、倉庫を探っていたレイニードは、埃をかぶった一枚の地図を見つけた。紙は黄ばみ、端はほつれている。広げると、現在の街道とは異なる線がいくつも走っていた。今は使われていない古い交易路――かつて物資の流れを支えていた道が、複雑に絡み合うように描かれている。
(山賊が物資を狙っているなら、補給路を断つのが目的のはず。だとすれば……)
彼の視線が地図の端に留まる。街道から外れた一本の細い道に、指先が静かに触れた。
「……ここか」
レイニードは地図を手にガルヴァのもとへ向かった。
「隊長、倉庫で古い交易路の地図を見つけました。報告書にあった物資の消失地点と、この古い交易路の位置が一致しています。今は使われていませんが、山賊が物資を運ぶには、目立たず動ける最適な道です。この道沿いを重点的に調査すれば、拠点か通過地点が見つかる可能性があります」
ガルヴァは地図を見下ろし、目を細めた。
「……よし、斥候班を再編しろ。今夜、交易路沿いに潜ませる」
レイニードは頷き、すぐに動き出した。
兵たちは再び馬に乗り、夜の静けさの中へと消えていった。風が拠点の旗を揺らす。その風の向こうに、ようやく敵の気配が見え始めていた。
夜が更け、斥候班は古い交易路に沿って静かに進んでいた。月明かりに照らされた道は、かつて物資を運ぶために使われていた名残を残していたが、今は草に覆われ、獣道のように細くなっていた。
3組に分かれた斥候のうち、南側を担当していた班が、夜明け前に戻ってきた。
「副隊長、痕跡を発見しました。荷車の轍が、旧交易路の奥へと続いています。しかも、最近のものです。土がまだ乾いていません」
レイニードは報告を受け、すぐに地図を広げた。
「この先は、峡谷の入り口だ。地形的に隠れやすい。……拠点がある可能性が高い」
その夜、斥候が峡谷付近で物資の痕跡と人影を確認した。
ガルヴァも報告を受け、すぐに決断を下した。
「よし、明日の夜明け前に奇襲をかける。騎兵は迂回して背後を押さえろ。歩兵は三方から包囲。レイニード、お前は前線の指揮を頼む」
「承知しました」
討伐隊は一気に動き出した。武具の点検、馬の準備、地形の確認――拠点は一夜にして戦の陣へと変わった。
レイニードは倉庫の屋上に立ち、遠くの山影を見つめていた。
(ようやく、動き出す)
夜明け前、討伐隊は静かに動き出した。古い交易路の奥、峡谷の入り口に潜む山賊の拠点を包囲するため、三方からの奇襲が展開された。
レイニードは前線の指揮を任され、歩兵部隊を率いて峡谷の正面へと進んだ。霧が立ち込める中、レイニードは剣を抜き、息をひそめる。
ガルヴァの号令とともに、奇襲が始まった。
山賊たちは不意を突かれ、慌てて応戦するも、討伐隊の包囲は完璧だった。レイニードは先頭に立ち、剣を振るいながら仲間を導いた。狭い峡谷の中、岩陰からの矢をかわし、敵の頭目を追い詰める。
そのとき――
若い兵が前方に集中しているのを見て、レイニードの目が鋭く動いた。死角の岩陰から、一本の矢が放たれる。その軌道が、若い兵の背を正確に狙っていることに、レイニードは瞬時に気づいた。
「危ない!」
レイニードは咄嗟に腕を伸ばし、若い兵を横へと押しのけた。矢が空を裂き、レイニードの肩に突き刺さった。焼けつくような激痛が走り、視界が一瞬揺らぐ。血が滲み、腕が痺れる。だが、彼は剣を落とさなかった。
若い兵は何が起きたのかも分からず、ただ振り返る。
「下がれ。俺が前に出る」
痛みを押し殺し、彼は最後の突撃を指揮した。
山賊の頭目は捕らえられ、残党は降伏。
戦は、夜明けとともに終わった。
その後、肩の矢は慎重に抜かれ、傷口は急ぎ縫合された。矢は深く刺さっておらず、命に別状はないと診療兵は告げた。
「よくやった。お前の機転がなければ、こうは運ばなかった」
ガルヴァの言葉に、レイニードは静かに笑った。
「……俺ひとりの力じゃありません。皆が、それぞれの持ち場で全力を尽くしてくれた結果です」
その声は低く、けれど確かな響きを持っていた。
ガルヴァはしばらく黙っていたが、やがて静かに頷いた。
「……そうだな。いい隊だった」
レイニードは窓の外に目を向けた。朝の光が、焼けた街の屋根をやさしく照らしていた。光の中に、仲間たちの姿が浮かぶようだった。そして、遠く離れた場所で待っている誰かの顔も――。
領主館の庭には春の花々が咲き始め、柔らかな風花の香りを運んでいたが、執務室の空気は張り詰めていた。騎士団の伝令が深く頭を下げ、報告を始める。
「山賊討伐、無事完了いたしました。拠点は制圧され、頭目も拘束済み。民への被害は最小限に抑えられております」
辺境伯は静かに頷き、低く問いかけた。
「よくやった。隊の状況は?」
「けが人は複数名出ておりますが、重傷者は出ておらず、隊員全員、命に別状はございません。副隊長が、戦闘の終盤に部下を庇い、左肩を負傷されましたが、現在は処置を受けており、回復に向かっております」
その言葉に、ミレイユの胸がきゅっと締めつけられた。
(レイニードが怪我を……でも、生きている)
安堵と緊張が一気に押し寄せ、彼女はその場に立っているのがやっとだった。母がそっと腕を添える。ミレイユは目を伏せ、静かに息を整える。
バルトは娘の様子に目を向けたが、何も言わなかった。ただ、報告書を受け取りながら、静かに伝令に礼を述べた。
数日後、討伐隊が帰還した。
騎乗したレイニードが、左腕に包帯を巻いた姿でゆっくりと戻ってきた。その姿を見た瞬間、ミレイユは胸の奥で何かがほどけるのを感じた。
彼はただの護衛ではない――そう、彼はもう、自分にとって大切な人だった。
「おかえりなさい、レイニード」
声少し震えていた。
レイニードはやわらかく頷いた。
「ただいま戻りました」
「怪我は、だいじょうぶなの?」
その言葉には、隠しきれない心配がにじんでいた。
レイニードは笑みを浮かべ、静かに答えた。
「かすり傷ですよ、問題ありません」
「それよりも、隊のみんなが無事だったことの方が、何よりです」
ミレイユはその言葉に、胸が静かに熱くなるのを感じた。
彼の誠実さと、仲間への思いが、確かにそこにあった。
「……ありがとう。無事に帰ってきてくれて」
彼女はそう言って、微笑んだ。
その笑顔には、言葉にできない安堵と、深まる想いが込められていた。




