その7
「総司令官閣下、大変です」
ノックもせずに、オーマの執務室に飛び込んできたのは、副官のヘンデリックだった。
それを意外そうな表情で、書類を片手に固まっているオーマがいた。
「ヘンデリック、無礼であるぞ」
参謀長ヤーデンが年長者らしく、副官を諫めた。
「まあ、よい。
ヘンデリックがこんなに慌てているのだ。
大事が起きたのだろう」
オーマは、努めて冷静に、書類をゆっくりと机に置いた。
そして、一旦座り直した。
嫌な予感はしていた。
何せ、別のお使いをさせていたヘンデリックが、血相を変えて飛び込んできたからだった。
更に言えば、礼節を重んじるヘンデリックがそれをすっ飛ばしている事からも明らかだった。
「申し訳ございません、閣下。
火急の知らせが入りましたので」
ヘンデリックは、息を整えながらそう言った。
「何だというのだ?」
ヤーデンは、ヘンデリックが何やら勿体ぶっているようで歯痒かったので、少しきつめに言った。
対して、オーマは嫌な予感を覚えると共に、それが間違いであってくれと言う思いになっていた。
「閣下、まずはこれをお読み下さい」
ヘンデリックは、口頭で説明しても良かったが、自分も焦っていたので、文面で伝えた方がいいと思った。
そして、そう言うと、オーマの下に駆け寄り、報告書を渡した。
オーマは、嫌な予感を抱きつつ、報告書を受け取り、すぐに読んだ。
(!!!)
報告書を読んだ時には、一瞬、頭が真っ白になった。
だが、よくよく考えてみると、嫌な予感以上の事ではなかったので、すぐに思考が戻った。
真っ白になった時から思考が戻るまで、僅か数秒だったので、ヤーデンは気付かなかった。
オーマは、ヤーデンに報告書を渡した。
反応に乏しいと感じたヤーデンは、怪訝そうな表情で報告書を読んだ。
「閣下、これは!」
ヤーデンの方は、報告書を全部読み終わる前に、声を上げていた。
そして、声を上げながらも、最後まで読んだ。
「閣下、早急に艦隊を派遣なさった方がいいでしょう」
ヤーデンは、報告書でサラサの危機を知り、オーマにすぐに行動を促した。
「そうだな!」
オーマは、ヤーデンが自分の考えと同じ事を確認すると、立ち上がった。
そして、横に置いてある剣を引っ掴むと、駆け足で部屋を出て行った。
ヤーデンは、ヤーデンでそれに遅れまいとして付いていった。
横を颯爽と通り過ぎられたヘンデリックは、びっくりして固まっていた。
確かに、一番初め《・・・・》に焦ったのは、自分である。
身内も同行しているので、その焦りも加わる。
とは言え、報告書を読んだ時には焦りはしたが、そこにも書いてあるとおり、サラサは無事であり、今の所、安全も確保されている。
その安全も、薄氷を踏むような状況ではなく、法王という大きな後ろ楯を得ての物だった。
そして、何より安心したのが、重傷を負った物の、愚弟が身を挺してサラサを守り抜いた事だった。
この事が、ある意味、ヘンデリックを地に足を付けた状態に引き戻してくれた。
あ、まあ、決定的なのは、2人が焦りまくっているのを見て、一気に冷静になったと言うべきだろう。
周りが焦りすぎると、何故か冷静になってしまうと言うあの法則である。
いや、まあ、そんな法則はないか……。
それはともかくとして、ヘンデリックは、今は、焦って、2人の後を追わないといけなかった。
なので、妙な冷静さを持ったまま、ヘンデリックは、慌ててオーマとヤーデンの後を追った。
(とは言え、普通、この場合は、年長者が……)
何て、思っている場合じゃなかった。
サラサ救出に向かおうとしている2人に対して、ヘンデリックは冷静にその問題点を見抜いていたのだった。
2人は、ヘンデリックが想定していた以上に、先に行っていた。
ヘンデリックは、全力疾走で2人を追い掛けた。
「閣下!」
ヘンデリックは、角を曲がった所で、2人を見付けたので、声を掛けた。
しかしながら、2人は駆け足を止めなかった。
ここは、若い力を発揮する場面だった。
鍛えているとは言え、1人は初老に差し掛かっていた。
全力疾走とスタミナで負ける訳にはいかなかった。
そして、ヘンデリックの思いが通じたのか、2人の前に回る事に成功した。
「閣下、お待ちください」
ヘンデリックは、2人の前に出ると、両手を大きく広げて立ちはだかった。
「何をしている!」
オーマは、邪魔をされたので、珍しく怒っていた。
いや、この場合、「何をしている」と言われるのはオーマ達の方だろう。
当然、そう思ったヘンデリックだった。
とは言え、今は言い合いをしている場合ではない。
でも、まあ、ある意味、オーマも只の娘大好きな父親だという事は微笑ましいとも感じていた。
おっと、そんな場合じゃないよね。
「閣下、焦る気持ちは分かりますが、手順を踏んだ準備が必要です」
ヘンデリックの方も、珍しく熱くなっていた。
「自分の娘を救いに行くのに、手順が必要とは思えん」
オーマは、ヘンデリックに負けじと熱くなっていた。
サラサが心配という事だけではなかった。
今回の派遣を食い止められなかったという負い目があるのだろう。
また、父親として、愛娘を死地に追いやったやるせない気持ちもある。
「そなたの弟も危機を迎えているのだぞ」
ヤーデンは、オーマに加勢するかのように言った。
やれやれ、参謀長は司令官が突っ走るのを抑える役だろう……。
ヘンデリックは、呆れたがここでもそれを口に出す事は控えていた。
ヤーデンもヤーデンで、サラサを自分の孫以上の存在としてみていた。
そして、ルディラン侯爵家の未来を担う人物である。
「現状を冷静に分析なさってください」
ヘンデリックは、2人の熱に負けないように、毅然として言った。
副官の鑑である。
何故、彼を副官に抜擢したのかが分かる光景だった。
とは言え、2人の意見を変えるにはもっと決定的なものが必要であるという認識を、ヘンデリックは持っていた。