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夜の欠片/鉄の破片  作者: 関本始
7/10

砂の路

【Emu】



「てめぇ、面倒なんだよ」


 目が覚めてからすぐのまどろみ。Emuは革命の本質アルゴリズムの影響をうける。さわやかな気分。悩みが消えている。殲滅のために生きている。総括し、粛清するため。闘争、人生の権利を取り戻すために・・・ヤツフサ人を殲滅する。


 意識がはっきりする。湿気と夜と濡れた土の匂いがする。冷えた目的意識が棘のように演算を阻害する。争うのも壊すのも好きにすればいい。Emuは悪態を空中につきながら、夜野を見上げる。位置情報と日時情報が復活する。重たい心が、CPUの演算を高くする。地面に降ろされた車輪の高さを調整する。

「俺を修理してた?後もどりしてるじぇねぇか」

2週間が過ぎていた。長い間、眠りこけていたわけだ。カーネルコアから離れている。

「チップ抵抗が足りなかった。他は全部、手に入った」

「・・・わからねぇ。お前の目的はカーネルコアだろ。もたもたしてたらどうなる」

手紙の内容は革命装置の進化の中心を示す。ほかにも警告が記されてた。夜野が唇を一文字に結ぶ。

「それだけ人が死ぬ」

声と表情がEmuの体内の空間に染みつく。金属部品が重くなる。

「五世代の進化予測が手紙に書いてあったろ?空を飛ぶか、胞子になって寄生するか。そうなら、ヤツフサには暮らせないぜ」

夜野が背を向ける。わかってる、とかすれた声で応える。

「・・・近道をするから」

懐の地図をひろげて夜野は道筋をなぞる。一直線にカーネルコアに抜ける道行だ。Emuは自分の性能を読み出す。通常の性能が出ているなら俺の耐環境性範囲になる。Emuは座標と方角を記録する。

「ハイアードでやれるのか」

中央砂漠の道だ。誰もが、熱と水を渇望する乾いた大地だ。

「熱いだけ。苦痛はわたしを壊さない」

夜野は目を細め、窓の外を見つめる。ぎらぎらと輝く砂丘が遠くにかすんでいる。苦痛か。

「・・・お前は、本当に人を助けたいか、夜野。人はお前を心底から嫌悪しているだぜ。そういう製造品がお前だぜ。精神の根っこから人は、ハイアードを嫌っている。だから、平然と人殺しをさせられるんだ。人なんざ、見捨てちまってもいいだろ?」

Emuはうろうろと廃墟の床を歩き回る。甲虫の死骸を踏む。殻が割れる。毛虫が這い出し、内臓の粉になる。

「約束したから。ずっと前に・・・」


【夜野】


 季節が緩んだ川の水は澄み渡り、せせらぎは子供の生きがいように穏やかだ。夜野の汚れた髪から落ちる水滴が渦を作る。風が肌を切る。水にぬれた生物は滑稽だ。毛皮がしぼみ、みすぼらしく見える。わたしはどうだろう。悪魔、生き物もどき。罰を与えられる。人は正義の執行を喜ぶ。うつむくと、髪から雫がたれる。約束が溶けて、一筋になって流れている。

ーあなたはわたしと違う道を選んで。そう進んで。反対側へー

反対側へ。どちらかがきっと叶える道へ。

夜野はしゃがみ込む。水がぬるんでいる。雨が止み季節が進んだ。冬が溶けていく。進まなくてはいけない。諦めの理屈は消えてしまったのだから。


砂漠の真っ黒な影をEmuと夜野をじっと睨んでいる。

「本当に行くんだな。俺には理屈がわからねぇ。死に急いでんのか」

夜野はくよくよと首をふる。

「・・・そう決めたから、そう進むの」


【砂漠の革命装置】


 井戸の底の水面がゆらめく。他愛もない会話のように太陽光を白く反射する。疲労困憊した影がいる。自分の影だ。背中を焼く日の感覚に飲まれながら浅い息を繰り返す。水が必要だ。生き物であれば何であれ。四世代の革命装置にも。

カーネルコアはランダムに自動工場をつくる。この砂漠に建てられてそのほとんどが乾き崩れた。2工場はくずれ、2体が生き残った。自分ともう一人だ。廃屋の屋根の日陰で、男は彼の信号をとらえる。桶に組んだ水をすくって口を濡らす間に、背後にその男があらわれる。

「エンクバトお前はいつもここにいる」

老人の革命装置が声をかける。青白い顔をして、震えながら杖をついている。

「俺には水がいる。クバール、あなたのように砂漠で平然としてはいられない」

エンクバトは若々しい体を起こす。

「だが、仕事はやらなくてはな」

老人の真っ黒なローブがたなびく。隙間から老人は一包を手渡す。ずっしりとしている。銃弾の束だ。

「ここは戦う場所じゃない。人はすでに消えてしまった。すでに殲滅完了した」

「そうだろう、お前の進化の歴史では」

生き物を根絶やしにするように変化していく。二人の進化がたもとを分かってから。が、結論は違っている。若い男は変体を選んだ。人に化け、家族や組織を壊していく。忍び寄るように、入れ替わり、伝染病のように殲滅していく。

 老人の装置は、その地域に人が流入しないように始末する狙撃兵だ。その地域の殲滅係数を稼ぎ、自死願望から逃れた進化体だ。

殲滅の完了した今は、互いに自死願望の訪れに怯えながら生きている。二つの装置の願望は、殲滅係数を稼ぐことで癒される。そうしなれば、殲滅の欲望は消えてしまう。

「わたしにはもう、銃を握る力はない。もし、君に同情心があるならば、協力してくれ」

エンクバトは乾ききっている。乾いたまま生きる。そう設計をされ、疲弊している。悲しみのような熱風が老人のローブを通り過ぎる。太陽が廃屋の屋根を撫でていく。日陰がそっと伸びていく。


【夜野】


 意思には匂いがある。祥子さんがそういっていた。人ならば感じるものだ、と。夜野は想像する。自分の嗅覚は補助脳が調整した補正量。故障しているせいで、時々間違った香りを覚える。砂漠と荒野の分かれ目を周りながら、ルート探っていた夜野は唐突に意志の匂いを理解する。嗅覚とはちがう。が、似た感覚だ。六感に分類されるのだろうか。錆びた鉄の匂い。背後だ。振り返り雑木林を見つめる。遥か遠くに層塔がぼんやりと揺らいでいる。

「なんだ?惚けてる暇はねぇぞ」

Emuが声をかける。夜野は唇を結び応える。

「林のむこうに、何かいる」

指を刺した先をEmuの光学センサが探る。

「範囲外だ。わからねぇ。てめぇの感度はいいはずだぜ」

Emuが応える。夜野はうなずく。そのあとも何度か背中を確かめる。


【目的外装置】


「見張りをするの。それが役割はわかるわ。殲滅係数はどうなるのかしら?」

直結通信網を通じて、カーネルコアに通信を投げる。はたして、コアは言語を理解しているのだろうか。生まれた時からそうするよう本能で知っていた。返答が返ってきたことはない。砂漠の廃工場の生産設備で生まれた。黄熱病のような本能。汚れたハイアードと旧式の革命装置を探し、見張る。そうするために生みだされた。

 容姿を写し取った女の名前は芙蓉といった。眼鏡のレンズの曇りと鼻梁の圧迫が不快だ。女の指を確かめる。やせて細った関節が節くれだっている。病気なのだろう。死に瀕した体だったのだ。

ーこの命の寿命は・・・ー

感覚で理解する。芙蓉はまとわりついた男の手をよけ廃寺の層塔から砂地に視線を巡らせる。砂漠を見張れ。その他はない。寺の下男の冷えた体に不快感を覚える。私だけ設計が違うが。だが、この男を乗っ取って、殲滅係数を稼がなくていいのだろうか。女の目が碧々と艶めく。

「威勢がいんだな。薬まだあるんだ、いくらでも」

男がまた背中にまとわりついてくる。ああ、そうだ。何度この寺の男たちの慰めになったのか。芙蓉は振り向き寺の男にしなだれかかり、肩に甘く歯を立てる。男の頬が緩む。わたしの病を恐れないのか。低いうめき声と息遣い影との境界を行き来する。男の肩に血がにじみ、やがてずるりと肌が剥ける。不衛生な灰色の皮膚が床に投げ捨てられ、彼はようやく砂嵐のような悲鳴をあげる。血が肉から染み出す。

「ああ、化けるのも終わりなのね」

芙蓉はふらりと体を起こす。頭痛と貧血で錆びた体がふらふらと揺れる。長い性交で重くなった性器を撫でたあと、乱れた前髪を整えた芙蓉は、のたうちまわる男をまたいで、唇の血をぬぐう。芙蓉は別れを告げる。

「見張らなくてはいけないのよ、わたしは」


【Emu】


 砂が熱を噛み崩れている。細い楔になる。肌をこすっている。白い太陽が大地に清潔を要求をしている。砂に飲まれた死骸はおのれを恥じることを強要されている。革命装置の残骸がそこら中に散らばっている。鉄と骨の部品が残り臓物は干からびて嫌悪のように黒ずんでいる。砂にうもった部品たち。革命装置は人の死骸と自分たちを材料に再生する。Emuは視覚センサと思考CPUだけを残して他のプログラムを止め、基盤の発熱を抑える。

「舌うち・・・?」

夜野が尋ねる。砂かぜに巻かれた髪をゆする。砂が落ちる。空気が彼女の喉を焦がす。

「何かいやなこと?人の真似」

「これだけ、俺たちが壊れりゃ気分はよくねぇ」

いや、気分の悪さだけじゃない。Emuはメモリが余計に発熱していることに気が付く。失ったあいつのことがメモリを刺激する。

「工場が次々に装置を生産するにはよ、原料っていう犠牲が必要なんだよ。俺たちの渇望の正体だ」

うつ伏せの革命装置の骨が目の前に転がっている。空中に伸び、何かをつかもうとしている。

「自死願望、巡礼渇望。そういうものだ。カーネルコアに進化の失敗くらった個体は還りたくなるんだよ。生まれ場所、工場の原料置き場が聖地に思えるのさ」

砂を掘り、Emuは製造番号を探る。

「たどり着けなかったのさ」

夜野はしゃがみこみ、砂に手を伸ばす。

「還してあげたいの?みんなを拾っていく?」

「もう、動いちゃいない。無駄なことだろ、ノードも止まってる。敵も人も何もねぇよ。砂だけだ」

車輪を回す。砂の轍がまた伸びる。残骸に残った生き物の概念が熱波に絡まる。上昇気流をつくっている。


【夜野】


 乾いていく。頭脳が焦げていく。指が小刻みに震えている。水筒を何度か舐める。止められない。人造幹線に砂が詰まる。人よりも性能の悪い。ハイアードの仕様を満たすために、肌の排熱性能は下がっている。ハイアードの汗に含まれる有機官能物は、人に不愉快な抑うつ気性をもたらす。共生菌と並んで盛り込まれた心理操作機能だ。汗は温度調整の意味を持たない。

水筒の残りを覗く。数滴をEmuの天板に流す。

「悪い話がある」

Emuがつぶやく。砂に影が揺れている。

「位置がわからなくなった。地磁気センサが壊れたぜ」

夜野は、大丈夫、と乾いた息を吐く。

「紙のが・・・手紙に・・・」

声が続かない。瞼が痛む。水の残りは?あえいで水筒を持ち上げたそのとき、補助脳のセンサが真っ赤なアラート上げる。わずかに仰け反ったその先を白い銃弾が過ぎる。二発。後発が弾丸が水筒を弾く。水玉が子供の笑い声のように砂に散らばり、敗者のように蒸発していく。Emuが中に跳ね、隠し玉の散弾を頭から撒く。落下、地面に転がると同時に夜野の襟首を捕まえて、砂丘の影に転がり込む。

「狙われる、遠いな」

「水、なくなった。水筒を撃った」

瞼が硬い。夜野は砂影の熱を握る。Emuは太陽の位置を確かめる。

「日暮れまでどれだけある?」

「知らない」

応えてから夜野は意図を汲む。うなずき、乾燥した肌がゆがむ。

「革命装置か人かわからねぇが。夜を待つ。光がなけりゃ、多少はマシだろ」


 毒のような昼の乾燥を隠して、王妃のプライド色に空が黒く染まる。Emuの金属パーツがきしむ。

「狙いが外れた。昼間より下手」

砂影から踏み出した夜野から数歩離れたところにぱっと砂煙が上がる。乾いた唇が裂け、赤いひだが浮かぶ。死んだ肌がむけて、張り付いている。月影の中、夜野とEmuは砂丘を裏を渡る。ジグザグに進む。銃弾が足跡を抉る。射線を切りながら、夜野とEmuは歩を進めていく。補助脳の回避行動は生きている。Emu夜風に不吉な気配を覚える。違和感がある。何か、敵にわからない計画があるのだろうか。砂煙を避ける夜野の足跡をたどる。振り返ると砂の足跡が月光を飲んでいる。ジグザグにそして・・・大きく迂回して。Emuは砂丘の影で足を止める。夜野は身をかがめる

「そうかい。気が長い野郎だ」

夜野は目を細める。

「誘導されてる。回避に気を取られるうちにな。少しずつ目的から外れてる」

夜野の広げた地図に月明かりと電子光が青く交じる。

「砂漠を抜ける前に夜があける。持たないぜ。水も食料ない」

舌打ちのあと、Emuが続ける。

「諦めて引き返すか、それも・・・戻れるかわからねぇが」

夜野はぐっと顎を引き首をふる。襟元をあわせ、砂をこぼす。

「進む」

夜野は立ち上がる。震える肩をEmuは見上げる。夜影にコートが映える。砂粒が細く足元に風を巻く。


【夜野】


 21回の狙撃を回避。還れなかった装置が40体。数えたところで、夜が白む。月への別れ言葉が太陽の吐息に混じっている。ハイアードの間接の骨がきしみ痛みが悪口のように四肢を刺激する。


脚を進めるたびに、乾いていく。


ブーツの隙間に入り込んだ砂粒が、脚の裏を擦る。銃声が響く。飢えと渇きが夜野の目を赤く染める。

「考えがある。夜野、おまえの覚悟しだいだ」

Emuの発話器にビリビリと雑音が混じる。銃弾が2発、空気を切って迫る。Emuの腕が一発をはじき、夜野の揺らめいた脇をもう一つがすぎる。


【エンクバト】


 汗をぬぐう。果たして、自分は生き残るだろうか。この数ヶ月、殲滅係数を稼いでいない。ハイアード一匹で足りるだろうか。いくら壊しても、巡礼渇望の予感がうずく。銃に弾を込め構える。かすんだ目がスコープに敵の姿をとらえる。この砂漠の街は静かになった。砂漠の民は根絶やしにできた。ヤツフサ人かそれとも嘉陽の人間かわからない。どちらも構わず無くすように育ったのだ。

 村が壊滅してそうそうに同世代の装置たちは巡礼渇望に飲まれた。砂漠へ旅立った。俺だけがここに残った。


 息を長く吐く。老廃物の混じった水蒸気が大気を濁している。革命装置の古い名残、重油の匂いがする。舌がその味を知り、喉が焼ける。

 ふくらはぎをねらった弾が空気を裂く。砂がはじける。女は向きを変える。エンンクバトは耐え難い頭痛に耐えながらスコープを覗く。

 金属部品が頭脳の中身に残っている。それが熱で膨張し細胞を圧迫している。痛み、それに、不完全な進化に対する嫌悪。いらだちが銃弾をそらす。なぜ自分だけに終わりが訪れないのか。わからない。取り残され、怯えだけが残った。

 ここは、自分たちが浸食する前から滅びの道へと進んでいた。老人が増え、若者は未来を都会に見ていなくなった。乾燥が時代のように押し寄せ井戸が枯れた。


 二世代がジグザグに行き来して轍を残す。疲労感が肉を重くする。暗い重力が指先を重く、黒くうっ血させる。苛立ちが自分の行動をあざ笑う。

 焦るな、敵がはもうじき倒れる。追い詰めるだけでいい。装置のふらつきは故障前の混乱の表れ。ハイアードも水なければ、1日は持たない。再び銃を構えたエンクバトの腕を太陽が焼く。


【Emu】


「いいか、頭を使うな。てめぇの脳が一番にエネルギーを使う。その力を節約する」

Emuが低くつぶやく。砂風が二人の体を叩いている。熱の粒が表面を焦がす。

「てめぇの補助脳を経由して身体動かしてやる」

Emuが噛むように言う。二人はよろよろと砂を踏んでいる。銃弾が道行を制御する。さながら、砂漠を迷路のように迷わせる。

「きっとあなたが壊れる、熱が部品に」

夜野は応えてから、Emuからの接続要求を確かめる。受け入れられない、と切断する。

「機械ってのはよ、有機物よりもましなところがある。熱くなっても冷やせばもとに戻るんだよ」

Emuの横腹を弾丸がかすめる。

「敵は賢いぜ。四世代、未来をきっちり予想して、俺たちがくたばる時間を計算している」

夜野は天を仰ぐ。青い空が古い記憶を刺激する。遠い昔、生産時にインプラントされた記憶だ。本物ではない、誰かの記憶。ハイアードの全員が持つ、共通メモリ。銃弾が頬をかすめる。

「どうしてわかるの?」

「過酷な環境じゃ、未来に見越して行動するんだ。そうしないと淘汰される」

Emuはうつむく。呼吸の真似。決意の真似。砂に車輪がめり込んでいる。予備のコアを起動する。

「そのうち、必ずとどめを刺しに近づいてくる。切り札だ。夜野、お前が。お前の心が・・・エネルギーを使いすぎだ」

Emuは演算速度を上げる。発熱で画面が揺れる。

「いつだって、考えすぎなんだよ」

夜野は目を細め、うなずく。Emuの信号を受け入れる。



【エンクバト】


 作り物の神経がけば立つ。苛立ち、腹がむかむかする。たんぱく質の凝固温度に体温が近づいていく。問いかけが肋骨のうちで反響する。どうして、自分は人に似た姿になった。進化の結論だ。わかっている。だが、ここでもその必要はあったのか。灼熱の地獄に暮らす苦役に満ちた民に見せかける必要が。喘ぐ肉体をなぜ偽装した。物陰に体を戻したエンクバトは息を吐く。目に染みた汗をぬぐうと砂丘の影が揺れる。影は蛇のように背筋をくねらせている。老化していく。目じりの皺がひりひりと痛む。

「思考は私たちの本来の機能ではない。精神の偽装に過ぎない。蝶が枯葉に偽装するように」

クバールの通信が割り込む。耐え難い頭痛。膨らんだ素子が火傷した細胞に触る。

「生き残れば、殲滅係数は加算される。お前は成功した装置だ。常軌を逸した場所で生き、殲滅を無し遂げた。その進歩は次世代の糧となる。生き残れ、お前は進化の突端にいる」

エンクバトは目をむく。涙がこぼれる。痛みのせいか、同じ運命のクバールに対する思いか。乾いた血が沸騰する。声に雑音が混じる。とぎれとぎれの声が日向に逃げていく。体内の金属フレームが軋む。肉が圧迫される。

 幻がゆらぐ。オアシスの脇に今も残る骨組みと小屋。目の奥がチカチカと瞬く。最後に自分が暮らした小屋だ。誰もいない。始末した。幼子の兄に偽装し、母と父を始末したあとしばらく二人で泣き暮らした。飢えて死ぬのを見届けてから、墓を掘った。

 庭の墓石にヒビが入っている。一族の墓石だ。今朝、水をやらなかった。たった一日、でも水を与えるのを忘れれば、ひび割れてしまう。俺も村民だった。この村の誇りは、その死を受け止めること。滅びを尊重すること。次に続くもの達を信ずること。そうして、また人のあふれる村にするために生きるのだ。そうして。

「そうして、また、滅ぼすんだ」


【夜野】


 夜野はEmuの温度を補助脳から吸い出す。眠り、言葉をしゃべらず、思考を止めてながらも、胸を声が消えない。壊れないでほしい、Emu。肌から水分が蒸発する。かすむ視界の中で、飛蚊症の影が目の中を泳ぐ。Emuが体を動かしている。体の中で思考が踊る。

 壊れてしまう前。故障のないハイアードだったとき。命令通りに突撃し嘉陽のすべてを破壊してきた。今更、人のために生きたいと願うこと。それが無茶だったのか。取返しのつかない命をいくつも壊したのだから。そうして、Emuまでこわしてしまうのか。日差しのナイフが魂のこわばった部分を削る。地面に落ちた屑が砂地に汗になって落ちていく。


弾が空気を切る。ステップ。左、右。

ーおい、もうじきだぜ、俺は熱限界だー

Emuの言葉が夜野の沈黙の中で水玉のようにはじける。青く、砂漠の空の色になる。

ー頼んだぜ・・・俺が機能を停止したらよ、夜野の残りが・・・成し遂げるんだー


【エンクバト】


 正午をすぎて砂がぎらぎらと光だす。スコープの内部を満たした油に気泡が浮かぶ。熱でレンズが歪む。照準があわない。影が横切る。なんだ。エンクバトはかすむ目をこする。目やにがまつ毛にこびりついている。黒い犬が跳ねている。錯乱し膿んだつばを吐いている。砂丘の斜面に足跡をばらまいて女に襲いかかる。二世代の装置が犬に向き合う。エンクバトの銃弾が飛ぶ。装置の体がはじき飛ばされて、砂を舐める。熱風が吹き抜ける。首筋が冷える。


 スコープの向こうで、咳き込むように吠えた犬が女の左腕に歯をたてる。真っ黄色の犬歯が太陽にようにギラついている。女はのろのろとあとじさりをする。うつろな目だ。くすんだ銀の色だ。限界を迎えている。何も見ていない。表情は消えている。肩をすぼめて砂によだれをたらす。うつむいたまま女は右腕を伸ばす。その手は、乾きシワよっている。犬の首をつかむ。細い指に青い血管が浮かぶ。犬が狂った唇を剝く。普段は見えない白目は雲のようし白く、血走った血管が道しるべのように光っている。

 エンクバトは湧き上がる歓喜を噛みしめる。灼熱が生む異常な喜劇を見守る。惨めな最後。その一部始終を見届けようと、エンクバトは汗を拭う。


【夜野】


「ごめんなさい」


夜野はつぶやく。胸の奥にしまいこんでいる記憶。誰か記憶。製造時に刷り込まれたものだ。


 自分にとってそれは、幼い時期の本当だ。遠い昔、犬と一緒に暮らしていた。腹を蹴り苦しむ姿に暗い喜び覚えたことがあった。あとになって後悔した。悲しくて、眠れなかった。

見開いた視線の先につんのめって砂に埋もれたEmuの姿が映る。サビが少し増えた。タイヤがゆっくり空転しホイールに風が巻いている。

心音が高くなる。心臓が喉までせり上がってくる。涙が胸に迫り、零れ落ちそうになる。けれど。


 夜野は砂地に犬の頭を押し付ける。長い後ろ足をまとめて踏みつける。肩を震わせて低く喉の奥で笑う。すでに息絶えた犬の躯の弛緩した肉を感じながら、頸椎をぐっと体重をかける。

 清潔な砂漠に骨の折れる汚れた音が響く。犬の肌に立てた爪で頸動脈をやぶり、その体を吊り下げる。粘ついた熱い血が、犬の腹をから流れ股間を赤くする。


【エンクバト】


 革命装置の本能が彼に幸福をもたらす。殲滅の一つだ。犬の死、血の流れ。ハイアードの女の体を濡らしている。鼓動の高鳴り。予想通りの時間だ。二世代の装置は壊れハイアードの女はへたりこんでいる。怒りのような日差しが二つの滅亡を待っている。低くしわがれた声で女が笑う。

 近づいていくと、目じりのひび割れまではっきりと見える。エンクバトは歓喜に打ち震え、同時に悲しみを覚える。この矛盾こそが、四世代装置の本質だ。家族を愛し、隣人にすがり、仲間との思いでに未来を見る。社会生活を営む心理と思いやりを持っている。別れに張り裂ける心臓を持っている。時間をつんざく、絶望的な思い出を知っている。

 最後に滅ぼした妹の姿に似ている。心底の愛を感じながら、エンクバトは妹を砂に埋めた。死にざまを反芻し、涙した。だが、胸の痛みを覚えようとも、本能の歓喜は止められない。


 うつむき痙攣するハイアードの女の前に立ったエンクバトは頬を紅潮させる。首から汗が流れる。汗に混じって、薄い機械油の匂いが上着の内側から立ち上る。エンクバトは腰から短銃を抜き、彼女の首筋に狙いを定める。



【夜野】


 嘘は一度しか通じない。四世代は抜け目ない。人と同じ、したたかだ。矛盾を飲み込み、戦略を練り上げる高度な精神体だ。Emuが夜野の最後の操作をしてから、通信を残す。

ー気の毒な生き物だ、だからよー

夜野は受け止める。

ー楽にしてやれよー


 スライドがこすれる甲高い音。荒い息つかい。目の前の砂地に汗が落ちる。かすかな興奮の匂い。最後、その一瞬。この時のために。

 夜野は補助脳に命令を出す。最後に一滴、残したアドレナリンを絞りだす。砂を蹴り、伸ばした右腕が四世代装置のかさかさの首をつかむ。乾いた犬の血の粉が彼の肌に汗こびりつく。濃い鉄の匂いが漂う。瞬きの時間も残らない。男の首は夜野がつかんだその時にはへし折れる。肌を破った金属の背骨が放電し、血涙が流れ落ちる。

「ごめんなさい」

声は届かない。絶命したあとにかけた声に行き場はない。夜野の周りをうろうろする。布と肉の弛緩した重みを、夜野はだきとめる。彼の腰から水筒を奪う。よろめきながら、砂に埋もれたEmuを掘り起こすとその体にぬるま湯を振りかける。


【クバール】


 黒服の男は同胞の故障と、残った残骸を確かめる。日が暮れても、ターゲットはその場にうずくまったままでいる。月明りが揺らめいている。老人は二人のもとに歩み寄る。二世代装置の画面が瞬く。

「もう一匹いたのか。老人型か?戦う力はねぇだろ」

クバールは首をふる。

「いや。争うつもりはない。ただわたしは、君たちを利用した。そのことを謝りに」

黒服の男は夜の闇汚れた服の裾をはらう。星明りが真鍮の眼鏡に反射する。悲壮感のように。夜野は男の姿を確かめる。彼は目を伏せる。

「この青年は、ここで幸福に暮らした。愛するもの達を精一杯に愛しながら、殲滅を成し遂げた。過酷な思い出とともに生きるのはつらかったろう」

 肌は病院の壁のように青白い。表情は重力に負けてなくなっている。水筒を二つ夜野に手渡すと、男は青年の遺骸を抱え上げ背を向ける。

「誰にも・・・生きるには過酷な場所だ、君たちにも」

夜野は彼を見届けながらうなずく。彼の背中の向こうを明滅する青い星が水滴のように落ちる。消えていく。

















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