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夜の欠片/鉄の破片  作者: 関本始
9/10

反対がわ

【夜野とEmu】


 

 東回りに丘のめぐる。陽が影る。大陸狼の遠吠えが泡になって夕暮れにまじる。夜を呼んでいる。深い森に分け入り獣道を登る。どこも行き止まり、鉄くずと骨で埋まっている。


「何もねぇな。装置の影も胞子端末も見当たらねぇ」

焚火をたてる。薄い風にたなびく煙を見上げながらEmuがため息をつく。夜野は目を細めて膝の間に額をのせる。

「あいつらを還らせてよかったのか」

ストライク・バックとLLB01のことだ。実験の街へ還った。裏切り、逃げ出した街へ。

「・・・説得はわたしにはできない。わたしは、生き物によくない」

「だからよ、卑怯だぜ、そういう言いかたはよ」

夜野はくよくよと首をふる。揺れた髪の隙間で瞳が冷たく艶めく。夜野がつぶやく。

「聞きたいことが」

「なんだ」

Emuは野鳥の串を差し出す。夜野の瞼が震える。少し昔の思い出が照りかえる。炎が揺らめき時を焦がしている。

「Emuはどこにいたの?わたしが動かす前、どうして暮らしてた?」

回路がしびれる。プログラムが一瞬停止する。過去。壊れたメモリ、アドレス。

「今更か?昔話の教訓なんざ知ってもどうもないぜ」

Emuは画面を暗くする。夜野は小鳥の骨をかみ砕く。口元が油で光る。

「わたしは・・・自分のことを話すのが・・・。難しい、過去が入り組んで・・・」

牧が爆ぜ、虫が枯葉を這う音がする。

「なんだ」

Emuが沈黙を押しのける。

「今は話さないといけない。昔のこと、わたしの。あなたがいなくなるのが怖いから」


【YNO3】


 二口にわかれた杉の根本に雨水がたまっている。赤肌の隙間にダニがいる。水玉を背負って苦しんでいる。YNO3は意識をその手につかむ。ぬるぬるとしている。目にした最初の光景。曇り日が空を覆っている。銀の煙のように。


 生き様を恥じるようなしとしとと灰色の雨が落ちている。肌が凍り冷えていく。ハイアードが行軍を続けている。小川にかかる丸太橋を数人が一列に進んでいる。轟音が森をゆさぶる。先を行く一団が吹き飛ぶ。土が散る。管理者たちの操作に合わせて行軍するもの。散りざまをあざ笑うもの。

 監視ドローンが彼女たちを撮影し、制御信号が撒かれている。ヤツフサの管理者たちに与えられる滅びの娯楽。薬物の頒布と厳格な教育、そして共生菌の心理操作。その果てに、すでに文化として形成されたヤツフサ人の意識。

-ハイアードは人ではない。原罪を背負ったもの。悪魔と同じ-

彼らの姿に苛立ちを覚えるのはあたりまえのこと。夜野は目をこする。泥が染みる。二世代革命装置の群れに突撃する制御された悪が集結した体。その姿が雨にかすむ。


 背中からの爆風に吹き飛ばされ夜野は土にうずくまる。氷と泥の味。液状の痛みが背中を切り裂く。問いかけが胸の奥に生まれる。ここにいる。どうして。

 ちりじりの言葉が胸にあふれている。これまでのことが・・・支離滅裂な、言語化されず整理されなかった感情が渦をつくる。思い出が心臓を壊そうとする。枯れ枝が爆風で落ちる。偽物の過去が脳裏をかすめる。北方の裕福な家の、幸せな子供の過去。偽物だ。


 夜になって行軍は続く。あちこちで爆風が起こる。膝に力がはいらない。自分の涙に何もかもがまぎれていく。筋肉が雲のようにふやけてしまう。地面が迫る。崩れ落ちる時を待っている。雪と泥と血が迫る。そのとき、誰かが襟を強くつかむ。

「倒れてはいけない。ここはあなたが眠るところではないわ」

首をひねると薄緑の目のハイアードが立っている。真っ白な肌。見覚えのある瞳の色。誰の?

「この色?そう・・・みんな灰色の瞳だもんね」

微笑みに目を奪われる。痛みと爆発音が遠くなっていく。識別コードが雑音を通り抜けて補助脳にとどく。0101。彼女の製造番号だ。

「新年はじめ。ヤツフサは正月っていうの。音だけもらって、祥子って呼んで。かっこいいでしょ?・・・あなたは・・・」

彼女は息をすって、空を見る。夜闇を北風が流れる。雲が晴れる。

「夜野、ね」

とショウコがつぶやく。星が白くこぼれるおちる。


【祥子】


 音、声。忘れていた発話。自然言語が心を組み立てる。ついてきて、と祥子が夜野を促す。呆然としたまま、夜野は彼女に従う。人の声。管理者の司令ではない。補助脳に通じた電気信号ではない。

感情の反芻。補助脳が拒絶していた言葉があふれ出す。思い出が再構築される。消えなかった感情がはっきりとした手触りと温度を持つ。生き物だ。生きていた。好きだった仲間達のこと、どこまで続く青い空に憧れ、痣と痛みも。頬を涙が伝う。

「チャンスがくる、あなたがいれば。今はまだ、耐えて」

祥子が夜野の手にふれる。恐れと混乱の中で、夜野は彼女の手を振り払らいそのままたたらを踏んで尻もちをつく。そのとき、地雷の衝撃で大地が揺れ、針葉樹の幹が折れる。ハイアードの一団に向かってゆれ落ちてくる。夜野の手足はしびれ動かない。その心もまた。迫るその幹をぼんやりと見上げる。

ここで。

ここまで。

みんなが終わりなったのと、同じ。

わたしの消滅は、無様なその姿が人々の笑いごとになる。

「いいえ。ここではない。しっかりなさい、ハイアード!」

音。震え。誰かが、誰かを支えようと願いをこめた声が聞こえる。

「人よりすぐれたもの。そう信じた者たちの願いがあなた達よ」

ほんの一瞬、胸の奥に力が生まれる。そうだ。誰かがそう言ってくれた。ほんの小さな子供のとき。なけなしの力を振り絞り、夜野は泥の上をころがる。


【夜野】


「倒れたらいけない。祥子さんはそういってた」

夜野は焚火を頬に受けながら、星の光をその瞼の裏に隠す。思い出を、自分の声を確かめる。

「だからわたしは、祥子さんについていった。人数が減って、吹雪になって。みんな動けなくなって、最後に私たちは休んだ」

円座になって肩を寄せ合うハイアード達。意思を奪われた、感情だけが胸に降り積もっていた。その一団の中で、祥子、と自分だけが意思をもっていた。誰の肌も焦げていた。土と煙と血の匂いが肩を重くする。みぞれが吹雪いていた。

「わたしは、何も」

出来ないことばかりだった。散らばっていたのは痛み。積み上げた心理の泥が胸に傷をつけていた。


 喉が震える。夜野は目を細める。凍ったまつ毛が割れた。粉になった。自分は誰の助けにもならかった。顔を伏せると、息のわずかな温度で凍った涙が溶ける。壊れた補助脳に管理者たちの通信が混線する。笑い声が続く。昼間の映像の繰り返し。編集と再放送。ヤツフサの管理者たちが涙を流して笑っている姿が彼らの個人カメラを通じて視界に混じった。しゃくる上げた自分の背中に触れるものがあった。体温だ。

「チャンスがくる。そう言った」

肩にもう一つの手が乗る。やわらかい人の熱が体の芯に通じる。

「一人じゃできないことなんだ。あなたがいる」

体重と体温が全身を包む。空腹の隙間を凍える吹雪のような孤独が共鳴し、二人の間を往復する。

「わからない」

「ついてきて、できることがある」

祥子は夜野の手を取る。


【Preempt】


 野営から離れ、針葉樹林を抜けるとほどなくして、電球をつるした天幕にたどり着く。その下で、誰かが倒れている。夜野はよろよろとその姿のもとに歩み寄る。人、と見えたのは別の何かだった。三世代の革命装置。うつ伏せの姿勢で、首をねじって横を向いている。電気の匂い。しかし、人のように肩が上下している。息遣いを感じる。真っ平な顔に涙のような錆びが浮かんでいる。祥子がしゃがその肩をゆさぶる。

「誰だ、そいつは」

甲高い電子音がみぞれ嵐を割る。くぐもっている。

「大声だすものじゃない。やっと、仲間ができたのよ。・・・たくさん犠牲になった。助けられなくて。チャンスが来た」

祥子の指先がかすかに震える。

「貴様のせいではない。お前と俺だけでは、できなかったのだ」

体を起こした装置が胡坐をかいて腕をくむ。2メートルを超える巨躯が風を防ぐ。黒鉄の体に分厚いコートを羽織っている。

「できなかった?言い訳になるの?」

「泣き言をいうな、これは、お前が決めたことだ。苦しみなど決心の前では意味を持たない」

「知ってるよ、冷たいんだ。わかってる」

「いいや、お前は・・・」

「いいって」

祥子はさえぎって、

「夜野だよ」

と、夜野の肩を引き寄せる。自然、汚れた3人の体が近づく。

「Preemptという。誇りある実行コードの名称だ」

夜野はぎこちなくうなずく。

「仲間か。待ち焦がれた。やれるのか」

誰かと戦うのか。慣れたこと。けれど、また。力を振るったのはなぜ?

「大丈夫。生き物には心がある。わかるんだ、この子にも」

祥子はカーキの軍用コートから紙を引っ張り出して広げる。

「みんな凍えてしまう。だから逃げるの。みんなで」

紙には、模式化しハイアードの集団が書かれている。その周りを三つの点が囲んでいる。

「ハイアードは好きにはうごけない。決められた範囲内にしか移動できない。二種類のドローンに囲われているから。この三点に二体セットで配置されているの。通信体と自爆体。通信体が管理者とつながっている。命令だとか管理者への通信割り振りだとか。その日のハイアードの死に様のダイジェスト放送をつくっているのもこいつよ」

祥子は腕を組む。焚火の音を背景にして、彼女の眉間の皺がまじる。

「めんどうなのは自爆体。通信体が異常を検出すると、部隊に特攻して全部を吹き飛ばす」

祥子の瞳に怒りと虚ろがまじった色が反射する。

「大好きな破滅。大爆発。悪の死にざま」

「俺が自爆体をハッキングする。お前らが同時に、通信体を壊すんだ。いいか、遅れるな。同時だ。通信体が異常を検出したら今度はハイアードの補助脳が焼ける。脳神経が焦げて死ぬ」

Preemptの顔がぴかぴかとひかる。真っ平なガラス面と傷。

「わたしだけじゃ、通信体は三つは同時には落とせない。射線に乗るのは一発で二台まで。間に合わない」

祥子は顎で天幕の奥のほう差す。狙撃中がひとつ。

「夜野がもう一つを落とすの」

「・・・どうして」

夜野は声をしぼりだす。暴言におびえた子供のように縮んだ喉で。その先が、声にならない。どうして助けてくれる。わたしを。みんなを。祥子がほほ笑む。月光をまとった夜のように静かに。

「人と違わないんだ、ハイアードだって。助けたい。苦しんでるなら、手を差し伸べる。そうするのがわたしだってわたしは信じるから」

祥子が応える。夜野は上目でPriennptをちらりと覗く。彼の金属の装甲に炎の反射がゆらめいている。

「俺の演算は暴走している。もうじき死ぬ。プログラムが記憶領域を食いつぶしてる。わかるか?問い続ければ死に至る疑問だ」

Priemptが夜野のほうに顔を向ける。

「俺はなぜ生きてる?なんのために生まれた?故障してなお、なぜ動く」

息遣いが焚火に注がれている。

「解はない。誰もが好きに決めることだ。だが、俺のプログラムはちがう。演算が俺を圧迫する。永遠に負荷を使う。けどな、問いかけたから俺は俺になった。そして死ぬ。せめてな、祥子と出会ったからには願いごとかなえてやろうと決めた。人が作ったもの定めじゃねえか、人の訳に立つんだ。それが俺が在る意味じゃねえか?」

応えた彼は腰をあげる。

「いくぞ。ハッキングが届く範囲に入ったら、自爆体は俺に向かって突っ込ませる。確実に仕留めてやるからな。その先はまかせる」


 谷底をPreemptが駆けていく。黒鉄と肉のハイブリットの脚が地面を跳ねる。彼の演算の内側を問いかけが走る。

「俺の生産は、無駄だったのか?こうして問いかける俺は。もうじき燃え尽きるこの問いに意味は?」

CPUの演算負荷が98%を突破する。もうすぐ、すべての演算が破綻する。基礎思考も身体制御ドライバも。いいんだ。俺は考え、問うことを選んだ。だから俺になった。


ーお別れだー


 丘の上から見守る祥子と夜野の補助脳に最後の通信が届く。回線が途切れる。ほどなくして、谷底から地響きと火柱が上がる。

「残りを始末する」

祥子が夜野に狙撃銃を渡す。夜野はうなずく。これまでは壊すために撃った。今は。

うつ伏せに夜野は狙撃銃を構える。膝立ちの祥子もまた狙撃中の狙いを定める。

引き金を引く。吹雪と夜にまっすぐな傷が走り、三台の通信体のかけらがみぞれに混じる。


【Emuと夜野の幕間】


「それから、わたしはわたしになった。管理者からの声はなくなった」

夜野が口元と視線を隠してつぶやく。

「さよならも言えないで。reemptにもみんなにも。わたしは祥子さんと一緒に行った」

「他の野郎はどうした」

Emuが尋ねる。わからない、と夜野は応える。木の根を灰色に枯らすような寒気がする。

「意識が返ってきたのは私だけ。みんなに悲しことが多すぎて、動かなかった。食料と燃料をあるだけ置いて。ヤツフサの次の部隊がくるから・・・」

木の枝で、焚火の淵をこする。火の粉が地面に沈む。夜が後ろから双肩に触れている。

「みんなを置いて、祥子さんと行った。大変なことがいっぱいで。わたしは故障してたから・・・」

そのまま黙り込む夜野。何度か口をひらこうとする。そのたびに瞳の奥の暗がりがゆらぐ。

「誰だろうがよ、どこか壊れてんだ。てめぇだけじゃねぇさ」

夜野がゆっくりと顔を上げる。長い沈黙の続きを縫うようにゆっくりとうなずく。

「祥子さんと一緒にいた、ずっと」

膝の間に夜野は顔を隠す。影が形を変える。


【夜野と祥子】


 最初のころどんな会話をしたか覚えていない。冬の森を抜けて乾燥地帯の散村を訪ねる毎日を過ごした。忌避され、警戒され、さげすまれる時間が心理の底に染みをつくる。髪と肌を灰色に汚しながら、自由な空と祥子の背中を追う。岩がちな山道を進んで峠を越えたところで、夜野の意識の霧が晴れる。

 それは、祥子が金属の水筒の口をひねったとき。革命装置の金属のタンクを改造したものだ。老いて錆びた口金に雲間の太陽が反射する。その光が切るように、祥子の頬を照らす。黄金色の髪に太陽の銀のすべてが反射する。目がくらむその瞬間。

 夜野はPreemptと仲間たちのことを思い出す。もういない。わたしたちを助けて。消えた命が鳩尾に重くのしかかる。記憶。多くの思い出。言葉にならずに、ただ情景にしかならなかったものが網膜に影となって、夜野の体内をすぎていく。耐え難い痛みが胸を刺す。

その記憶の洪水に耐えうずくまる。土に立った霜が溶ける。最後に子供のときの自分の姿が映る。鏡に映る自分、食器棚のガラスにうっすら浮かんだ姿が見える。金髪の真っ白な肌、薄緑の瞳。埋め込まれた記憶。けれど、わたしの確かな過去でもある。今の自分とは似ても似つかない姿。灰色の髪と瞳が本当の自分だ。

「どうかした?」

祥子が肩を抱く。体温と逆光が夜野を気遣っている。くよくよとかぶりをふる。

「わからない」

祥子が背中をゆっくりと擦る。鐘の音のように胸の奥に低く深く感情が響いている。その表面を祥子の掌が撫でる。


 その日の夜、村落のはずれに野営を張る。革命装置の外装を骨組みに天幕を張るとその日の寝床が出来上がる。村の方から聞こえる、低い雷鳴や酒宴の声を遠くに聴きながら陰りゆく雲も見上げる。

「ハイアードは、みんな同じ記憶をもっている。体の制御のために必要な小脳の神経回路。命令に従う大脳回路、反射反応をつかさどる神経節がある」

雨が降りはじめる。天幕を支える骨から錆びた水滴が赤く落ちる。

「記憶はあなたを支配するために与えられた。けれど・・・あなたはそれを思い出した」

「わからない。わたしじゃない、わたしがいた」

夜野が応えると、祥子はうなずく。

「その思い出があなたを自由にする。たとえ偽物でも心にある限り、あなたはそこで生きた」

祥子は夜野に肩を寄せる。

「わからない」

息が重力に引かれて冷たくなる。祥子はゆっくりと目を閉じる。目頭に皺がよる。

「そうして、好きに生きることを知るの」

祥子の眉間に皺がよっている。祥子は深く息を吸う。

「わたしは力を貸したいんだ。助けを求める人すべてに手を差し伸べる」

声は震えている。長い吐息が彼女を支えている。夜野の頬の泥を祥子が拭う。祥子の白い頬に細く涙が流れている。どうして、と、夜野の唇だけが動く。そうする。自分も。弱々しい決意に鼓動がみだれる。次第に胸が熱くなる。

「革命装置の中には目的を見失って、見境なしに生き物を襲うものいる。環境を壊して、平然と生産を続けている。虐げられてる人がいる」

夜野はうなずく。心に火が灯る。かすかな熱の価値を理解する。


【夜野】


「わたしは銃を使わなくなった。下手になって、器用じゃなかったから。でも、人より頑丈だってわかったらこう・・・素手のほうが得意で。二年くらい」

「俺たちとやりあったのか。三世代から四世代になる途中だな。お前らにずいぶんやられたみたいだぜ」

Emuが応える。ストライク・バックと交換した進化系統情報だ。その二年で進化が加速している。苛烈な選択の一つの要因が祥子と夜野か。特異な戦場をこの二人が生み、コアがそれに反応した。

「工場を狙ったな。巡礼に戻った装置達は廃墟のガラクタになったわけだ。それで、四世代は少数精鋭の偽装体に進化したわけか」

「わからない」

夜野は過去の鼓動を反芻する。焚き火の煙の匂いを思い出す。祥子と向き合ってポツポツと話をした思い出が蘇る。焚き火の陰影のように脳裏をよぎる。

「人もみんな大変だった。嘉陽の人も、ヤツフサの入植民も。民族の関係なくて仲間同士の争いも多くて。シカードたちの行動もそのころに始まった」

夜野のうつろな瞳が過去をみている。Emuではない、彼女の心を支えた人の影だ。

「祥子ってのは、どうしてる?」

知れたことだ。この大陸で何年も意思をもって生きられはしない。解っている。

「もういない。祥子さんは・・・嘘をついて・・・。ハイアードのために。だから」

夜野の声がつまる。薪がパチとはぜる。巡回している胞子端末が上昇気流にまかれて緑光の細い渦をつくる。思い出すのは最後の旅のこと。ひとりきりになった時のこと。


【祥子】


 山道はさける。大河にそって進む。焦燥感が尖った石になって靴底に刺さる。村から村へ。街から街へ。山野にはヘルーがいるのだから、と祥子はいう。ハイアードの心理操作因子はこの肉食獣の遺伝子と共生菌をもとに造られた。ヤツフサの原産だが、戦争の中で嘉陽にも荷物と一緒に紛れ込んだ。げっ歯類の一種、肉食獣だ。遠巻きに獲物の群れにつきまとう。風上から匂いを送り、時には木陰から姿を現し、いつの間にか行き先に糞を残している。やがて、群れに変化が現れる。身を寄せ合っていたはずの群れが距離をとるようなる。一匹、また一匹と異常行動を見せるようになる。体毛をむしり、同じ場所をぐるぐると歩き回る。下痢や反吐を吐くようになる。極度の自己不審に陥った彼らの群れはばらばらなっていく。共生菌が心理を操作するのだ。徘徊するもの達は、やがて自死を選択する。ヘルーはその死骸をむさぼる。


 この特性はヤツフサの民を長く苦しめた。今では、それが有利に働ている。島国のヤツフサ人はこヘルーに悪魔的な嫌悪を持つと同時に、自殺願望に打ち勝つ耐性を得た。強い嫌悪を共有し、ヘルーを狩ることに蠱惑的な快楽を覚えるように変わった。ハイアードはこの反応を人にもたらす。

 ヤツフサ人は自動戦争のハイアードの死に愉悦を覚える。不浄な罪人の自主刑の結果。罪悪感の無い戦争は娯楽だ。仲間の死なない清潔な戦争を楽しんでいる。

ヤツフサ人はハイアードを操作する。自動的な戦いが続く中で正義を執行する。登録管理者が進む先を指示し突撃していく。この革命の大地で。


【夜野】


「足が痛い」

夜野は肩をすくめる。河原の砂利が足の裏を押す。祥子を上目つかいに確かめる。瞳の動かして意思を作って見せる。口元に表情をつくるやり方はわからない。

「上流に向かってる。街には困っている人がいるんだ。この先の工場の質がよくない。舟で渡って、向こう側」

祥子が対岸を指さす。煙が細くたなびいている。六角形の煙突が並んでいる。長短合わせて五つ。涙のように重そうな煙が先端から這い出し不定形に落ちている。山風が細く吹き降ろす。かすかに匂いがする。夜野はその匂いに顔を背ける。疲労と咳と痰。発熱した病人の匂いだ。


 渡し守は二人を歓迎しない。祥子の影で目を閉じて時間が過ぎるのを待つ。普段通りのこと。やせた男がすごむ。太った男が祥子に手を上げ、祥子は身を引く。ふん、と男は引き下がる。

「別段、泳いでもなんとなるんだ、ハイアードは頑丈よ」

大した川ではない。夜野はうなずく。向けた背中に、ごつん、と小石があたる。振り向くと小男が口元の血痰をぬぐいながら言う。

「そこの襤褸船を使え」

桟橋の先端のやせた人差し指で差す。


「案外にいい人。泳いだら寒いでしょ?」

「わからない」

夜野は自分の肩を抱く。故障した補助脳でも感覚遮断は効いている。寒さに震えることはない。死ぬその時まで動く。先の割れたオールをこぐと、水しぶきが飛ぶ。水はドロリとしている。

「あの人は寒かったのかもしれない」

「そう、濡れたらいやなのよ。だれだって。それをわかってくれた。みんな善意は持ってる」

「わからない」

夜野は応える。祥子のオールを持つ手が濡れている。震えている。赤い手。冷えきっている。

「ここの装置は粉なんだって。煙突から吐き出して、偏西風に乗せてヤツフサに飛ばす」

祥子が顔をそむける。水音が遠くなる。

「ヤツフサ人の遺伝情報に反応してその肺を悪くする。その予定がね。排煙にも同じ性質が混じった。装置は風に乗らない不良品のことを考えい無いから・・・みんな体を悪くしている」

祥子は木陰の隘路の先の街を指差す。

「みんな、生き残らないといけない」


 目貫通りはがらんとしている。人気はない。商店のシャッターはペンキがはげている。伽藍洞のアーケードに空腹の犬のような冷たい風が吹いている。細かな粉が舞っている。砂鉄のように黒い。

「国立学府があった街よ。国際学会もたくさんあった。それが、植民戦争時代に消えてね。そのあとは衰退したの」

祥子が目を細める。その奥が過去を見ている。百貨店の廃墟が一つ。食品と化粧品の旗が色あせて破れ、揺れている。物産展の通知が窓に貼られている。粉がまた舞う。その一つがコートに引っかかる。つまんでよく見ると、脚がある。ダニのように。くすんだメッキの黒い金属だ。

「この前のこと、気にしている?」

祥子が尋ねる。夜野はかぶりを振る。人の声を偽装する装置。親を亡くした幼児の声真似をしていた。近づいてきたところに襲い掛かる。草に紛れる形の装置だった。数が多く、寄り集まってくると死闘になった。へとへとになった二人に浴びせられたのは、罵倒と落胆だった。誰もが、共倒れを願っていた。とらえられ、処刑方法が議論された。

「逃げれた。よかったのよ。ハイアードだもの。人には捕まらない」

祥子がうつむきながらほほ笑む。影が差す。雲が厚みを増してた。太陽が隠れ、頬が冷える。「どうなるか、わからないわ。それでもこの街もどうにかするの。二人なら」


 通りで美容室の電気看板が回っている。割れたプラスチックが黄ばんでいる。扉を開けて男が建物から出てくる。ビニールの防護服の前を押さえる。黒塗りの機械のマスクを手で押さえ、耳元の赤いスイッチを押す。横目が祥子と夜野をとらえる。瞼が赤くはれている。不愉快げな頬を震わせている。

祥子が彼を呼び止める。

「確かめたいことがあるの」

立ち止まった男は背中を丸め、肩をすくめる。粉塵フィルタの低いノイズ、気障りな音がする。甲虫が命乞いにキーキー鳴くような。

「何だ」

「ちょうどよかった。あなた医者でしょ?聞きたいだけ、すぐに消えるから。ここの装置の話。粉状でしょ」

祥子が尋ねると、男はせき込む。充血した目が濁る。

「それがどうした。わかるだろ、みんな肺病だ」

「そう、それだけ?」

「どういう意味だ、それだけか?この病だけで不十分だというのか。お前たちの・・・自動戦争のせいで」

男が眉間に皺を寄せ、肌を赤くする。

「わかってる。聞きたいのは、大型の装置はいないのか?ってこと。端末部品だったら事情が違うから」

祥子が尋ねると男は彼女を突き飛ばす。たたら踏んだかかとが、鉄のくずを抉る。破れたチラシが汚れている。

「工場から出る粉だ。どこもかしこも。汚れて曇っている」

男は吐き捨てる。祥子はうなずき、つぶやく。

「まだ先、よかった」

「もういいか、ここの空気の中じゃ人は持たない。俺たちは、お前たちとは違う。汚れた悪魔じゃないないだ」

男が吐いた言葉が地面に転がる。男は背を向けて足早に去っていく。ぼそぼそとつぶやく声が聞こえる。


俺はそれで儲けさせてもらってな。


【祥子】


「まだ先ってなに?」

夜野は祥子の背中に尋ねる。

「次の進化のための世代交代もまだ、その兆候はないってこと」

「よかった?」

夜野が続ける。

「そう。まだ何も起こらない。この粉が一つ一つが装置よ。数兆の個体のまま。整理されないなら対策が立てられる」

祥子はそこまでで口をつぐむ。シャッター街を二人の足音がすぎていく。煙突の輪郭が装置の粉に覆われて揺らめいている。カサカサとアーケードの天井を金属の粉がこすれる。咳が聞こえる。くすんだショーケースの向こうのスポーツ用具の向こうから。取り付き会社の運搬箱の積まれた書店の向こうから。咳と疲れた会話と疲労した低い笑い声と。

「大丈夫、間に合ったんだから。ノード工場を壊してしまえば大丈夫」

祥子は低く、長く、肩をすぼめながら息をはく。意思の力で煙を払うように肺の中の苦闘を吐き出す。

「誰も感謝しない。ハイアードは死ねば喜ばれる。そういう設計した。そうしなければ、戦争の罪悪感から人は逃れられない。正義の名のもとに死ぬ戦士たちへの哀悼を捨てられない。押し付けた死の痛感をすすげない。わかってる。けど・・・」

声が形になって、地面を転がる。夜野は祥子の肩の震えが止まるまでまっている。

うつむいたその頬にかかった長い金髪が揺れ、鼻梁を隠す。灰色の影が揺れてる。夜野は手を伸ばす。彼女の手を取ろうとする。届かずにやめる。大丈夫、と小声で言う。


【夜野】


「粉か。二世代の中でも特異なやつだな。爆発的に増えたが、すぐに消えた。マスクで防げたからな。最初だけだ、効果があったのは」

「そう、だけど」

夜野は肩を震わせる。心の動きが体に影響を与える。目の奥が熱くなる。夜野は壊れかけの補助脳に銘じて涙を胸の奥に留める。

「・・・うまくいかなくて。わたしにはちゃんとできなかった」

焚火の煙にEmuの姿がゆがむ。Emuは目を閉じている。艶めいた黒い画面の中で自分の輪郭が揺らめている。汚れた膝、下腕。埃と砂。波打った灰色の髪。いくつものすり傷が彼女を包んでいる。


 あの革命装置に罪は無い。ただの意思の無い粉だ。殲滅のため生まれ、自動的に運動しているだけ。小型モータの焦げた匂いと焼けた油の刺激臭がした。地面に油液が流れていた。小型のあの装置どこにこれだけの機械油があったのだろう。土が腐って見えた。

夜野は過去に目を背ける。見たくない。ここまでで。


「話せ、聞かせろ。思い悩むくらいはできる。心はあるんだ、俺にもな」

俺はここに来た。すべての革命装置の始原の土地。全統合端末カーネルノード。ただ一つ、殲滅係数や巡礼渇望の計算場。生存本能とは違う指標を与える演算器。その意志を壊しにきた。Emuは目を開けない。ただ、彼女の息遣いを確かめる。時が呼吸を追い越すまで。

「・・・ノードは簡単に壊せた。そのあと」


【祥子】


「個別の死を嫌って?過剰反応?・・・学んだ?けれど・・・一世代の亜種なの」

姿は四つ脚だ。テーブルに銃握りを立てている。一世代の典型だ。掌ほどのサイズ。粉状の機体が組み上がって、一つの形をとっている。銃底に六角形に囲われた十二面体が配置されている。薄桃色の液体が満ちた嚢胞を抱えたその装置が群れがうごめいている。粒から一つの濁流となった装置が街に流れている。ノード工場のタンクの上で祥子はほぞをかむ。かびた天井のゴムを踏む彼女の膝が小さく震えている。口の中の血が温度を持つ。有機廃液の匂いを引き連れて、死の気配が進んでいる。


 あふれ出た革命装置が鋳鉄門を超える。粘性のある濁流がこぼれた唾のようにだらりと地面に流れていく。門の前の人だかりをその街の治安部隊が押しのける。人込みのあちこちからざわつきと咳が聞こえる。

 脚をつなぎ、液面のように波打っていた装置の表面が盛り上がる。と、その一つの装置が結んでいた脚をほどき宙に飛ぶ。空中で伸びた脚を一つに合わせると尖った針になる。治安部隊の男の瞳めがけて針が飛ぶ。刃の付いた針が瞼を突き破り、切り裂くと眼底にむかって棘の薬液が吹き付けられる。神経毒が脳髄に浸透し男の中年の腹を震わせて倒れる。崩れた体を血の海が追いかけ、装置たちの網の波が覆っていく。きびすを返して走り出す住人たち。人の汗と恐怖の匂いをかき分けながら、夜野と祥子は装置の波へ走り、途中、投げ捨てられ治安銃を拾う。青い金属のざらついた感触と汚れた垢のぬめりを感じる。金属制の革命装置をショートさせる電気銃だ。夜野は引き金を引く。空気にひびが入り、装置の液面全体が青白く輝く。次の瞬間、夜野の補助脳が発熱する。目の奥を握りつぶすかのような痛みがはしり、夜野は膝をつく。歪む視界のなかで、夜野は装置達が稲妻をまとう嵐に変わったのが見える。竜巻だ。渦巻いている。巻き込まれた住民が放電に焼けていく。自分の荒い呼吸と桃色の薬液の匂いと、人の体臭が混じっている。

 装置が一気にばらける。濃い霧の嵐に変わる。夜野はその嵐を振り払う。祥子の姿が霞む。背中を向け、コートの内側に誰か抱きとめている。

ー祥子さん!ー

霧の嵐が激しくなる中、夜野は電気銃を掲げる。痛みと吐き気の中で引き金を引く。口の中になだれ込んでくる装置を噛み潰す。嵐の中を稲妻がはしり、地面に煤に変わった装置が散らばる。何度も引き金を引く。放電ノイズが神経を焦がす。石の電柱のトランスに放電が走る。まばゆい光にあたりが包まれる。すべてが青白く発光しする。

やがて、灰と煤が黒く散る。その雨の中に祥子の影がある。

うずくまっている。その胸の中で、二人の幼児が焦げている。


【言葉のない夜】


 言葉の無い夜が過ぎていく。壊れた工場に残った装置を掃除したあとも、二人は汚れた傷をぬぐわない。石油缶に炊いた炎を見つめている。放電はばらまかれた粉にも通じていた。肺に沈殿した装置が燃えた。祥子の胸の中で子供たちが焦げた。夜野は歯の根をあわせる。頭痛が後悔のように残っている。補助脳から再生訳が流れ、細胞の苦闘が続いている。その補助脳にも過電流が流れた。声をつくれない。言葉も、表情も。沈黙が金属の舞う空間で光っている。


 大陸治安部隊が街を掃除している。親族や家族の亡骸を探す人々は、義務に突き動かされている。心臓が動く限りその歩みを止めない。足取りは、くたびれた服に操られている。割れた街灯が彼らを照らす。息の欠片だけで、夜野は祥子を支えようとする。祥子の影が揺れている。左右に。壊れたシャッターの向こうを歩く人々の尖った批難と無力なハイアードの故障品が横たわる炎のほうを。夜が更ける。初めての言葉のない夜。微笑みと慰みのない夜の中で、夜野は手伸ばそうとしている。動かない体の中で。


 夜明け前に足音が迫る。破れた靴を履いた男の親指は反り返り、細菌と泥で汚れ、黄ばんでいる。夜通し歩いたのか、着衣も肌も灰にまみれている。手にはビニールの袋をさげている。ぶらぶらと揺らしている。朝日の束が空から降りてくる。男は幻を嫌うように手をかざして光をさえぎったあと、頬の無精ひげをなでる。祥子は疲労した微笑みをつくり、会釈をする。目の下の深い隈を取り繕う。男もそうする。そうして、無造作に手に持った袋を空中に放る。白い不定形なビニール袋が重量を嫌いながら回る。こつん、と音を立てて床を転がる。ビニールが枷のように巻き付く。

「貴様らが来なければな。余計だ、どの命も。どの作り物も」

男はしゃがみこむ。缶には穴が開いている。液体がながれている。火薬と可燃物の匂いに夜野の補助脳が警告を発する。

「お前らと道連れの心中・・・いや自爆攻撃を考えた。それでいいと思った。俺の子供をお前が見捨てた。燃やした。手放したな。胸の中にきつく抱いておけば助かったはずだ。嵐の中でお前は・・・その手を緩めた」

男の声が気化する可燃液にゆらめく。

「あの二人の」

祥子の声を男が遮る。

「俺の子供だ。お前が」

頬には泥がこびりついている。深い皺を覆う厚い泥にひびが入っている。祥子の唇が震える。声の無い時間が、空気のゆらめきを恐れている。夜野は口の中で言い訳をつくる。祥子さんのせいではない。仕方のないことだった。霧の中、子供たちは祥子さんの手を振り払った。肺の内の炎に耐えきれず暴れて。コートのうちに抱きとめていようとした。

 男がへたりこむ。夜野と祥子を交互に確かめる。むき出しの脚の指が赤黒く膨れている。鎮静薬を撒く無人機が空を滑っている。どれだけの災害も悲劇も、嘉陽は鎮静薬を撒いて対処する。人の胸の奥の芯を溶かす。

「大きくなった。あの子らに・・・楽しい思い出を作ってやれるところだった。ハイアード、お前が・・・人を超えたお前らがあの子を助ければよかったんだ。」

男はがくりと肩を落とす。長く息を吐き出す。かすれた声が混じる。

「お前らが罰しろ。自分でやれ。俺の思いはここの鎮静薬で消えた。ここに来るまでの間に」

男は息を飲む。朝日がつくる影の暗がりが彼の周りを囲う。

「この世の不浄を背負って消えろ。今はそれがお前たちの役目だ」

男の手の甲が次第に乾いていく。高濃度の鎮静薬が体を老化させている。頬に黒い影が彫られていく。

「忘れるな、人は人だけで十分だ。余計のものに居場所はない」

男は床にアンプルを二本置き、立ち上がるり背中を向ける。

夜野の補助脳が分析する。青酸の瓶だ。


【一人きり、反対へ】


 Emuは一言一句を記録する。理解のできないこともすべて。焚火のたなびきすら、忘れないように。この記録だ。ここに記録するんだ。意味はあるのか?Emuは自問する。いや。意味がいるのか?俺にはいらない。電池切れまで動くだけのただの信号処理装置だ。史上の命題、革命の意思、なんとしても果たすべき熱い思いは消えた。ヤツフサの民の殲滅なんざごめんだ。


 夜野が黙り込む。何度目かの長い沈黙だ。夜野、おまえの道行にあるのか?意味が。理由があるのか。

「ここで終わりじゃなんだろ?」

「・・・わからない。終わりは・・・知らない」

膝に顔を伏せて、夜野は地面に向かってくぐもった声を落とす。人の声だ。人と違わない。

「知りたいんだ」

Emuが促す。焚火が弱くなる。熾火の炭の中で彼らの姿はビロードに包まれる。

「祥子さんはそのあとに・・・ずっと寂しそうにしていた。慰めたかった。元気つけてやりたかった。力になって・・・また一緒に、ちょっとだけでも笑えればよかった。でもわたしはハイアードだから。壊して、命のあるかぎり人を不愉快にする。死んで誰かがに喜ばれる生き物。人の近くによれば、その人を錯乱させ、自殺させる生き物。だから、祥子さんは・・・」

息を切る。焚火が爆ぜる。

「祥子さんは人間だった。わたしの影響があった。ずっと嘘をついて・・・一緒にいてくれた。でも耐えられなくて」

Emuの処理負荷があがる。熱の中で声が出ない。

「わたしたちの記憶モデルの人間。わたしの本物・・・わたしたちのために、ここに来た」

夜野は喉をつまらせる。

「だけど、人間だから。自ら命を絶ってしまった」

Emuはもがく。声をつくろうとする。彼女がすがることのできる言葉を、命のよすがになる信頼さがす。スピーカが別の発音を作る。

「お前はどうして・・・」

生きていられるんだ。生きて。歩く道を無くして。心を寄せた相手を傷つけたその体で。Emuの伽藍洞の体の中に痛みが共鳴する。鋭い、針だ。数呼吸と砂を噛む時間が過ぎる。


「わたしは。私たちは可能性。壊れた生き物だけど」

夜野は顔を上げる。その切れ長の目には暗がりを吸いながらも、揺らめき、艶をまし熾火の灯りを反射している。

「祥子さんと約束した」

夜野が息を深く吸う。

『いつか違う道を歩く日が来たら。あなたはわたしと違う道を選んで。そう進んで。反対側へ』

そういった。

夜野は両の頬を隠す灰色に汚れた髪を指で撫でつける。燃えカスの炭に息を吹く。炎が力取り戻す。彼女を赤く照らす。

「わたしはこっち側に進んでいる。生きて進む方向へ。そうする。約束をした」

Emuのへこんだ本体に照る熱が伽藍洞の中に満ちた痛みに触れる。Emuは演算速度を整える。CPUが安定していく。心とは別に。炎の先を見つめる。画像処理をやめる。言葉を探すために目を閉じる。

「そうか。わかった」

Emuはつぶやく。








 

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